1596年1月20日 舵
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教如が死亡したのは年が明けた1月10日だった。娯楽の少ないこの時代、もっと見物したい人もいただろうに落雷死とは。
何しろ、刑場への坂道には屋台が並び、中には予想屋もいたみたいだ。何を予想していたかと言うと、
『教如はいつ死ぬか?』
『教如は本当に極楽浄土に行けるか?』
いつ死ぬか?はともかく、極楽浄土にいけるかなんてどうやって確認するんだ!
人が処刑されていくのをなんでこんなに面白がっていたかと言えば、やはり嘗ての一向一揆のせいだろう。
一揆で暴れた世代はこの頃には多くが物故し、今加賀に居るのはその子孫世代だ。
暴れた側は子孫にそんな話を伝えないが、一揆で酷い目に合わされた人々は孫子に恨みをつらみを伝えていくのはよくあること。
そんな事情もあって教如の処刑は正月が霞む程の祭り状態だった。
そして俺は後を直定や氏照さんの家臣に託し、新津に帰港した。
今は、船の航行結果検証中である。
実はこの時代の船には舵輪がないのだ。”面舵一杯!”とか言って回すあの輪っかの事だ。船尾に操舵士がいて手作業で舵を動かしているのだ。しかし、今回のような高速航行となると水圧が増し手動での舵操は難しくなる。
香取海で実施してるディーゼル船の改良も大半が舵に関する部分なのだ。
その舵問題を解決してくれると期待して導入したのが今回のウオータージェット推進三胴船だ。ウオータージェット推進船は舵が不要なのである。例えば左に曲がる場合は、船尾左側の推進力を緩めてしまえば良い。右に曲がる場合は、右側の推進力を緩める。
現代のウオータージェット推進船は推進力を緩める際に水の噴出口にカバーを降ろして噴出力を逸らし推進力を緩めるよう設計されているが、ウオータージェット推進の物凄い噴出力相手にカバーを降ろす作業を手動でやるのは不可能だ。なので今回はエンジンの回転数を下げて対応した。どうやったかと言うと供給するガソリンを少なくした。極めて乱暴な方法だ。今回は能登半島を周回する程度の旋回だったが、この方法では貴重なエンジンの寿命を縮めてしまうのは間違いないし、最悪、航行中の故障など起きたら大変なことになる。なにしろ救難信号もまだない時代なのだ。
・今後は自動車のトランスミッションの様に変速機を設置する。
・気筒休止エンジンの様に可変バルブ機構を搭載する。
・現代のウオータージェット推進の様にカバーを機械制御で上げ下ろしし噴出力を制御する。
何れも言うは易し行うは難しだ。俺にあるのは知識チートだけ。実際に作るのはこの時代の鋳物師、細工師達なのだ。幸い彼らは俺の話の理解力が恐ろしく高い事。俺に言われた通り作るだけでなく原理を理解しより良い手段はないか常に考えてくれている事だ。
また、今回の高速船の話を聞きつけて全国から船大工が集まりだした。今まではほぼ安房の船大工に施工を任せて来たが、船大工が増えれば安房の大工を指導者にして船体を作る大工を増やしていけるだろう。
もう一つは、やはりディーゼル船に舵輪は実現させたいところだ。
現代のディーゼル船はディーゼル機関で船の推進を得るだけでなく発電をし電気制御の動力操舵機を設置している。この時代でも発電までは行けそうだが、その後の電気制御については俺も詳しく知らないので教えようがない。
つまりこの時代のディーゼル船の大きさは手動操舵機でどこまでの大きさまで扱えるかによって決まるという事になる。
それ以上の大きさを求めるとなると舵輪機用のエンジンを搭載するしかないだろう。




