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1595年12月10日 北条氏邦の乱part3

日ノ本横断運河は水深の関係から竜骨キールのあるヨットは航行できない。その為、梶原水軍・九鬼水軍の兵の漕ぎ力に頼って航行し、およそ10日程で新津油田に到着した。


信濃川と阿賀野川が合流する新津油田の下流域は且つては大洪水地帯で方々に潟が存在し湿地帯となっていたが、現在は堤防が整備され氾濫は収まっている。


そして今や新津油田は油井が12か所もある大油田となっているばかりでなく、周囲には研究所・塾・工科義塾も存在し、この時代のシリコンバレーともいうべき最先端の研究機関が集まっており研究の街・新津を形成している。


そして、ここにはウオータージェット推進器の付いた三胴船ヨットが10隻停泊していた。こんなに多く停泊しているのは、相良油田で開発された内燃機関を従来の風車に換えて設置、ガソリンによる推進を可能にする為である。既に試験航行が始まっており今は安全性の確認が検証の中心だというから実用化ももうすぐだろう。当初は双胴船ヨット(通称・木馬)で実験していたが、前方の内燃機関エンジンの発する音がソナー員の海中探査の邪魔になることが分かり、三胴船にしウオータージェット推進器は船尾3器としたのだそうだ。


また、フース・デ・クレメルには新津に住んでもらい日本語を覚えつつ通訳を通して地図・海図の制作について工科義塾で教えて貰っている。そして、彼のオランダ語の名は日本人には呼びにくいので新たに”伊能忠敬”と名乗って貰う事にした。”タダタカ”は本人には呼びづらそうだが、”イノウ”は呼び安そうで「日本では殆ど性で呼ぶから心配いらない」と伝え安心させた。


さて、そんな新津に直江津から中山家範が駆け付けてきたのは10日の事だった。


中山は早馬を乗り継いで走らせてきたようでかなり慌てている。


『殿、申し上げます。北条氏邦様。加賀にて挙兵されました!』


は?え?氏照さんが調停してくれてたんじゃないの?意味がわからない。


「中山。氏照さんはどうしたのだ?詳しい話をしてくれないか」


『あ、は。はい。実は氏照様はこの一月余り氏邦様に事の次第を説明するよう何度か書状を認めたのですが、氏邦様からは伊勢の殿を悪く言う返書が来るばかりで埒が明かなかったそうです』


『業を煮やした氏照様は直接会って話したいので直江津まで来るよう氏邦様に促したのですが、氏邦様は書状で充分に説明していると拒否なさって、そしてついに、”北条幕府並びに北条家の膿を出す”と兵をあげることを正式に号令し、聚楽第当てに幕府への叛意はないことを示す誓紙を提出したそうです』


「北条の膿というのは?」


『は、お察しの通り、我が伊勢家の事でございます。先ずは水軍を起こし、当家の直轄地である佐渡を占領、その後はここ新津に向かうつもりのようです』


「氏邦さんが号令したのは、正確には何日前かわかるか?」


『恐らく今から二日ほど前かと。金沢から使者が早馬で一日で戻り、その後私がここまで一日で参りましたから』


俺はエンジンを使用したウオータージェット推進器付き三胴船ヨットの試験航行に丁度良いと思った。今まで、佐渡までは航行した事があるがそれ以上の長距離航行は未実施だと聞いたからだ。新津から金沢までなら船も良く通っているので海中の岩礁の位置も把握されているしヨットの運航に問題はないと判断した。8隻(カルバリン砲各1問、バリスタ6各器) で準備出来次第出港するよう指示した。


今では、ソナ、ソナオ並みの聴覚を持つソナー要員はかなりいる。ここ新津にもかなりいるようで中には魚やイルカとの会話を楽しむ者もいるという。バリスタ、雷矢、カルバリン砲、弾薬の点検も直ぐに終わり、エンジンと積載ガソリンの確認が終わり、翌11日には新津を出航した。


このウオータージェット推進器付き三胴船だが、エンジンの起動は操舵室からはできない。各々の機関毎に起動し準備が完了したら、機関室の窓から赤い旗を出して知らせる。操舵室では3つのエンジンの準備完了を確認したら、各機関室に見えるように赤い旗を掲示するという仕組みだ。止まるときは旗確認なんてのんびりな事はしてられないので、圧縮空気を使用した汽笛で連絡する仕組みだ。


