コンゴ王国侵攻
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モンバサで新たに明人、朝鮮人含め千名ものアジア人領民が加わったスワ王国は、周辺国のポルトガルの影響力を徐々に奪いつつあった。
新領民には、アフリカでの暮らしに慣れてもらう事は勿論、言葉を覚えてもらう事も必須となる。これは、明人、朝鮮人だけでなく日本人にも言える事である。
当初、アフリカンへの日本語指導は女性など戦働きに向かない者を軸にほぼ無作為に任命されていた。しかし、日本語と一概に言っても土地毎の方言があるので指導者毎の訛りのある日本語が教えられてしまっていたのだ。
大賢者”イデ”明智光秀はこの問題に気付き、日本語の共通化に着手した。”トノ”諏訪勝頼、”タロ”武田信勝の信濃・甲州弁に畿内や尾張の各方言、一般領民に多い九州出身者の方言を勘案し一つの日本語として均すという大作業を実施し、教本、辞書に纏めたのである。大賢者”イデ”の最高最大の功績と言って良いだろう。現在は日本語指南役はこの教本を使用して各地の社で指導に努めている。そして新領民もこの標準日本語を覚えるのが重要な課題だったのだ。
また、日本で当たり前だった毛筆も改められた。理由は紙の生産が上手くいかなかった為だ。元和紙職人の日本人はいたが現地の材料では紙はほんの少量しか作れなかったのだ。地元アフリカンには書物文化を持つ者は見当たらず、止む無くポルトガル人を真似て羊皮紙を使用したり樹皮を鞣して使用したり、素材の安価な織布等が使用されることになった。これらの紙に毛筆では滲みやすい為、筆に代わって主にヤマアラシの針が使用されることになっていった。
こうして日本文化をアフリカの土地に適応させ途絶えさせないようにしたのは、流石、大賢者”イデ”明智光秀である。
さて、そんなアフリカの暮らしやアフリカの日本語に慣れた加藤嘉明、脇坂安治といった元水軍の将達は水軍兵とともにアンゴラ領ルアンダでポルトガルから奪った艦船に乗り、コンゴ王国の奴隷貿易の主要都市カビンダに向かっていた。彼らは日本にはない竜骨の付いた艦船を操る事が出来る。何しろ、奴隷として足掛け2年以上もこれらの船に乗っていたのだ。当初は単なる奴隷労働だったが、海の男同士、自身のポルトガル語の上達と共にポルトガル水兵とも徐々に会話をするようになり、時には彼らの仕事を手伝う事もあったという。こうして水軍兵は南蛮船の操舵も覚えて行ったのである。
尚、ルアンダはスワ王国の支援を受けたンドンゴ王国の度重なる襲撃を受け頼みの大砲を積んだ艦船も奪われてしまい事実上陥落状態である。一隻も逃がさなかったのでポルトガルの救援軍は暫く来ないだろう。
カビンダ港には奴隷船数隻と護衛の艦船1隻が停泊していた。事前にピグミー忍びが潜入し現在出港間近の船はないことが分かっている。やがて艦隊に港のポルトガル人達が気が付いた。味方の来航と思ったのだろう、手を振ってる者もいる。だが、加藤・脇坂艦隊の目的はポルトガル船の確保と奴隷達の解放である。港のポルトガル人に向け容赦なく大砲が火を噴いた。この艦が搭載している艦砲はカノン砲という。日本には未到来だったが水軍兵達はポルトガル艦とオスマン朝艦隊との戦いで使い方を覚えたのだ。無警戒だったカビンダ港は船を残して吹き飛んだ。奴隷を収容している牢は港より奥にあるので無傷だ。予め申し合わせていた通りピグミー忍びが牢を開錠し奴隷達を救出していく。カビンダは港以外は石造りのポルトガル船員用の館が数軒立ち並ぶだけの小さな集落である。これら館も瞬く間に大砲の餌食となりポルトガル人達は抵抗を諦め降伏した。カビンダ港に収監されていた奴隷達はキリスト教に改宗したコンゴ王族に反対し抵抗していたレジスタンス達だ。他には少数だがドイツ人、オランダ人といった白人の奴隷もいた。ピグミー忍びからンドンゴ王国侵攻の経緯を聞いた解放奴隷達は水軍兵と共に降伏したポルトガル人達を拘束し奴隷船に載せていった。
