1597年のスワ王国・アフリカ北上陸軍
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”タロ”武田信勝を総大将とするアフリカ北上隊は戦象隊を主力とする機動部隊である。大砲を牽引する戦象も続いている。31歳となった信勝は武将として油の乗り切った時期を迎えていた。2年前にはマサイ族の女性を、昨年はアルメニア人の女性を妻に向かえ今では二人の子を持つ身である。
マサイ族は2年前、”タロ”武田信勝がマサイの女性を妻にした縁で正式にスワ王国民となった。これより、王国兵に加わるマサイの戦士は更に増えた。
マサイの女性との縁だが、完全にタロの一目惚れである。タロは彼女を口説くためにブラジルのキロンボから手に入れたパオ・ブラジルという染料で染めた鮮やかな赤い布を贈ったのだ。マサイ族が赤を好むのは知られていたが、従来は赤土などの泥染めのシックな赤布が多かったが、タロが贈った赤布は正に深紅の赤だったのだ。この赤に魅せられたのは彼女だけではなかった。彼女との結婚を認めるだけでなくマサイ族全員がスワ王国の領民となったのだ。
マサイ族達は皆深紅の赤布を欲しがっているがパオ・ブラジルはポルトガル人の乱獲で一度は絶滅しかけた木である。今はブラジル内陸で徐々に数を回復しているようだが、まだ大量に布を染めるほどの収穫は望めないのが現状だ。
”タロ”武田信勝に従う武将はカツ”尼子勝久、”シカ”山中鹿介の尼子勢、”マツ”松平信康、羽柴秀勝である。更に”サイカ”衆から一族の鉄砲の名手として認められた者が名乗れる雑賀孫一が誕生したので、孫一をリーダーとする戦象鉄砲隊が加わっている。
山中鹿介に関してはアフリカで様々な野生動物を見た”タロ”から鹿より遥かに早くて強い豹のスワヒリ語名”チューイ”に名前を変えないかと打診されたが拒否したという。鹿之助本人は鹿の持つ立派で美しい角が気に入っているらしい。
そんな戦象部隊1000頭がアフリカ北部を席捲する。象1頭につき兵3名が搭乗する。1人は象を操る役であり、他の2名が戦闘を行う役割だが、彼ら兵が出る前に1000頭の雄象という自然界ではありえない数と大きさに大抵は戦にすらならない。王都”タカト”を出陣した”タロ”武田信勝率いるアフリカ北上陸軍は、現代の国名で言えば、ケニア、ウガンダ、南スーダンと北上し原住民を支配下に置いた後、西に転じ、中央アフリカ、カメルーン、ナイジェリア、ベナン、トーゴ、ガーナ、まで進軍した。カメルーン以西の海岸線にはポルトガル人の港が点在し奴隷売買が行われていたが、ピグミー忍びの偵察によってポルトガル人の泊っている館、奴隷のいる牢を把握すると、戦象が引いて来た新型大砲が夜明け前に火を噴き停泊中の船、ポルトガル人の宿舎は大破した。暑いアフリカの海岸部では夜がポルトガル人が出歩くときであり、夜明け前の一番涼しいときが安眠できる貴重な時間なのである。正に睡魔が一番襲ってくる時間帯に大砲の轟音が轟いたのだ。港は瞬く間に壊滅した。
所で、奴隷貿易というのはポルトガル人がアフリカンを無理やり拉致しているのではない。現地アフリカン側に奴隷の売り手がいるのが普通だ。これら西アフリカの海岸地帯にもアフリカンの王国が存在し、奴隷として売られるのは王国に従わない部族、王位を狙う敵対一族等である。アフリカ北上陸軍は解放した奴隷に敵対一族や他部族の上位者を見つけると彼らを傀儡の王に立て、既存の王国を戦象隊で踏みつぶしていった。現代では人口爆発が指摘される西アフリカだが、この時代の人口は多くはなく、むしろ奴隷貿易で人が減っているので過疎地域と言っても良い状態だった。そんな状況も手伝って僅か一年余りで、王都タカトからガーナまで直線距離で6千キロはあろうかという大進撃が可能となったのだ。勿論、ビオコ島など洋上の島が既にスワ王国の手に落ち、ポルトガル側の艦隊増援が来なかったという点も大きい。
ポルトガルにとっては、奴隷を出すアフリカ側と奴隷を受け入れるブラジル側双方を失った事になる。しかも本土の国王はエスパーニャ王が兼務している状況であり、そのエスパーニャもアルマダ海戦でイングラテッラに敗れてじり貧状態だ。スワ王国は図らずも最高のタイミングで拡大を開始した事になるのだ。




