アンゴラ調略・マサンガノ砦水攻め
予約投稿の日付の設定を間違え2話投稿してしまいました。第171話も同時に投稿されていますので、171から先にお読み下さい。
マタンバ王国・カンボ女王からの紹介状を携え、スワ王国使節団はンドンゴ王国の王都カバサを訪れていた。ンドンゴ王国の当代のンゴラ(王)はンジンガ・ンバンビ といった。ンゴラ(王)・ンジンガは先だってポルトガルと交戦、王都カバサまで相手を引き入れた所で逆襲し撃退したところだと言う。彼はカンボ女王の書状にあったスワ王国の軍師の活躍にとても興味を示した。というのも一度は撃退したポルトガルだが、ンドンゴ領南部クアンザ川の畔マサンガノに砦を建設し再度侵攻の兆しを見せているからだ。更に、クアンザ川南部にはインバンガラという在地の残虐な武装集団がおり度々ンドンゴ領内に進攻しては略奪を繰り返しているのも悩みの種だった。
ンゴラ(王)・ンジンガは使節団長”スエ”に早速要請する。
『カンボ女王からの書状は拝見した。我が国はポルトガルや南方の蛮族との戦いに明け暮れている。是非、スワ王国の軍師の力を貸して欲しい。その者が望むなら我が軍全軍の指揮権を与えても良い。どうか、よろしく頼む。ただ、我が国ではディアマンテは多少取れるが、銅、鉄は殆ど産していないのだ。代わりの対価として何を差し出せば良いだろうか?ポルトガルのように奴隷を望むなら手配するが・・』
これを聞いて”スエ”が慌てて否定する。
「いえいえ、私達も元々はポルトガル人の奴隷で酷い目に合わされてきました。それ故、我が国では奴隷は使役しておりません。ただ、領土の割に人が少ないのは事実ですので移民であれば歓迎いたします」
『そうだったか。我らが奴隷としている者は貧困が原因で食っていけず犯罪を犯した者なのだ。スワ王国で移民を募集していると知れば、彼らも犯罪を犯さず移民に応じるかもしれん。そうなれば我が国の治安も良くなり大助かりだな』
「失礼ながら貴国では、そこまで貧困に喘いでいる民がいるのですか?」
『うむ。昔はそんなことはなかったのだが、先程言った南方の蛮族、インバンガラというのだが、こ奴らがとにかく残虐非道な連中でな。奴らを恐れ南から我が国に避難してくる人が多いのだ。その勢で我が国で養える人口より多くの人間が領内に居ると言うのが実情なのだ。最近ではインバンガラとポルトガルに連携の兆しもあってな。そうなれば、我が国だけでは対抗しきれん。そんな事情もあってスワ王国の軍師殿の采配に期待しているという訳だ』
「ならば、早速、我が方の軍師と貴国の軍関係者の顔合わせを行いましょう。頂く対価はディアマンテ、移民募集にポルトガルを破った際のポルトガル人奴隷で充分でございます」
その日、夕刻、早速、軍師”ツル” 陶鶴寿丸、”ノガ” 野上房忠とンドンゴ王国軍関係者の顔合わせと情報交換が行われた。
・マサンガノ砦の後ろにあるクアンザ川は小さい河川でポルトガル艦隊が来襲する心配はない。
・砦の建設にはンドンゴ王国の国民を拉致して奴隷使役していた関係で砦内部事情に詳しい者も国内にいる。
・インバンガラはポルトガルと奴隷貿易をしているらしいが、今の所、連合軍を組ような動きは見られない。
・砦にはポルトガル兵千名位が常駐しており、時折クアンザ川を通って補給船が来ている。
ンドンゴ王国からの情報は以上だった。
これを聞いて、”ツル”と”ノガ”は即答した。
『ならばまず川を封鎖し補給を断ちましょう』
『その為には、現場の視察。大砲は何問あるか?補給船の来る間隔を知る必要があります』
川の封鎖という話をンドンゴ軍人は理解できないようだ。
だが、スワ王国の軍師らは”サイカ”から紀伊太田城、備中高松城の戦いで秀吉による水攻めが行われた事を聞いていた。ンドンゴ領内には大勢の貧民がいるというし、砦の地形次第では堤を築いてクアンザ川を堰き止め砦を孤立させる事が可能と考えたのだ。
