アンゴラ調略・マタンバ王国
誤字報告有難うございます。
スワ王国はザンベジ川下流域のテテを発祥としているが、テテは依然としてポルトガルから搾取する要の場所であり、町づくりなどは行われていない。そもそも、酷暑の地域であり、日本人が住むには厳しい気候だったという理由もある。
このため、事実上のテテ領主である”ウン”こと森蘭丸が”コガ”勢を起用しポルトガル商館を傀儡にしつつ、やって来るポルトガル船の監視を行っているのが実情である。
一方大賢者”イデ”こと明智光秀は、旧モノモタパ王国の宮廷があった地はポルトガル人が過去に来訪しているという理由で嫌い、旧トルワ王国の首都カミをスワ王国の実質的な首都としていた。実際、アフリカ南部を抑えるのにはカミは南部の中央部に位置し都合が良かったのである。ただ、余りにも早い南部アフリカの占領と、”トノ””トレス”による圧倒的な北部制圧により現在のカミは領土の南に位置してしまっているのが問題だ。
以前、自ら戦象を駆り出陣していく行動派の”トノ””タロ”に評定の場で、
「大将たるもの、寡兵で先陣に出るべきではありません。何処に敵がいるか分からぬのです」
と苦言を呈したら、森三兄弟に
『『『お 前 が 言 う な ! ! !』』』
とばかりに、思い切り睨まれたのは苦い思い出だ。
何れは適当な地に街を作り正式に遷都したいところだが、まだ、人が足りていないのが実情である。
そして、今回はスワ王国北西部に位置するポルトガル領アンゴラへの調略である。
現在アンゴラは沿岸部はポルトガルが領有しているが、内陸部には、ンドンゴ王国、マタンバ王国という二つの王国が存在しておりポルトガルと争っている。この両国を取り込みポルトガルをアンゴラ沿岸に釘付けにしておくのが目下の目標である。この両国で話される言葉はバントゥー語群のキンブンド語であり、言語習得の為に秘密裏に両国の民を拉致してきていたのだ。どこの国でもそうだが、最下層の民の暮らしは厳しく路上生活者も多くいたので、スワ王国に連れてこられて不利益を被った人間は殆どいなかった。そして、今回送り込むのは”トノ”や”イデ”らより早くからアフリカに来ていた、元防長の名門・大内家武将、陶長房、陶貞明、陶鶴寿丸、野上房忠の4名である。
1584年に”イデ”らがアフリカに着いた時、彼らは自分達が且つて戦国武将だった事すら忘れ完全に奴隷生活を送っていた。だが、”トノ”や”イデ”らは彼らが名門・大内家の重臣・陶家の家系である事を知り、時間をかけて武将の志から思い出させていった。やがて彼らは自分達が謀将・毛利元就の手により没落させられたことを思い出し、大いに怒り、そして、今度は自分達が謀将になろうと研鑽を始めたのである。幸い”イデ”が持参した「孫子」「韓非子」といった兵法書はあったし”イデ”らと同じ船でアフリカにやってきた宇喜多直家という毛利元就級の謀将が師匠となり彼らを手ほどきした為、今では外交役には最高級の武将に成長していた。
宇喜多直家は本当に物凄い謀将である。何しろ権謀術数の限りを尽くし最後は家族からも警戒され命を狙われたので鉢屋を雇って城を脱出、南蛮船で日本から逃げ出したというお人である。南蛮船内でも彼の謀将ぶりは健在で、ポルトガル語や明語も碌に出来ないのに、明人奴隷を嗾け反乱を起こさせ、ポルトガル人を幾人か殺させた所で。日本人奴隷が明人奴隷を制圧して見せ、船内での日本人の地位を向上させたりとやりたい放題だった。ただ、船の中で体調を崩しテテに着いた時にはもう体調はかなり悪化していた。日本時代に対立した毛利家を自分と同じように宿敵としている陶家の4人に後を託そうとしたのか、全霊を注いで彼らを育て、直家は”コガ””サイカ”がアフリカにくる一年前にその生涯を終えた。
そんな陶氏の謀将サラブレッド達が”コガ”衆を伴ってンドンゴ王国、マタンバ王国に友好使節として赴くのである。彼らのニックネームは、
陶長房:”スエ”、陶貞明:”サダ”、陶鶴寿丸:”ツル”、野上房忠:”ノガ”
と名乗っている。ニックネームは日本人名はアフリカンには非常に呼びにくいので付けられるものだが、陶貞明や大賢者”イデ”の例でも明らかなように最早、諱がどうの?などと言う日本時代のしきたりは忘れ去られている。この辺りは、アフリカまで来て生き抜こうという人間の臨機応変な思考のなせる業である。逆にこうした変化に対応できない者はアフリカまでこれないか、来ても直ぐに命を落とす結果になるのだ。
”スエ”を大将とする一行はまずはより内陸にあるマタンバ王国に向かった。既にアフリカに30年近く住んでいる彼らはバントゥー語群であるキンブンド語の習得も早く、外交役に適任だったのだ。
マタンバ王国は代々女王が治める国であり、現在の女王の名はカンボという。”スエ”一行にとって誠に好都合な事に彼女はまだ独身だった。
使節の代表”スエ”は女王の前に進み出て跪き挨拶する。
「この度は、お目通りをお許しいただき誠に有難うございます。私はスワ王国使節団の代表を務める”スエ”と申します。私共スワ王国より、女王様に献上する品をいくつかお持ちしました故、後ほどお納めいただければと思います」
カンボ女王も答える。
