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アフリカの命

評価を付けて下さった方、有難うございます。

現在、スワ王国にはマンサンガノ砦で捕らえた千名を超えるポルトガル人奴隷がいる。他にモンバサで捕らえた20名のポルトガル人スペイン人建築家もいる。




彼らへの尋問はただ一つ、ポルトガルが有しているような艦船を作れるか?の一点だった。日本人の水軍関係者が手に入ったとはいえ、南蛮船は日本人では作れないのだ。大洋を航行可能な艦船を作ってくれれば、厚遇を約束するし、希望するならポルトガルに帰すと誘ったが、協力する者は皆無だった。マンサンガノ砦で捕らえたのは兵であり、モンバサで捕らえたのは砦の建築家。船を製造できる者がいなくても不思議はない。しかも、水攻めという奇想天外な計略を用いるスワ王国にポルトガル本国まで到達可能な艦船を持たせたら本国まで危ないという意識も捕虜たちにはあった。


となれば、捕虜の使い道など一つしかない。激務な鉱山労働は体力にまさる地元アフリカンが行っている以上、彼らは実験材料である。現代では”治験”という言葉があるが、この時代のやり方は人体実験そのものだ。




密林は薬の宝庫である。現代でも製薬会社の多くがアマゾンに研究所を構えているが、それはアフリカの密林にも言える。製薬会社がアフリカの大森林に進出していないのは現地の政情不安や交通の便の悪さ等が原因だ。そして今、アフリカの大密林、森林の多くはスワ王国の領内にあるのだ。そして、薬の宝庫ということは毒の宝庫でもある。現状、毒は、蛇、サソリ、タランチュラ等生物から得ているが、植物からの毒の研究も開始された。


そこに毒の攻略対象であるポルトガル人が手に入ったのだ。人体実験に利用されるのも無理はない。


因みに、忍びといえば毒物という印象があるが、”コガ”甲賀衆や真田の忍びは日本では毒は使用していなかった。なので、様々な木々の葉、枝、根、皮を煎じたり、樹液を絞ったりと一からの実験である。


研究所はピグミー忍びの里であるコンゴ川大森林地帯に置かれた。所長にはかつて”トレス”の護衛としてピグミーの里に赴いた”コガ”の忍び”ミク”がついた。”ミク”は甲賀五十三家の一つ三雲家の者である。羽柴秀吉が引き起こした”甲賀ゆれ”により、野武士に落ちアフリカまで落ち延びた甲賀衆の一人だ。研究者には他に”コガ”衆5名、”サイカ”雑賀衆5名、モンバサで合流した日本人から薬師の経験がある者10名、地元ピグミー忍び10名という大所帯だ。


ピグミー族は矢に毒を塗って使用するが、これは森の中でよく見かける草から煮だした物だった。麻痺毒なのでアフリカ・トリカブトと名付けられたが、本物のトリカブト程の強い毒性はなかった。


また、実験で悶絶しながら牢に戻された同僚の捕虜の姿をみたポルトガル人捕虜の中には、


『私は医師だ。何でも協力するので彼の診察をさせてくれ!』


と申し出る者も現れた。こう言った自称”医師”には監視付きで実験に協力させた。


こうして大森林研究所で毒・薬の研究が行われ、スワ王国ではこれらに関する知識が飛躍的に向上していく。


元々人口密度の低かった上、奴隷貿易で多くの人々が連れ去られたアフリカで、彼らの発見した毒が多くのポルトガル人の健康を害し奴隷落ちするアフリカンの激減をもたらし、彼らの発見した薬が多くの人を救いアフリカンの命を助けていく事になるのである。

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