その後、王国が保護していた砦建設の奴隷労働から逃げ出してきた者に話を聞いた。それによると、
・砦は正方形で高さ最頂部でおよそ30メートル。川岸に小型艦10隻ほどが係留できるドックがある。砦の内部は兵の詰所と牢からなっている。最頂部は見張りが常時交代でいる。
・砦の周囲は森で最頂部の見張りからの視界はあまり良くない。
・建設奴隷達は砦完成後に殺されたが、自分達は隙をみて森に逃走、運よく逃げおおせることができた。
・補給船は建設時には10日に一度の割合で来ていた。完成後は分からない。
・砦に係留している小型艦が大砲を一門備えているのを見た。
・砦自体には大砲は設置されていない筈。
周囲が森と聞いて早速ピグミー忍びが派遣された。地形を調べる”コガ”衆も出発して行った。
20日後、先ずは”コガ”衆が情報を持ちかえって来た。彼らによると、
・砦は南にクアンザ川、北にルカラ川が流れ砦の1キロ程下流で両川が合流している。
・合流地点の川幅は100メートル弱、水深は2メートル程度。
・北のルカラ川は森の中を蛇行して流れており堤防を築いても、砦に気付かれる心配はないと思われる。
・両川とも付近に高台など高地が存在しており堤防は作り易そう。
これを受けて水攻めを行う事を正式に決定し、
・ルカラ川は川に沿って高さ10メートル厚さ20メートル長さ1キロの堤防を設置
・クアンザ川は砦から見えない南部の支流分岐点を封鎖すると共に南岸の森内の低地10か所に高さ10メートル厚さ20メートルの堤防を設置
・川止めは幅の狭いルカラ川から実施、ルカラ川からの水が完全に止まったら合流地点の少し上流の崖地でクアンザ川の川止めを実施する。
・作業は王国内の仕事の無い貧民を食料を対価に使役する。
・大砲を備えた艦はクアンザ川上流から砦に火矢を放ち、上流の浅瀬に誘い出し座礁させる。
・補給船はクアンザ川の両岸が崖地になっている地点で上から攻撃を加え必ず拿捕する。
と決定した。ンドンゴ軍人は半分も理解できていないようだったし、理解できた者もそんなに上手くいくのか?と半信半疑の反応だったが、
・貧民には食事というのは最大の対価であるから間違いなく大勢参加する。
・ポルトガル人は我らを猿同様の土人と侮っているので必ず上手くいく。
と説明した。
貧民に与える食料はポルトガル人が南米から持ち込んだマニオク(キャッサバ)である。ポルトガル人はこれを支配下に置いたルアンダ周辺のアフリカンに栽培させているが、マニオク(キャッサバ)は一度植えればあまり手間をかけずに成長ししかも長期にわたって収穫が可能な大変有用な作物なのだ。ルアンダに潜入したピグミー忍びがこの事を知るや、夜闇に紛れて畑を荒らし、相当量のマニオク(キャッサバ)を持ち帰っていた。ポルトガル人から見れば野生の猿の仕業としか思わないだろう。こうして大量の労働者を得たンドンゴ軍は”ツル”と”ノガ”、および”コガ”衆三名を奉行とし、堤防構築に取り掛かった。土嚢は森の木枝を編んだ袋に土を詰めて作っていく。慣れたら、堤防設置現場で袋から製造していく、周囲は森だから木枝も土も材料には事欠かない。労働者に唯一義務付けたのは大声を出さない事だった。砦の見張りに気付かれる恐れがあるからだが、それでも気付かれた場合は森内に展開するピグミー忍びが使役する毒蛇や毒蜘蛛を樹上からポルトガル兵の襟内に巧みに忍ばせ、撃退した。やがて、森に入ってくるポルトガル兵はいなくなった。
最大時で一万人位の貧民を使っただろうか?堤防現場でも千人近い労働者が作業し、ついに川止め以外の堤防は完成した。
