1595年10月 日ノ本運河網構想
現在俺はダイナマイト爆発させまくりである。爆破作業がこれ程痛快で面白いとは!もう癖になりそうだ。
と言っても、別に日ノ本にテロ攻撃を仕掛けている訳ではない。
切っ掛けは、阿賀野川から香取海にでる日本横断運河が開通したことだ。
越後の氏照さんがこの運河をとても羨ましがり、自分の領都・直江津を流れる関川を千曲川・犀川と繋げ、更に犀川を諏訪湖に繋げ、諏訪湖と釜無川を繋げ富士川を通って太平洋に出る第二横断運河構想をぶち上げてきたのだ。
これでも現実的なルートである。何しろ最初は関川を信濃川と繋げ、更に三国峠をぶち壊して、信濃川と利根川を結ぶというとんでもない話をぶち上げていたのだから。
この釜無川ルート、那須連峰をぶち抜いて苦労して開通させた日本横断運河に比べれば、高低差は少なく、ドンドン爆破して堤防を敷設していけば良いので楽に作れそうではあるのだが一つ問題があった。それは甲斐を流れる釜無川流域は吸血性寄生虫の繁殖地だということだ。釜無川を広げたり諏訪湖と繋げると、そんな寄生虫の繁殖地を広げてしまう可能性があったのだ。
なので、氏照さんを説得し、関川と諏訪湖までは繋げるが、以降は諏訪湖から流れ出る唯一の川・天竜川を整備して浜名湖に出る案を示し納得してもらった。小田原には遠くなるが、北条氏光の浜松とは舟で直接往来が可能となる。難関は『暴れ天竜』の異名を持つ急峻な天竜川を安定的に舟の航行が可能にすることだが、那須連峰の時のように山を切り開く事に比べればまだ楽な作業だ。更に将来的には犀川に注いでいる奈良井川の上流部を木曽川と繋げば尾張に出る事も可能になる。
それとは別に関東と都との経路短縮の為、伊勢湾に注ぐ揖斐川と琵琶湖を繋ぐ運河も建設中でこれは年内には完成も見込みだ。
正に日ノ本改造計画である。明治政府は鉄道で日本の交通網を整備したが、この時代はやはり水運だ。未だ鋳物による鉄鋼成形が主体のこの時代にSLなんて巨大な鉄の塊作れるわけがない。それにレールの敷設も大作業だ。そんなことするよりダイナマイトで爆破して運河を建設する方が遥かに現実的なのだ。
実際、日本横断運河は業績好調だ。新津油田や伊達家だけでなく、出羽の最上家・秋田家、更に津軽家も運河を使用してくれている。彼らが齎す通行料は建設費の回収に大きく寄与している。更に運河の高低差を利用した発電で灯す夜間照明は、大いに宣伝になっている。今の所発電設備を他家に売る予定はないが、バッテリー照明で定期交換契約なら卸しても良いかもしれないね。
因みに、釜無川はじめ甲斐の吸血性寄生虫対策に五平君製造のゴムを使用した聾唖様ゴム手袋、聾唖様ゴム長靴を甲斐の農民に一家に一組ずつ配布した。かなり好評なようで、もう一組を求め宇野家を訪れる豪農も増え始めたと言う。これまで、たまの盲様布に比べ一般領民に使ってもらえる品が無かった聾唖様ゴムだが、これで、聾唖者の地位向上に少しでも効果を上げてくれればと思う。




