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1599年のスワ王国

評価を付けて下さった方、有難うございます。


本話は長文です。

更に文中に地図を挟んでいるので読みにくかったらすみません。

1.南米侵攻軍

仁科盛信率いるブラジル攻略隊は原住民トゥピ人の案内でブラジル内の大河川を分隊して遡上、原住民を見つけるや保護と交易を持ち掛け領民化していった。主要な原住民集落には諏訪神社が建立され日本語指南役が派遣された。この頃になると日本語指南役が足りなくなり、スワ王国黎明期から日本語教育を受けていた旧モノモタパ王国のアフリカン達も指南役になっていた。


大西洋から艦隊で遡上できる大河と言えばやはりアマゾン川である。加藤水軍率いる艦隊はアマゾン川を進んで行くが、流域の原住民は友好的な種族が多く、トウモロコシや砂糖といった交易品を見せると次々と寄ってきてスワ王国民になれば定期的に売りに来てくれると知るとこぞって領民になっていったのである。さらに密林を生きる彼らはピグミー忍びに劣らぬ忍び適正を見せ、幾つかの村には忍びの里も置かれることになった。指南役はピグミー忍びから選任された。


数えきれないほどの支流があるアマゾン川だが、その内の一つの上流にある集落で出会った原住民の話に一行は騒然となった。


彼らはインカ帝国というアンデス山中から更に西に広がる帝国の住民だったという。だが、北から来た異人に国が襲われ王は捕らえられ、黄金や銀を身代金に要求された。帝国は王を取り戻そうと部屋一杯の金銀を差し出したが、約束は違えられ王は殺害されたと言う。随行している恭順したポルトガル人に確認したが、インカ帝国という国は聞いたことがないと言う。だが、原住民達は”サイカ”衆らが持っている種子島と同様な武器を侵略者達も持っていたと断言した。そう聞いてポルトガル人も断言した。


『ならば、その侵略者はエスパーニャに違いありません』


そこで、仁科軍は精鋭部隊を組織し、原住民の案内でインカ帝国に向かうことにした。大型艦はこれ以上上流には進めない。福島正則を大将に”サイカ”鉄砲隊の体力と身軽さを備えた者10名、ピグミー忍びから10名、通訳のトゥピ人2名の計23名で小舟に分乗、行軍を開始した。


アンデスの高地と言えば最大の脅威は高山病だ。流石の精鋭達もこれには困り何度か途中で下山を余儀なくされた。やがてインカ人が高山病に効くと言うコカの葉を取ってきて、これを煎じて飲むことでようやく部隊は高地に入り旧インカ帝国の首都クスコを発見した。


案内人のインカ人によるとこの町は一度徹底的に破壊され侵略者の様式に塗り替えられたのだという。現在はエスパーニャと思われる侵略者が街を支配し旧インカ国民を奴隷使役しているという。ただ、この高地に敵襲があるとは想定していないようで町には防壁も大砲も設置されていなかった。無防備な町にインカ人を装って入りこんだ部隊は直ぐにピグミー忍びを各地に派遣情報収集に努めた。寒冷な高地のためアルパカの毛糸を編んだ衣服に全身を包んだピグミー忍びは肌の色を目立たせることもなく町に溶け込んでいった。


その結果、エスパーニャの人口は数百だが高地なので井戸は数か所しかなく、人口の多いインカ人が使用できるのは一か所で、他はエスパーニャ専用だと判明した。


また、インカ人の中にもエスパーニャに抵抗の意思を持つ者がいることがわかった。


福島正則は案内人だったインカ人に彼らを組織化するよう命じ、エスパーニャのメイドになっているインカ人女性に井戸の水を汲んだ後、毒を入れるよう指示した。そして、作戦決行日、コブラの毒が大量に入った水を起きがけに飲んだエスパーニャ達は街中で悶絶し始めた。更に市長など要人の館にはピグミー忍びが直接入り込み侵略者の頸動脈に針で毒を刺して回った。


こうしてクスコのインカ人を解放した福島隊は、その後、インカ人の案内で平地に降り、安全を確認するとブラジル側から仁科軍本隊を呼び、低地を南北に分かれて調査して行った。そこでチリの硝石鉱床を発見するのである。エスパーニャがインカの地で主に採掘しているのは銅だったので、この硝石鉱床には気づいていないようだった。


