1595年10月 密貿易船来航
評価を付けて下さった方、有難うございます。
密貿易船は相変わらず不定期に来航してくるが、昨年は澳門の娼館から仕入れたと言う明人女性が20人もやってきた。皆俺好みのスタイル抜群かアイドル顔負けの可愛い子ちゃんだが、それ以上に興味深いのは、彼女らの出身だ。明国の版図はとても広い、禍は俺が大陸に進出する野望があると知っていたのか出身地も絞って選定したらしく、エヴェンキ、オロチョン、ネギダール、オロチ、ウディゲ、ホジェン、シベ、女真といったツングース系の人が多かった。他にモンゴル、チワン、更に回族というムスリマの女性もいた。
正直、全員側仕えにしたい所だったが、正室をとってまだ二年ということもあり、ムスリマの回教の女性はラーニャやザワティと仲良くなれそうだったので彼女らの側仕えとし、その他の女性は日本語を覚えてもらい将来は通訳として活躍してもらう事とし、忍び適正のある者は歩き巫女として育成していく事にした。
密貿易船ではもう一つ話題がある。以前、ソナが鯱を操ったという話から、風魔の古文書に”盲目の女性が海中に唄を流し大きなイカやイルカを操り敵船を沈めた”という記述があるのを確認して以来、盲目の人には動物との触れ合いの場を設けていたのだが、とりわけ魚、イルカと相性の良かった盲の女性2名を倭寇の長・凶に預けたのだ。
2名とも船に乗れより魚と会話できると喜んでいたし、凶であれば丁重に扱ってくれるだろうと安心して送り出した。
そして今年の来航だ。以前から地図・海図・水深図を作成する専門家を探して貰っていたのだが、今回、待望の人材がやって来たのだ。
彼の名はフース・デ・クレメル、オランダ人だ。ゲラルト・デ・クレメルの次男だそうだ。ゲラルト・デ・クレメルで誰?と思うだろうがゲラルドゥス・メルカトルと言えばわかるだろう。そう、あのメルカトル図法のメルカトルだ。
フースは父と共に長年地図製作に携わってきており、一時はティコ・ブラーエ(注)の元でウラニボリ天文台で働いていた経験もあるという。ウラニボリ天文台では三角測量を行った経験もあるそうだ。
そんな凄い人材が良く手に入ったなと思って詳しい事情を凶に聞いたら、
『エスパーニャ人のマニラ市長と取引しました』
とのことだった。
どういう事かと言えば、マニラは倭寇の拠点ではあるがエスパーニャの植民地でもあるのだ。ただ、エスパーニャのガレオン船はメキシコのアカプルコから年に3回、太平洋を遥々4か月掛けてやって来るので、難破の危険もあり、マニラ港の防衛能力は脆弱だった。だからこそ、倭寇が勝手気ままにマニラで振舞っていたのだが、昨年、マニラ市長から倭寇に対して正式にマニラ港、セブ港の防衛任務を依頼されたのだそうだ。
マニラ貿易はエスパーニャに莫大な利益を生み出すが、エスパーニャ本国でその恩恵を受けられない商人が損失を国王に申し立てた結果、運行回数が制限されてしまったという。貿易船の運航が減るという事は護衛の軍船の来航も減ると言う事である。このままでは海賊がいよいよ跋扈するのを防げないと考えたマニラ市長は、海賊の元締めである倭寇の長・凶に正式に防衛依頼を出したという事だ。確かに凶と契約してしまえば下っ端の海賊は無茶はしないだろう。
凶は防衛任務の対価として、エスパーニャが明・東南アジアから入手している香辛料、磁器、象牙、漆器、絹製品の一割を要求、更にエスパーニャがメキシコから運んでくる銀の一割を要求、合わせて俺が以前から欲しがっていた地図・測量の専門家を派遣するよう求めたという。交易品や銀の一割はマニラ市長も直ぐに承諾したものの、地図・測量の専門家については最後まで渡したくなさそうだったらしい。
まあ、そんな人材を倭寇に渡して海賊がメキシコまで行くようになったら大変だからマニラ市長の気持ちはわかる。
結局、交渉決裂と次回来航するガレオン船の襲撃を仄めかして脅し、市長を折れさせたそうだ。そして、その”次回”来航したガレオン船に乗船していたのがフースという訳だ。
倭寇船にのっている歩き巫女は当然エスパーニャ語も話せるので、通訳に僻という凶の直臣を置いて行ってくれた。
それとは別に今回はエスパーニャの女性を3名連れて来た。金髪こそいない物の何れも俺好みのスタイル抜群女性だ。たったの3人ではばらけさせるのは可哀想だと思い全員俺の側仕えとした。夕の承諾を得るまで手を出せないのは言うまでもない。
他は家畜、農産品などだ。夕に何か言われたのか今回は金髪の女性奴隷はいなかった。後、何故かアフリカンの奴隷は男女問わず激減しているという。
農産品というか今回連れて来たエスパーニャ女性の持ち物の中に白花虫除菊があった。あの蚊取線香の原料となった菊である。観賞用として持ってきていたそうだが、これは貴重な品物だ。増やして蚊取線香を普及させよう。白花虫除菊は俺が赴任していた呉からほど近い因島で且つて大規模栽培されていた歴史があるそうで俺も何度か当時の資料を見たことがある。おそらくこの時代でも大規模栽培可能だろう。
白花虫除菊の殺虫成分であるアレスリンは非常に合成が難しく1949年まで実用化できなかったという高難度の物質で新津の研究所でも研究していない品物だ。日本でもマラリアが発生するこの時代、蚊取線香は大いに役立ってくれるだろう。
来て早々、早速大手柄のエスパーニャ女性3人には本人の希望を聞いて栽培奉行に抜擢しようか?
ところで、密貿易船へのこちらからの支払いだが、以前は日本刀やら漆器やら日本の特産品を渡していたが現在は全て北条札での支払いだ。北条札の明南部への浸透ぶりは今やかなりの物だそうだが、偽札を作ってる裏組織の人間が役人を買収したり脅したりしているそうで、未だ北京の明国政府は気付いていないという。
以前聞いた澳門の神社の話は本当だようで、今では市内に2か所、マラッカにも一か所あるという。その結果、日本の榊が物凄い高値で売れるそうだ。明南部や東南アジアでも榊は生えているが葉が小さいので日本の大きい葉の榊が一番見栄えが良いらしく物凄い人気だとのこと。折角なので北条札に加えて榊の枝を200本程贈呈した。
あの果心居士との大イリュージョンがここまで大きな影響を与えるとは、笑いが止まらん。
注)ティコ・ブラーエは、日本ではあまり知られていませんがデンマークの高名な天文学者です。天体望遠鏡が発達する以前、肉眼での天体観測者としては最高位の人物ともいわれています。彼の時代はまだ天動説の時代でしたが、彼が描いた宇宙図では水星と金星は太陽を回っています。ブラーエの観測能力の高さを感じさせます。




