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1595年12月12日 北条氏邦の乱仕置き

評価を付けて下さった方、有難うございます。

誤字脱字報告も有難うございます。

金沢城下の騒ぎが収まるまで一昼夜を要した。


伊賀者が城下で『教如が捕まり、お天道様の怒りは収まった』と吹聴して回り、なんとか平静を取り戻したそうだ。小舟でやって来た伊賀者が告げる。


『氏邦様、教如伴に城内の座敷牢に入れてあります』


上様の叔父が忍びに捕まり座敷牢か。まあ、これは仕方ないな。


「分かった。そちは越後に向かい氏照さんに氏邦さんを迎えに来るよう伝えよ」


仮にも領主が挙兵を号令した土地を抜けるのである。一般武将より忍びの方が伝令役には良いだろうと判断した。


そして、俺は梶原水軍・九鬼水軍の兵と共に小舟に分乗、城下に入った。


城下では驚いたことに出迎えがいた。北条直定。ご隠居様の子にして氏邦さんの養子である。小田原時代は上様の近習をしていた筈で、その後、上様に従い幕府に出仕したと聞いていたが、何故、金沢に?


直定は


『此度の父の暴虐ぶり。誠に遺憾に存じます』


と俺に頭を下げた。


氏邦さんから挙兵の報が聚楽第に届き、幕府は大騒ぎになったらしい。そこで、氏邦さんの息子である直定が舟と早馬で金沢に赴き思いとどまるよう説得する予定だったそうだ。


ところが、直定が到着した時には金沢城天守は黒煙と共に消え失せ、城下は騒然としており、危険を感じて城下を出て松任城で一夜を過ごしたと言う。


「氏邦殿も黒幕の本願寺教如も金沢城の座敷牢に入れてある。今、越後の氏照殿に使いを出して氏邦殿の保護をお願いした所だ。直定殿、共に城に参ろう」


金沢城では氏邦さんの家臣もいたのだが、敵意は全く感じなかった。


氏邦さんが継いだ藤田氏の菩提寺は臨済宗で藤田氏時代からの家臣が多いそうで、本願寺の教如が城に出入りし主と親しくしているのを良く思っていなかったようだ。


庭師として城に奉公していた伊賀者からの情報だ。その他、城内には2名の伊賀者が紛れ込んでいるという。その一人が越後に伝令に出した男であり、もう一人が、直江津沖で舟に乗り込み、ガソリン入りのブリキ缶を背負って陸まで泳ぎ、城に戻って汽笛の合図でガソリンに火を付けた男だ。


俺は火付けの忍びに昨日の仕事を労い、庭師と共に座敷牢に向かった。危険はないとの事だったので、俺の護衛は九鬼水軍の者10名程、直定の護衛も聚楽第から一緒に来たという10名程だった。先ずは氏邦さんに面会する。正直言って何を話して良いか分からない。だが、襖が開いて氏邦さんが俺の顔を認めた瞬間、両手を合わせて俺に向かって一心不乱に祈り始めた。どうも念仏を唱えているらしい。こりゃあ話をするのは無理そうだ。直定が声を掛けるが反応がない。部屋を警備している者に食事は取っているか確認したが、今朝、辛うじて粥一杯食べたという。俺は直定に声を掛け部屋を出た。


氏邦さんはもう氏照さんに任せるしかないだろう。


俺達は二の丸に移動し教如の座敷牢に向かった。教如は朝夕とも食事は取ったという。


襖を開け明かりを灯し教如と対面する。明かりは蝋燭だ。能登の七尾で最近作り始めたものだという。


「貴様が教如か?」


『そういう、お前様は誰だ?』


「領主を唆し兵を挙げさせたあげく俺の鉱山を襲い鉱夫を大勢殺しておいて反省の色なしか?お前を生臭坊主と呼んだら、世に大勢いる生臭坊主から苦情が来そうだな」


『鉱山?さては、忍びの犬畜生風情か。どうやって北条の殿様に取り入ったのか知らんが、苗字まで貰って日ノ本でやりたい放題だそうだな。お前には必ず仏罰が降るだろうよ。新勝寺を廃したお前には高野山も怒り狂っているそうだ。高野山の僧兵を侮るなよ。お前の所為で畿内は再び荒れ地になるのだ』