一方、陸路からはスワ王国の軍師”ノガ”野上房忠に率いられたンドンゴ王国の戦象兵が王都サン・サルヴァドールに迫っていた。王都には大砲はない。国王がキリスト教に改宗したとはいえ、最強兵器である大砲をアフリカンに渡す気はポルトガルにはなかったのだ。マラヴィ王国のルンボから象に引かせて運んできた大砲3門が火を噴き王都に轟音が木霊した。続いて四方から押し寄せる戦象弓兵槍兵の突進に外壁もない王都は大混乱となり、銃兵は象の突進に恐れをなして逃げ出し、町は直ぐに大破した。また、ここにもピグミー忍びが潜んでいたが、彼らにとってコンゴ人はスワ王国の配下となる前は食人されることもあった憎い相手である。
軍師”ノガ” より、『王都は”ネギリ”にする』と言い渡されていたので、毒矢を惜しみなく投入し門衛を殺害し王宮に突入した。コンゴ王はアルバロ2世とポルトガル風の名前を名乗っているがコンゴ人王族の血統である。ピグミー忍び達は王宮内の人間を男女問わず大人子供問わずブラックマンバの毒を塗った針で刺し殺していった。
王・アルバロ2世とその親族らは死後、日本式に首を刈り取られ王都の中心部に晒された。これで事実上コンゴ王国は滅亡した。
さて、王都にも牢獄はある。ここには且つて国の指南役だった呪術師達が捕らえられている。彼らは”ネギリ”の対象外であり、保護し諏訪大明神を信仰するべく国民の導き手になるよう仕立て上げられるのだ。
そして、王宮地下にも少し瀟洒な牢獄があった。そこにはアフリカンのメイド数名に世話をされている白人の古老が一人いた。
連絡を受け、軍師”ノガ”が護衛を伴い、直々に古老に面会に赴いた。瀟洒とはいえ牢に居る以上反ポルトガルの人物に違いないからだ。
メイドの通訳を介し古老から事情を聞く。彼曰く、
『自分はフランス人の医師であり、占星術師だ。フランスでは国王に呼ばれるほど成功していたが、ある時、王妃から王子達の未来を占うよう言われ、実直に占った結果を答えたら、王族から大いに不興を買い田舎に蟄居させられた。その田舎でも身辺に不安を覚えたので、隣国で海洋に進出していたポルトガルに逃げ、ポルトガル船でコンゴまでやってきた。ここでの暮らしは悪くはなかったが、やがて、コンゴ王が国内治安維持の為ポルトガル軍を呼んだため、自分の居場所がフランスに知られるかもしれないので、王宮地下で隠遁していたのだ』
”ノガ”は興味深く古老の話を聞いた。というのもフランスなどと言う国は初めて知ったし、”ノガ” は元よりスワ王国のアジア人にとってはオスマン朝の先にある国はポルトガルだけだと思っていたからだ。
古老はたどたどしいがポルトガル語を話したので、”ノガ”は今度は直接尋ねた。
「ご老体。つまり其方は、ポルトガル軍からも”フランス”とやらからも逃げているという事であるな?」
『その通りじゃ。老い先短いとはいえ穏やかに天に召されたいものだ』
「では、ご老体の身は我らスワ王国が保護しよう。だが、我が国はキリシタンの国ではない。我が国ではキリスト教の布教は固く禁じられている。それでも良いか?」
『自分は宣教師ではないので、布教など絶対しない。是非、スワ王国で天寿を全うさせて下され』
「ふむ。ならば良い。時にご老体、名は何と申す?」
『私はミシェル・ノストラダムスと申します』
こうして、スワ王国は西方の易者ノストラダムスを得た。スワ王国は彼を通して、ヨーロッパの国々について知っていく事になる。




