モノモタパ王国征服
マニカ、キベテ、セダンダの東部3国を従えた奴隷軍は一度テテに戻り体制の立て直しを行った。3国の首長からは”イデ”の進言により親族を人質にとり裏切られないようにした。テテでは忍びからポルトガルの情勢が伝えられたが、それによると、
彼らは現在北部のマラヴィ王国と紛争状態であり、南部への派兵の心配はないとのことだった。
このため、ポルトガル船の交易船を通関で足止めし、南部情勢を知られないようテテ留守居役の”ウン”に指示し、”トノ”を大将とする千の兵で再びセダンダに進駐した。この地は高原地帯であり草原も多く象も多くいるのである。
”トノ”も”タロ”も且つては武田騎馬軍団を率いていた将である。この地には馬は少ないが象がいる。実際、且つては戦象軍団なども組織されたという伝承もある。”トノ”はこの地に戦象軍団を復活させたかったのだ。幸い配下のマラヴィ人には象使いがいたので、使役には成功し、半年ほどで100頭程の象を獲得する事に成功した。象は雌社会で雌がいると群れを作ってしまうので、戦象は全て雄である。また、これに伴い象牙のために象を狩る事を禁止した。代わりに肥沃な草原の地で農耕を行うよう指導した。
象は一度慣れれば馬より遥かに乗りやすい。何しろ大きいので騎象しながらの武器の使用も楽である。もっとも、そうなるまでには象に種子島の轟音に慣れてもらう必要があるのだが・・
日本の数倍にも及ぶモノモタパ王国の広大な領地を戦象を中心に進軍していく。かつて風魔の狼使いから指導を受けた真田の忍び達がジャッカルやリカオンを使役している。
100頭の戦象に兵3人を乗せた300の兵が先行する。象は人3人を乗せても時速50キロ位で余裕で走る事が出来る。モノモタパ王国の首都には僅か7日で到着した。ここでも、遠距離攻撃手段のないモノモタパ王国軍は反撃らしい反撃は出来ず僅か半日で宮殿は陥落し象に踏みつぶされた。王や取り巻き、かつてポルトガルの宣教師を殺させた霊媒師達は民衆の前に引き出され弓と種子島で皆殺しにされた。これで事実上、モノモタパ王国は滅亡したことになる。恭順の意を示した宮殿内の役人には家族を人質にとり、領内各首長の元に王が代替わりしたので新王に挨拶しにくるよう伝令を命じた。北部の首長はマラヴィ王国との紛争を抱えているので直ぐにやってきて恭順した。西部の諸侯も大部分がはせ参じたが一部は南西部のトルワ王国に逃げた。奴隷軍は1年もかけずにモノマトパ王国を占領したことになる。その後、新しい国は”トノ”の名を取りスワ王国と名を変え、”イデ”の指導により検地と集落ごとの住民表を作成したが、農耕をやっている集落はあまりなく、文字も殆ど普及していなかったのでどちらも大した成果なく終了した。この為、各地に学校を作り文字と日本語、農民経験のある日本人が農耕指導をしていくことになった。