『ふむ、スワ王国の友好の意に感謝する。わが国では西のウドンゴ王国と同盟しているが、彼らは沿岸にやって来るポルトガルという肌の白い者達から攻撃を受けていてな。貴国から軍事援助も貰えれば有難いのだが。対価としては、わが国では銅、鉄といった鉱石が産する故、これらで支払う事ができる。あとはポルトガル人がディアマンテと呼ぶ極めて固い石が取れる。我らは槍の先端に使用しているが、興味があるならこれも提供しよう。如何か?』
”スエ”は
「ポルトガルについてはわが国も警戒しております。銅、鉄は我が国でも重宝しており交易が成り立てば有難いことこの上なしでございます。またディアマンテという石も関心を持つ者もいるでしょう。ですが、軍事援助となると我が国は領土も広いので自国の守りに多くの兵を配置しており、あまり多くの兵は派遣できません。そこで、軍師を派遣するのはいかがでしょうか?貴国ではどのような兵法を用いておりますでしょう?差支えない範囲で教えていただければそれに沿う専門家を派遣いたします」
『へいほう?であるか』
女王は困惑気味だ。
「はい、戦とは大勢の兵に武器を持たせて網雲に突撃させるだけでは勝てません。例え勝てても味方にも多くの被害が出て戦を継続することができなくなってしまいます。逆に兵を適切に運用し、意図的に敵に押されているように見せ、こちらに有利な地形に敵を引き込む等すれば、少数の兵でも大軍を倒す事が可能となります。それが兵法です」
『う~む。そうであるか』
女王は唸ってしまった。マタンバ王国の戦い方は正に”スエ”が言ったような数に物を言わせての突撃だったからである。
「貴国ではジャガ族の侵攻・略奪の被害にあっていると耳にした事がございます。一度、我が国の軍師の差配でジャガ族と交戦してみてはいかがでしょうか?」
確かにマタンバ王国では南東部から神出鬼没に現われる戦闘集団ジャガ族に頭を悩まされていた。しかし、自分の国の兵を外国の将に采配させて良い物だろうか。考えた末に女王は口を開く。
『確かにジャガ族には我らも困っておる。だが、ポルトガルへの備えも必要で奴らに差し向ける兵は千人がやっとの状態なのだ。兵種は槍兵、弓兵、剣士だ。ポルトガルから分捕った銃というのもあるが使える者がいなくてな。一度、スワ王国の軍師殿に采配を任せてみたい。ただ、ジャガ族は何時何処に現れるかわからんのだ。そこが一番の悩みの種でな。こちらの軍が着いた時には奴らは略奪を終えて去った後という事が多いのだ。その辺りは貴国の軍師は如何考えるかな?』
”スエ”はしてやったりという内心を抑え平然とした顔で答える。
「今回の使節団に我が軍で軍師を務めている者がおります。詳しい話はその者を交えて行えればと思います」
実を言えばジャガ族はとうの昔にスワ王国の配下になっており、マタンバ王国に侵入を繰り返していたのは、今回の為の布石だったのだ。
マタンバ王国の首都マタンバから東におよそ100キロの村クアンゴ。クアンゴ川の畔にある交易と漁業の村である。ジャガ族のこれまでの襲撃の履歴を分析した結果、次はこの村が狙われる可能性が高いと判断され、この村の郊外にマタンバ兵500が駐屯していた。幸い村の周囲は森であり隠れる場所には困らない。今回の軍師は使節団の一員”サダ”こと陶貞明である。一応、総大将はマタンバの将軍だが今回は”サダ”の采配を前面的に受け入れるよう女王に命じられている。
駐屯することおよそ3日、ジャガ族が姿を現したとの報告が物見からもたらされた。この物見は、コンゴ川の密林地域で”サスケ”に育成されたピグミー族の忍びである。森の中では彼らの索敵に叶う者はいない。
ジャガ族は村の南がら迫ってきている。数はおよそ500。
”サダ”は槍兵100に良く磨かれた銅鎧、銅兜、更にディアマンテ他美しい石の首飾りを付けさせジャガ族の迎撃に向かわせた。
村を狙って北上していたジャガ族は煌びやかな槍兵達の出現に驚き、やがて兵数で有利だと分かると目標を変え槍兵に迫って来た。槍兵らは予め決められた通り、敵が突撃してくるや、交戦を諦め後退しクアンゴ川の対岸の開けた場所まで下がった。ジャガ族も後を追って川を渡ってくる。やがてジャガ族500の内半数が川を渡り終え、半数が川の中に入った所で、周囲の森から一斉に弓兵が矢を射かけた。ジャガ族は民間人の村の略奪が主目的なので防具はあまり纏っていない。毒を塗った矢を浴び次々と倒れていく。また、川の中ではピグミーの忍びが使役した鰐が上流、下流から川中のジャガ族に襲い掛かっていく。結果、500人のジャガ族は半数が死亡、残りも傷を負い這う這うの体で逃げ帰って行った。
マタンバの将軍は僅か100の槍兵と200の弓兵で、ジャガ族500を打ち負かした事に驚き、”サダ”の用兵の巧みさを女王に報告した。女王は”サダ”を正式にマタンバ国軍師に任命、”サダ”と配下の忍びを借り受ける対価として、銅、鉄、ディアマンテ他領内で産する色石のスワ王国への献上を約束した。
一方、敗走したジャガ族。彼らはスワ王国が派遣した使者から今回はクアンゴ村で銅を略奪するよう命じられていたのである。使者はいうまでもなく”コガ”者である。そんな彼らの前に磨き抜かれた銅の装備で寡兵が登場したとなれば追っていくのも無理はない。このクアンゴ川の戦は初めからスワ王国の掌の上の戦いだったのである。