だが、ここで直定が割って入る。


『幕府から高野山に確認しましたが、高野山は今回の件に全く関与してないそうです。ただ、確かに怒り狂ってましたよ。高野山の名を勝手に使った教如!あなたにね!』


『顕証寺の本願寺法主・准如殿からも今回の本件の仕置きは伊勢殿に一任するとの幕府当ての証文を得ております』


これを聞いた教如は激高し


『本願寺の法主は俺だ!准如等と言う側腹なんぞに法主が務まる筈ないだろう!』


『俺を殺したら、日ノ本全土に嘗ての様に一向一揆が起きるぞ!日ノ本はもう御終いになるぞ!』


『極楽浄土に行きたければ俺をこんな所に閉じ込めていないで直ぐに解放しろ!都に本願寺を建立しろ!お布施しろ!お前みたいな盲や聾唖を使役する極悪人でも悔い改めれば救われる。これを悪人正機というのだ!有難い我が本願寺の教えだ!無間地獄に落ちたくなくば今すぐ俺を解放しお布施しろ!それが忍び畜生のお前が極楽浄土に行く唯一の道だ!』


「貴様、口臭いぞ」


俺はそう返答するのが精いっぱいだった。


(ここからはグロくなります。苦手な方は読み飛ばして下さい。作者)


教如の処刑は金沢城下の東の丘陵地で行われた。新暦で言えば1月の北陸の丘陵地である。勿論周囲は一面の銀世界だ。処刑は晴天の日のみ行われる。


全裸にして大の字に二本の柱に磔にした教如を雪の上に柱を刺し日干しにする。


銀世界の晴天の日にこれをやれば、現代風に言えば体全体がスキー焼け状態になる。


だが、今回はもう一工夫加えてある。船で使用した大鏡を教如の回りに特に北側に設置したのだ。これで鏡に映った太陽の数だけ日の光は増加するから太陽の位置によっては4つ、5つの太陽に焼かれる事になるのだ。また、鏡は雪をも映すので雪による照り返しの光もその分だけ増大する。


見物人は鏡に映らないよう、刑場の西側か北側の鏡の後ろに見物用の櫓を設置して見てもらった。


刑の性格上、夜間や曇天の日は実施できないので、刑を実施する日は城下にお触れが出るようになった。


また雪が降った日や日没後は風邪をひいて死なれては困るので刑場に小屋を設置し布にくるんで暖をとらせた。


今回は敢えて猿轡はしていないので、当初は元気よく喚いていた教如だが、数日するとおとなしくなった。尚、本願寺は肉食を嗜むとの事だったので、捕まえた鼠を開いて焼き塩を振って朝夕、教如に与えた。鼠ならいくらでもいるからね。


処刑を開始してからの経過は以下の通りだ。


一日目・教如の体は全身真っ赤になった。(全身スキー焼け状態)

五日目・教如の皮膚には水ぶくれが目立ち始めた。

十日目・教如の皮膚は一部が白っぽくなり始めた。

この頃から口回りにも水ぶくれが出来て自分で食事が取れなくなった。

またこの頃、氏邦さんの引き取りに氏照さんの家臣が来たので、一日見物してもらった。 少し引いていたな氏照さんの家臣。

十五日目・教如の皮膚の白っぽくなった一部から蛆が湧きだした。真冬でも蛆が湧いたのには驚いた。蛆は炙られ鼠と共に教如の口に放り込まれた。


いつの間にやら見物人の中に現れた弁士が『自らの体から産まれた蛆を、自ら食べております。これが教如の言う極楽浄土です!』とやって爆笑を買っていた。


二十日目・教如の体の多くの部分が白っぽくなった。


この頃になると鼠を小間切れにして水と一緒に無理やり口を開けさせ飲ませている状態だ。まだ呼吸はしているし、脈もある。


ところで、北陸は落雷が非常に多い地域だ。それも夏に限らず一年中落雷は起きる。


悲劇は処刑二十四日目に起きた。


教如の体は白いのを通り越し左肩口が一部炭化しだし黒ずんできたのだ。


その黒い部分に突如落雷が襲った。身体の左側ということは心臓直撃だ。落雷の衝撃で磔に使っていた縄は焼け焦げ教如の体は雪の上に放り出された。近寄って確認するともう全身炭のようになっていた。もっと、時間をかけて甚振ってやろうとしていたのだが、あっさりと終わってしまった。


教如の遺体は慶覚寺も顕証寺も引き取りを拒否したので、舟で沖合に向かい海洋投棄した。遺体に水分が殆どないせいか中々沈んでいかなかったが、プランクトンがそのうち処理してくれるだろう。


尚、氏邦さんが治めていた4国は新領主が決まるまで氏照さん預かりとなった。

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