現代のウオータージェット推進は凡そ40 - 50ノット(約74 - 93km/h)での推進を可能としているが、この三胴船はカルバリン砲を積んでいるとはいえ現代船より遥かに軽い木製、その上、ウオータージェット推進器が一隻に付き三器も付いているのだ。プロペラが鯨の髭だったり推進器の素材が現代より劣っていても60ノット(時速110km/h)近く出ているのではないか?さしもの水軍兵達もこの速度には怯え気味だ。結局、直江津沖には一時間程で到着した。早馬を駆ってやってきた中山は僅か一時間で帰れたのが信じられない様子だった。ここで、小舟を降ろし、中山には俺が金沢に直接向かう旨文を書き、氏照さんに伝えてもらう事にした。


直江津沖から金沢までは能登半島を迂回するので少し時間が掛かったが、それでも4時間かからずに金沢沖に到着した。


金沢港には漁用の小舟があるのみで軍船は一隻もない。それはそうだろう、兵をあげるよう号令したのが僅か三日前。それから水軍に声をかけたのだ。恐らく小浜水軍だろうがこんなに早くやってこれる訳がない。


8隻の三胴船は横一列に展開すると、帆を降ろし、代わりに巨大な鏡を甲板に展開した。今日は晴天なので、この実験にも最適なのだ。且つて小田原でアルキメデスの熱光線をやった時はありあわせの鏡を使用したが、今度は違う。全てガラスの裏に銀を張った質の良い鏡である。また、太陽光と目標との角度、太陽の移動に合わせて鏡をどう移動させるか等、かつてとは比べ物にならない精度を新津の工科義塾で学んだ作業員達は習得していたのだ。


そうは言ってもこの金沢沖から金沢城までは1.5キロ程ある。常識的に考えて漆喰塗りの天守閣を燃やすのは難しいだろう。


だが、沖合から突如城下を襲った眩しい8つの光に町民達は大騒ぎになった。彼らも金沢城の殿様が、お天道様、お伊勢様の異名を持つ伊勢の殿様に戦を仕掛けるべく号令した事を知っていた。いや正確に言えば教如が吹聴して回ったので皆の知る所となったのだ。


この加賀、北陸という土地はかつて一向一揆が盛んだったことからも分かる通り民衆はとても信心深い。そして、教如が”金沢の殿様がお伊勢様を討つ”と吹聴した翌日にこの光の襲来である。


『お天道様に逆らうなんていうから、神様が怒って天から降りて来たにちがいねぇ』


騒ぎ出した町民の一部は暴徒となる者もいた。


『俺達が焼き殺されるのは、教如と金沢の殿様の所為だ!』


と騒ぎ慶覚寺を襲う者も出始めた。


そんな騒ぎの中、船から大音響の汽笛が響く、『フォーン』という聞きなれない気味悪い音に怯える城下城内の人々。中には地面に跪いて祈っている者もいた。


次いで、金沢城天守閣の白壁が発火した。


勿論、沖合からの光で発火したのではない。城内の者も含め皆浮足立っている内に、城に潜伏していた伊賀者が天守閣の白壁にガソリンを掛け、その後、下層の瓦に降り火矢でガソリンの壁を射たのだ。如何に漆喰と言えどもガソリンの火力には敵わない。あっという間に黒煙を上げて天守閣の上層は火に包まれた。


そして、最後は射程4キロを超えるカルバリン砲が8門火を噴いた。


8発とも、以前、松前城を燃やしたアルミの信管を付けた爆発弾だ。


やがて黒煙が晴れて来るに従って、金沢城の姿が明らかになってくる。


金沢城の三層天守は上二層が消失していた。


城内にいた北条氏邦は余りの恐怖に逃げるのも忘れ二の丸で呆然としているところを伊賀者に保護された。


また本願寺教如も慶覚寺が暴徒に襲われたので金沢城の櫓に逃げ込んでいたが、やはり伊賀者に発見され捕縛された。

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― 新着の感想 ―
[一言] やる事が豪快。ソーラーレイ、金沢城天守照準、テェ。
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