1593年7月2日 松前の乱part2
コシャマイン:かつてのアイヌの英雄コシャマインの子孫?
ヤウカイン:石狩川で攫われた少年。十三湊で保護され探索隊に同行している
クネキラタ:ヤウカインと一緒に攫われた少年。
ハウンテ:ヨイチコタンの男。樺太アイヌとの通訳担当で一行と共に航海していた。
俺達7名と亘理一行10名からなる査察団は午前中には松前湊に到着していた。
亘理重宗が前回訪問してから、僅か2週間弱、こんなに早く査察団が来るとは思ってなかったんだろう、湊は大騒ぎだ。密貿易船が来るだけあって港は大きく双胴船ヨットも三胴船ヨットも接岸できた。水軍衆にはヨットの警護を命じ、査察団計17名が港に降り立つ。やがて、おお慌てて近習を従えた当主・慶広がやってきた。
『伊勢様、遠路はるばるようこそ御出でくださいました』
慶広に案内されて、まずは居城・徳山館に向かう。湊から小舟で川を遡上する事1時間弱、館が見えて来た。小さいが堅牢そうな山城である。
『田舎故、大したものはございませんが、食事をご用意させて頂きました。どうぞお召し上がりください』
館内の客間で慶広がそう言うと、女中達が次々と料理を運んでくる。
鮭、鰊、米、昆布の汁物
一年近く締め上げたのに中々の物をだしてくるじゃないか。
「せっかくだ。遠慮せず頂くとしよう」
俺は毒見もさせずに、食べ始めた。俺がそうするので皆も食べ始める。
「ん?慶広殿は、食わんのか?」
すると慶広はすまなそうに
『実はこの所寝起きが悪く、先程、朝餉を頂いたばかりでございまして・・』
「それは如何な。何事も健康あっての物種だ。ご自愛されよ。しかし、汁物くらい飲めるであろう?」
『有難うございます。どうか、某の事はお気になさらずお召し上がりください』
「そうか。では頂くとしよう」
結局、全員が完食してしまった。
「慶広殿、これからの予定だが、まずは館内を案内してもらいたい。何しろ、奴隷を使役していると言う訴えがあったのだ。無実を示すためにも、余すところなく見せてもらえるかな」
心なしか慶広の顔色が悪い。なかなか返事が返ってこない。しびれを切らした武門の長・松田康郷が憮然として声を荒げる。
『蠣崎、殿の御発言である。返答は如何に!!、答えぬならやましい所ありと判断するぞ。早う案内いたせ』
「まあ待て松田。慶広殿は本当に具合が悪いようだ。案内は家来に任せ、休まれてはどうだ?」
慶広は以前声が出ず、額に脂汗が浮かんでいるが、辛うじて頷いた。
夕が慶広を心配そうに見つめ、
『慶広様、どうされたのかしら?まるで、附子でも飲み込んでしまったかのよう。とにかく、私は人を呼んできます』
そう言って、客間を出て行った。やがて、先程の女中を連れて戻って来た。
その女中は先行して派遣していた吹さんだった。
『殿、お久しぶりでございます。蠣崎は騙し討ちが得意と聞いていたので少しは期待したのですが、トリカブトとニリンソウの見分けが付かないようじゃあ、とんだ期待外れでしたわ。慶広様には先日来、ヒ素を溶いた食事を召し上がっていただいてましたが、今朝は殿がお越しとの事で少量の附子を混ぜましたの。まあ、死ぬことはないでしょうが。ただ、隠居の先代は体力が無かったのか今朝亡くなってしまいました。蠣崎の家来衆はその勢で大慌てでございます』
吹さんの後ろから羽黒党が2名入って来た。
『申し上げます。館の北に小屋というか牢があり、そこにアイヌ人が大勢住まわされていました。既に全員解放し下山させております』
