アトランティック倭寇
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スワ王国がポルトガルから奪った船は都合10隻程になる。中にはザンベジ川流域テテで拿捕して修理し喜望峰を回って西に入った船もある。加藤・脇坂・菅・熊谷といった水軍衆は現在大西洋で略奪の限りを尽くしていた。というのも、ノストラダムスからポルトガルとて本土近郊に敵国がないわけではないと知ったからだ。特にイングラテッラ(イギリス)はポルトガルとかなり仲が悪くしばしば戦争をしている事。そもそもポルトガルという国自体今はなく隣のエスパーニアの国王がポルトガル王を兼任している事を知った。これらの情報は奴隷商人から入ってきているようで、スワ王国では引き続きノストラダムスに彼らから情報を仕入れるよう指示した。と言っても齢百歳に近いらしい彼の寿命は間もないだろう。彼の死後はポルトガル人に奴隷使役されていたユダヤ人の老人を影武者に立てる予定だ。
広大な大西洋だがスワ王国水軍には航行の不安は少ない。ポルトガル王室がもう消滅しているという事実を知ったスワ王国ではルアンダやカビンダで捕虜にしたポルトガルの船員達を執拗に詰問し、薬物実験の材料になるか?スワ王国の水軍兵として奉公するか迫ったのだ。働きが良ければ将来スワ王国が北上した際、ポルトガル王室の復興も仄めかした。その結果、多くのポルトガル船員がスワ王国に協力し、ブラジルまでの海路案内や、今やエスパーニャの為に働いているポルトガルの貨物船の交易ルートを案内するようになった。また、船員の中には船の修理を行う者もいたが中にはスワ王国で南蛮船と呼んでいたガレオン船はじめ造船技術を持つ者までいたのだ。元より木材も金属もアフリカには豊富にある。彼らは”コガ”忍びらの監視の元、新たな船の建造に着手していた。
元々、ブラジルからポルトガルに至る海路に敵船などいない。故に貨物船は護衛艦がいない事が多く、海賊行為を始めて1~2年は略奪し放題だった。
ただ、ブラジルからの船が積んでいる物資は砂糖が圧倒的に多く、これらは大いにスワ王国で珍重されたが、やがて、ブラジルに移住した後逃亡した奴隷達と遭遇、サトウキビの存在や栽培法を彼らから知ると広大なスワ王国内でも生産するようになっていった。
やがてアトランティック倭寇と恐れられるようになった彼らは、貿易船の警備が強化されたこともあり、サトウキビ栽培技術のある逃亡奴隷の保護とアフリカ帰還、彼らがブラジルで築いたキロンボという小国との貿易に縮小していった。