この間、現れた補給船は3度、何れも現地で手名付けた象やサイを使って崖から大岩を落とし撃沈した。”コガ”衆にとって最早、象など草食獣の餌付けは簡単な作業と化していた。水没した補給物資は食料やワインが大半だったが、火薬や弾があった場合は鰐使いに警護させて確保に努めた。
こうして堤防作業開始から凡そ二月、ついに最終局面を迎えた。砦に係留されている砲艦のおびき出しである。上流から突如現れた小舟の集団が砦や艦に火矢を射かける。砦は土壁造り、船も塗装が施してあり発火の心配はほぼないが予想外の敵襲に慌てたポルトガル兵が次々と船に乗り込み発艦してくる。小型艦とはいえ大砲を積んだ船である、海と違い森内の川では帆も効果はなく手漕ぎ頼りであり、襲った小舟の方が速かった。クアンザ川は所々蛇行しており中々大砲を発砲できる場所に行きつかない。気が付けば浅瀬に竜骨を取られ座礁した所に森内から火矢が射かけられ、迎撃に船外に出たポルトガル兵は鰐使いによって次々と襲われていった。浅瀬で座礁した砲艦は都合4隻。まだ6隻砦に居る事になるが、鰐使いに護衛された”コガ”の潜水夫が巧みに砦に接近船底に穴を開けていった。
船は船底に穴を開けても簡単には沈まない。停泊している限りは外目には異常は見当たらないが、動かした時には酷い事になるだろう。
こうして、船への細工も終えた夜半、ついに川止めが実行された。まずルカラ川に大量の土嚢を投げ入れ北の堤防や南の丘と同じ高さにする。日本の川と違い大陸の川は流れが遅いので川止めの難易度は高くない。単純な力作業である。一夜にして高さ10メートルの堰が完成しルカラ川の川止めは終了した。
翌日、干上がった川から怒り狂った野生の鰐が出てきたが槍兵に直ぐに始末された。鰐は革は防具に肉は食用にと非常に有用な動物なのだ。
ルカラ川の水は徐々に徐々に砦の北側に浸水していく。
この日の夜はいよいよ作業の仕上げ、クアンザ川の川止めだ。川幅50メートル水深2メートルの大河を止めるのだ。数えきれない土嚢が投入された。結局、作業は夜間では終わらず止む無く日中も継続する事になった。この時期のアンゴラの日中は気温30℃を超えるが食料を得たい貧民労働者は作業を辞めない。一方、ポルトガル人は日差しを嫌がり砦から全く顔を出さない。その日の夕刻、ついにクアンザ川の川止めも完了した。後は砦が水没するのを待つだけである。
大陸の大きな川を二つも堰き止めたのだ、一週間もすれば砦は見張り塔を残して水没した。千人のポルトガル兵は6隻の小型艦に分乗し砦から避難しようとする。明らかに定員オーバーだ。程なく船底に穴が開いている船は重さに耐えられず沈み始めた。大砲の火入れ部が沈めば、こちらが姿を見せてももう大丈夫だろう。
念のため舟の前面に鉄の防弾壁を設置した小舟で沈みゆく船に接近していく。因みに砦の見張り塔には残っている人は誰もいない。
ポルトガル人はここで漸くこの水害が人災であり攻撃を受けていたんだと気が付いたようだ。慌てて銃撃を仕掛けて来るが定員オーバーだから兵数の割に銃撃は少ない。その内、甲板から身を乗り出して発砲しようとした兵が鰐に咥えられ川に引きずり込まれた。”ツル”がポルトガル語で警告する。
『降伏しろ。降伏すれば殺害しない』
このままでは小型艦は水没必至。そして水没すれば全員鰐の餌食だ。程なく、敵は降伏した。
『武器を手放し。両手を上げろ。銃撃音が一発でも聞こえたら降伏は無効とする』
そう脅迫し、小型艦に近づく。
乗船したンドンゴ・スワ連合軍は敵兵の首筋に次々に毒を塗った楊枝大の針を刺していく。この毒はコンゴで研究したアフリカ眠り病の毒だ。首筋に刺すと効果覿面で直ぐに相手は眠ってしまう。瞬く間に千名のポルトガル兵を眠らせ、武器も回収、堰を切って水を抜き、周旋した。結局、この戦いを通して鰐使いの鰐に食べられた数人の被害だけで千人に及ぶポルトガル兵の捕虜と大砲10問、大量の火薬・弾を調達できたことになる。