続いて夕が言う。
『この館は本当に無人同然ですわ。奴隷を見つけたなら証拠としてはもう充分でしょう。船に戻りませんか』
「そうしよう。もうここには用はないからな」
『慶広殿は如何しますか?』
相馬治胤が聞いてくる。吹さんは、ほっといても死なないだろうというが、一応、犯人は必要だろうということで、ハㇰチャシ(函館)まで連れ帰る事にした。羽黒党が船に連絡し九鬼水軍の小舟がやってきた。奴隷の中には暴力を振るわれたのだろう歩くのがキツそうな者もいる。先ずはそういった者から順次湊に移送していく。この川は大松前川というそうだが名前に反して小川程度の水量しかなく、小舟のすれ違いに慎重を要しなかなか移送が捗らない。その内、蠣崎の家臣達がどこからともなく現れた。50名程いる。
雄二が声をかける
『蠣崎殿の家来とお見受けする。我らは湊に戻る所だが舟が足りない。ご助力願いたい』
雄二も甲斐姫も殆ど仕事せず鮭や鰊に舌鼓を打っていて、完全に物見雄山モードかと思ったら、仕事する気はあるようだ。
『生憎だが我らも火急の用件があり手助けする事は叶わない。ところで、其処許は?』
雄二は何と答えるか思案している様だ。尚、蠣崎慶広は奴隷が着ていたボロ布で全身を覆っており荷物と区別が付かない。皆がこちらを目で伺って来るので俺が答える。ここは正直に言ったほうが良いだろう。
「我らは都より参った幕府使節団だ。先程まで慶広殿と会見し今帰るところだ」
幕府と聞いて、相手の表情が変わった。
『それは、ご無礼致しました。直ぐに舟と馬をご用意いたします。実は我らは殿を捜しておったのです。失礼ながら、殿とは何処でお会いになられたのでしょう?』
「どこって、徳山館の客間だが?ほんの半時ほど前に分かれたばかりだが・・」
『そうでございますか。ところで、そのアイヌ奴隷たちは幕府の物でございますか?』
そこへ、小舟に動けないアイヌ人を乗せていた弥助が戻って来た。
『『!!!!』』
突然のアフリカンの大男に相手は声を失いたじろいだ。
「彼らもこの弥助も奴隷ではない幕府の家臣だ」
最早、戦闘は避けられないか?見たところ刀しか所持していないし、こちらには、松田、相馬、弥助、夕、甲斐姫と武名高い者が揃っている。亘理一行もそこそこやる筈だ。
やがて相手の上役と思われる男が言った。
『それは、大変失礼いたしました。我ら急ぎます故これで、舟と馬は至急お届けします』
そう言って去って行った。
「どう思う。舟と馬来ると思うか?」
『いや、十中八九、来るのは兵だと思います。連中は自分らの奴隷だと気づいていたでしょう』
松田が思案顔で答える。続いて相馬が言う。
『とにかく、早めにここを離れた方が良さそうです』
確かにその通りだ。
「では下流域に徒歩で進もう。歩けない者はもう全員舟に載ったな?」
『は、大丈夫そうです。もし疲れた者がでたら某が背負います』
弥助が答えた。
「うん、では行こう。それと夕、先に船に戻り大筒で徳山館を撃つよう伝えてくれ」
『承知!』 夕は風のように消えて行った。
ここから河口まではおよそ1キロ。弱ったアイヌ人達を気遣いながら川沿いに降っていく。蠣崎兵の追撃より先に広い河口に到達できた。既に九鬼水軍の小舟が多数待ち構えており、沖には双胴船ヨットが錨を降ろしている。
全員、小舟に乗り込んだところで火縄の匂いがした。種子島の射程はおよそ50メートル、遮蔽物の無い海上では急いで逃げるしか手段がない。
パン!パン!