(アンデス上流域とクスコ、チリ硝石)

挿絵(By みてみん)


一方、ブラジルの南部に発見されたもう一つの大河ラプラタ川に脇坂水軍の艦隊が向かっていた。彼らはそこで、未知の艦隊と遭遇する。船は2隻で見たこともない旗を掲げており、近づくと大砲を発砲してきた。脇坂艦隊は直ぐに応戦し一隻を撃沈、もう一隻は抵抗を諦め降伏した。近づくと敵の船員は皆驚くほど疲弊していた。難破寸前の船という感じだった。脇坂艦隊の船員がポルトガル語で話しかけると、相手の中にもポルトガル語が分かる者がいたので意思の疎通はできた。それによると、

・彼らはオランダの艦隊で、オランダ出港時は5艦だったが途中でエスパーニャやポルトガルの攻撃に合い今は2隻にまで減ってしまった。

・攻撃したのはポルトガル艦隊だと思ったからで、スワ王国については存在自体知らなかったので、敵意はない。

・飢餓に瀕しており革靴を煮て食べる事もある程だった。

との事だった。


総大将・脇坂安治はこの報告を聞くや、彼らの救助を決断した。これまでスワ王国が保護したオランダ人はポルトガル人に奴隷使役されているような民間人だったが、艦隊を率いる者であれば相応の立場の者の筈。元よりスワ王国はイングラテッラ、フランス、オランダと友誼を結ぶ意向だったのだ。


早速、スワ王国の意向を説明し、食料の提供とスワ王国の拠点までの案内を申し出た。


提督はシモン・デ・コーデス、副提督はヴァン・ビューニンゲンと名乗りとても感謝していた。そして、生き残った乗組員からイングラテッラ人の兄弟を紹介してきた。


提督に促され、オランダ語通訳→ポルトガル語通訳と二人の通訳を通して彼らは脇坂に挨拶する。


『この度は、お助け下さり有難うございます。私はイングラテッラ人のウイリアム・アダムスでございます』


『私はウイリアムの弟、トーマス・アダムスです。この度は、食事の提供、有難うございます』

(ラプラタ川流域)

挿絵(By みてみん)



2.アフリカ西方軍

”タロ”武田信勝を総大将とする西方攻略隊は既に制海権をスワ王国が握っているため、途中何度か交代で王都タカトに帰還しながらも順調に西へ行軍していった。既に1597年に現代のガーナまで領地化していたが、あれから2年、ついに戦象部隊で到達できる限界、現代の国で言うならば、コートジボワール、ギニアを始めとする大西洋岸諸国、セネガル南部、マリ南西部まで到達していた。彼らの快進撃を止めたのはサヘルと呼ばれるサハラ砂漠南部の乾燥地帯だ。流石の戦象も食料となる草地が無ければ進軍は出来なくなる。彼らが最終的に到達したのはマリ帝国というアフリカンの国家だったが、既に国としては後退期に入っており、更に北のサアド朝の脅威にさらされていた。マリ王国の王マフムード4世はスワ王国の属国になる代わりに、王国の且つての中心都市であるジェンネをサアド朝から奪還して欲しいと懇願した。戦象1000頭分の食料はマリ側で用意するという。

”タロ”武田信勝はこの提案を訝しんだ。マフムード4世は象が一回にどれ程の草を食べるか理解しているとはとても思えなかったのだ。更にサアド朝の戦力も充分に把握していないようだった。唯一の収穫はサアド朝の兵が銃を使用しているという事だった。アフリカでいやこの時代でポルトガル人以外で初めて遭遇する鉄砲を持った異人の軍である。”タロ”武田信勝は『本国に戻って相談する』と回答を保留した。その後、マフムード4世は単独でジェンネ奪還に挙兵したがサアド朝に大敗マリ王国はいよいよ衰退、マリ王国内の諸侯は独立を宣言すると共にスワ王国に保護を求め、最後はマフムード4世までもが保護を求めて来た。これで名実ともにマリ王国はスワ王国の傘下に入った。

(マリ王国周辺)

挿絵(By みてみん)


