1593年6月30日 松前の乱part1
その報告を受けたのは、ハㇰチャシ(函館)に寄港した時だから、今から一月強前の事だった。
蠣崎家が伊勢領民である亀田・松前半島のアイヌ人を誘拐し、伊勢領内の知内川で砂金取りのために奴隷使役しているという内容だった。
昨年7月に幕府より蠣崎家のアイヌ取次ぎ役罷免と伊勢家のアイヌ取次ぎ役就任が発布されおよそ10ヶ月、ついに蠣崎家は違法行為に手を染めたのだ。更に松前湊を出た船が不審な航路を取ったので、土佐湊から単胴戦ヨットに九戸の兵を乗せて追跡・拿捕し、船長を厳しく問い詰めた所、船から金塊が見つかり、明国に交易に向かう予定だった事を自白した。
これにより、蠣崎家は以下の違法行為に手を染めていたことになる。
・他領の領民の誘拐
・金山の違法採掘(幕府では新規発見した鉱山の採掘優先権は鉱山の場所に関わらず技開家老・伊勢家にあるのだ)
・明国との密貿易(明は日本との交易を禁止している。幕府の許可なく地方領主が勝手に明と取引するのは密貿易だ)
俺はこれらの事実をハㇰチャシ(函館)領主・阿曾沼広長、密貿易船を曳航した十三湊領主・松田定勝名で報告書に纏め幕府に裁可を依頼した。
もう慣れっことはいえ、この時代の意思決定はとにかく時間が掛かる。
幕府は奥州探題・伊達家に調査を命じ、伊達は亘理重宗を担当に任じ、重宗は十三湊で船長から改めて聞き取り、その後、松前に向かい蠣崎家の当主・慶広と面会、事情説明を受けた。慶広は、
・伊勢領民の誘拐を否定。寧ろ伊勢領民が蠣崎領で勝手に砂金取りを働いて困っている。
・知内川で砂金が取れるのは既知の事実であり、当家では先代の頃より採集している。従って、新規発見鉱山には該当しない。
・明国との密貿易には当家は関わっていない。密貿易船が松前に来航している事も知らなかった。
と見事なまでの完全否定だったという。三男・忠広は今も人質として小田原に居るのだが、人質など切り捨てるつもりだろうか。
重宗は、密貿易船の船長が蠣崎家の命令で明国に向かうところだったと自白している事に加え、蠣崎家の家紋入りの勘合符を所持していたことから、蠣崎家内部の者の関与は疑いないと伝え、幕府より松前に正式な査察団を送るよう具申する旨伝え帰国した。
一ヶ月ちょっとでここまでやってくれたんだから、この時代にしては素早い行動かもしれないね。
で、幕府は亘理重宗の具申を入れ査察団を派遣することにしたのだが、選ばれたのが我ら伊勢家である。直接揉めた相手の伊勢家が査察担当って蠣崎家にとってはとんでもない話だろうが、幕府直臣でアイヌ語も津軽弁も話す家臣を持つ家は伊勢家しかいない。奥羽の各大名家は臣従しているが幕府を代表する程の格はないという訳だ。
というわけで、早くも新型船・通称”木馬”の出番である。安房の船大工は更にもう一種類、三胴船ヨットも開発していた。こちらも船尾には風車駆動のウオータージェット推進機能付きである。三胴船の方が重量に耐えられるので、こちらはカルバリン砲を一門搭載している。
そして今日6月30日、佐倉に帰還して一月、再び蝦夷に向かう事になった。
今度のメンバーは、俺、夕、弥助、伊勢直雷、甲斐姫、松田康郷、相馬治胤に九鬼水軍、正木水軍である。勿論、ソナとソナオも同行する。
梶原水軍は土岐頼春を大将に早くも旧型になってしまった双胴船ヨット2隻で利島に向かい、セッパヤとアベナンカの住居整備と研究施設の建設を命じているので今回は不在だ。
木馬3隻(バリスタ各8器)
三胴船3隻(大筒各1問、バリスタ6各器)
今回の留守居役は塀和に任せた。何と言っても内政のプロだからね。
そして、もう一つ、塀和を連れて行かないという事は蠣崎と折衝する気はないということだ。
一向は小名浜で亘理重宗一行10名を収容し、釜石に立ち寄る。相馬治胤にとっては高炉建設で頑張っている息子と久々の対面だ。一年で顔つきも変わり大きく成長した嫡男・秀胤に驚いていた。
翌、7月1日、ハㇰチャシ(函館)に寄港し阿曾沼広長と合流した。既に領境から羽黒党が松前領入りしているという。また、ここで、西の湊にいるというアイヌの古老・ハシタインが来ていた。相当な年齢の筈だが元気そうだった。
『伊勢様の配下に加えていただいて、誠に幸せです。アイヌの暮らし向きは格段に良くなりました』
と流暢な日本語(おそらく津軽弁だろう)で挨拶した。彼も塾に通い日本語の習得に励んでいるらしい。長老が学びに積極的なのは大変良い事だ。若手も否とはいえなくなるからね。
今夜はハㇰチャシ(函館)に泊り、明日は松前に乗り込む!