射撃音が響く、幸い被弾はしていない。九鬼水軍の速さなら逃げきれそうだ。
種子島の欠点は発砲時に煙をあげるのでどこから撃ったか分かってしまう点だ。沖の双胴船から反撃の雷矢3発が発射された。正木頼忠、九鬼嘉隆には自分の判断で発砲して良いと許可してある。相手との距離、導火線の長さ調整、バリスタ隊はもう慣れたものである。晴天下に突然起きた爆発音に蠣崎隊のみならず松前の街全体がどよめいている。やがて、双胴船の元にたどり着き、順次、乗船を始めたその時、雷矢とは違う爆発音が轟いた。徳山館のある山がまるで火山のように火を噴いている。三胴船からのカルバリン砲の発砲だ。先込め式の同砲は発砲までに時間がかかるのが欠点だ。ただ、弾丸はただの鉄球ではない。火薬を詰めた銅弾。その先端にはアルミニウムを詰めた陶器を信管に付けた爆発弾である。カルバリン砲は射程の長さの分、威力は低いがその分を爆発力で補った最新弾である。発砲の衝撃に耐えうる陶器の厚さを見極めるのにかなりの実験を要した力作だ。
城下に潜んだ羽黒党には大筒を撃ったら城下に火を放つよう指示してある。この時代の街なんて、木と紙でできた模型のようなものだ、油を投げつけ火種を放るだけで実によく燃える。伊勢家にとってはハㇰチャシ(函館)があるので松前の街も湊も必要ないのだ。ここに住んでいる者はアイヌから搾取し続けた商人かその手下共だろう。無事に生き残った運のよい者だけ鉱山奴隷に取り立ててやるとしよう。
実は一年も前から蠣崎家の改易は幕府の同意を取り付けていたのだ。大義名分を揃えるのに一年かけたというのが正直なところだ。旧蠣崎領は伊勢領に組み入れられることも決まっている。後は山に逃れた兵の落ち武者狩りだけだ。大した装備はしてないだろうから実入りは期待できないし、アイヌ人側にも積年の恨みがあるだろうから、今回は毒矢の使用も許可してある。炭鉱は現状露天掘りだし奴隷もそれ程欲していないのだ。
これで、松前の乱は本格的な乱になる前に鎮圧してしまった。
ただ、俺には最後にやる事があった。ヤウカインと一緒に攫われたクネキラタ少年の所在だ。救助した中に居なかったら、もう生存は絶望的だろう。あっ、さっき焼いた松前の街中にはアイヌ人奴隷はいない事は羽黒党が確認している。
大豆コーヒーを振舞い少し落ち着いてきたアイヌ人達に水軍衆と手分けしてクネキラタ少年の聞き込みを開始する。やがて、彼は発見されたが、これは酷い。手足の指が何本かくっ付いてしまっている。凍傷の痕だろう。話してみると泳ぎが得意な彼は寒中でも海栗とりに素潜りをさせられ続けたそうだ。冬は海栗は採れないといっても殴られるだけだったという。
ハㇰチャシ(函館)に戻った後、十三湊に使いを出し、コシャマインに来てもらった。父親が来ていると聞いたのだろう十三湊領主・松田定勝もやってきた。
コシャマインは俺との再会をとても喜んでくれた。
「コシャマイン、この少年がヤウカインの友人クネキラタだ。彼の体力が回復したらウラユㇱナイコタンまで送ってあげてくれるかい?」
『はい。勿論です殿。ヤウカインとも会いたいですし、俺が責任もって送っていきます』
ちょっと会わなかっただけで、コシャマインは随分立派になった気がする。
クネキラタもヤウカインと聞いて
『あいつは生きてるんですか?』と驚いて聞いて来た。
そうだ、彼からすればヤウカインが逃亡した後の事は知らないのだ。コシャマインが安心するように手を添えて答える。
『ヤウカインは十三湊まで逃げてきて、その後俺達に会って、殿のお陰で今はウラユㇱナイコタンに戻ってるよ。君のお母さんとも会ったけどクネキラタの事を心配していた。早く戻って安心させてやろう』
これは、本当に任せて大丈夫そうだ。ヨイチのハウンテに事情を説明し迎えに来てくれるよう羽黒党の使者を出した。
松田父子は久しぶりの再会を喜んでいたが、息子の見事なアイヌ衣装アットゥシを羨ましそうにしていた。
その後、ハㇰチャシ(函館)領主・阿曾沼広長に元奴隷達に聞き込みをしてもらい報告書に纏め、更に蠣崎家が幕府査察団を毒殺しようと試みたので手打ちにしたと俺が報告書を認め、幕府に提出した。
広大な蝦夷だが、これで俺の目が届く範囲では本当の平和が訪れた筈である。
ーーーーーーーーーーー 第五章 蝦夷編 (完) ーーーーーーーーーー