3.アフリカ東方軍

テテを出航した”ウン”森蘭丸以下三兄弟は水軍に経験がある三沢為虎に艦隊の指揮をまかせザンベジ川を下降した。既にアフリカ東海岸の都市でポルトガルに味方しているのはモザンビーク島だけである。行軍は戦というより接収に近かった。

ザンベジ川の河口部のソファラという港町がある。ここにはサン・カエターノ要塞

があり大砲も設置されていたが、敵など来るはずもなく今となっては使えるかもわからない旧式な物だった。新型大砲を搭載したスワ王国艦に叶うはずもなく町は半日で征服された。ソファラを抑えた艦隊は、以前から存在を知られていた東のマダガスカル島に向かった。島には南部にトゥリアラ、北部にマハジャンガ、北端にディエゴスアレスという三つの港があった。案内人のスワヒリ商人により、順調に3港に立ち寄り、交易の開始を要求した。島の原住民はサカラヴァ人といい元よりスワヒリ商人と取引があったので快く応じてくれた。艦隊はその後、モザンビーク島に向けて北上していった。

(三沢艦隊進軍図)

挿絵(By みてみん)


4.マラヴィ王国

この王国も現在はスワ王国に完全に臣従している。沿岸のルンボ港はモザンビーク島の対岸に位置する大陸側の港である。以前、ポルトガル船員が港で暴れ、報復に”コガ”衆の伴一族が暗躍した因縁の地だ。

当時、モザンビーク島総督は賠償のため大量の物品をルンボ港に納めたが、艦隊を呼んで後に取り返すつもりだった。だが、ゴアからもアンゴラからも思うような支援を得られず、結局、物資の奪還はならなかった。その後もポルトガル船の補給拠点として重要な地位を占めていたモザンビーク島だが、今、危機に瀕していた。

というのも従来より奴隷使役してきた島南部の原住民が一斉に蜂起し、島内のポルトガル人達を襲い始めた。更に、島の東部には金地に赤い丸の旗を掲げた未知の艦隊が姿を現していた。既にサン・セバスティアン砦は半壊し大砲は沈黙している。

やがて、艦隊から上陸してきた兵達は生き残ったポルトガル人を次々と殺害し原住民と共に首を跳ね、総督館の周囲を取り囲む様に串刺しされた生首が並べられた。

恐怖した総督は降伏勧告を受け入れ、スワ王国に降った。今後モザンビーク島は表向きはポルトガルの補給地として維持するが、総督は傀儡であり島はポルトガル船からの東方情報収集拠点として機能していく事になる。


こうして、アフリカ、南米にまたがる大版図を得たスワ王国だったが、以前、王国のままであり帝国にはならなかった。これは領土の割に人口が少ないというのもあるが、領地として臣下に与えてしまうと、例え婚姻して親戚になっていようと謀反の可能性を恐れたからである。 ”トノ”諏訪勝頼は日本時代、親戚に裏切られて一気に劣勢に立たされた苦い過去があった。その時の教訓がこの広大な国を中央集権国家にしていたのである。

チリ硝石、アフリカ、アマゾンの大密林から採れる木炭、アフリカに活火山は少ないが、中継地として使用している大西洋の島々は皆火山島であり硫黄の自国採集にも問題はない。更に、高炉製鉄、ライフリングを施した元込め式大砲、そこに蒸気機関の専門家が配下に入り、西洋の最新船の専門家アダムス兄弟も救助した。転生者のいないチート国家になりそうなスワ王国。今後、この国は世界史に何を残していくのだろうか?

ーーーーーーーーーーー 幕間章 日本人奴隷編 (完) ーーーーーーーーーー

1599年のスワ王国の版図と同縮尺の日本

挿絵(By みてみん)

長かった幕間章はこれで完了です。三浦按針は日本には来なさそうですね。

当初は死んだはずの戦国武将を生き返らせてアフリカや南米で大活躍させようと思ったのですが、雄大なアフリカや南米の風土や歴史を調べていくうちに、これらについても触れたくなってしまい、何だか中途半端な内容になってしまいました。


後日、外伝で武田戦象隊、雑賀鉄砲隊、加藤・脇坂水軍の大西洋での活躍を描くかもしれません。その節は宜しくお願い致します。

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