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1593年5月20日 帰還(佐倉城)1

昨年の4月26日に出港して以来、一年越しの佐倉城への帰還である。


釧路クスリを出発したあと、ネタナイ→十三湊→釜石→印旛甫と経由して戻って来た。


ネタナイから西の湊まで亀田半島松前半島のアイヌ人達は伊勢家の領民となった。まるで蠣崎家の松前を取り囲むような形である。それに伴いネタナイは津軽海峡に面していて海が荒いので内海のハㇰチャシ(函館)に領都を移し、塾と交易場を開設した。

蝦夷の交易場は当初は宇野家を考えていたが、既に開店しているチヨマカ以外は、波田家に変更した。波田家の方が忍びも兼ねているし有事の発見や連絡も早いだろうし、俺の意のままに動いてくれるというのも大きかった。

ハㇰチャシ(函館)の領主には阿曾沼広長が就任した。ハㇰチャシ(函館)の長とはアイヌ取次ぎ役の長ということである。当初は九戸政実を考えていたが、広長は若いが塾講師を通してアイヌ人から人望があり本人もやりたいと言っていると塀和から推薦があり決定した。ネタナイのコタン長・メトクルと共に広大な領地を纏めてくれるだろう。


十三湊でラーニャとザワティを赤子と共に収容し、コシャマインとお別れした。彼とはなんだかんだでこの一年の殆どを共に過ごしたので別れは辛かった。尚、十三湊の領主に松田定勝が残留した。留守を任せている間に現地のアイヌ人から相当信頼を得ていたようだった。アイコウインと共に十三湊を発展させていって欲しい。


帰る間に夕らと相談していたのはセッパヤとアベナンカの件である。彼の細密画は素晴らしいが、日常の振る舞いは他の領民からは”白痴”に見えるだろうし、どうしようかと考えたのだが、結局、伊豆諸島の利島に住んでもらう事にした。利島は本土から近い上、人口も少ないので人目を気にせず過ごすことができるだろう。

いずれ新生活に慣れたら、セッパヤにはヨットで主に海岸線の絵を描いていって貰う予定だ。測量の技術に写真測量というのがあるのだ。彼の細密画は充分写真の域に達しているので、日本の地形が地図化できるかもしれない。


また、全国の忍びに”白痴”の調査と保護を依頼した。乳児では”白痴”かどうかは分からない。なので”白痴”と判断され追放されるのは10歳前後の子供が多いのだ。保護した彼らは利島の施設でどの方向が得意か調べることになる。


ただ問題はこの世界この時代で”白痴”とされる人が全員サヴァン症候群かどうか分からない事だ。もし、違う病だった場合、伊勢家で全員保護しきれるか難しいところである。


もう一つは樺太でソナが見せた鯱とのコミュニケーションだ。夕が風魔の里の古文書で似た話を読んだ記憶があるというので、帰還後に吹さんに確認すると、直ぐに該当の古文書を取り寄せてくれた。

その本の中では、”盲目の女性が海中に唄を流し大きなイカやイルカを操り敵船を沈めた”という記述があった。ソナの話を聞くまでは創作だろうと思っていたそうだ。今後は各地の塾で聴力の優れた者には動物との会話を試みるよう授業の追加を指示した。


宇野家に依頼していた、ポリエステルやビニールは、其々、盲様絹、盲様布として販売しており好評だと言う。最も彼らが売る相手は各地の商人であり消費者に直販しているわけではないから、最終的にどんな名前で売られてるかは分からない。生地に”盲様絹””盲様布”と書いてはあるが、この時代、まだまだ文字を読めない者が多いのだ。それでも徐々にではあるが盲という言葉の持つ蔑視感が弱まり、塾に通わせてもらえるようになれば良いと思う。


一方、五平製のゴムはゴムホースとして販売しようと計画したが、ポンプが高価であり農民に手が出る価格帯にはならないのでまだ一般販売は行われていないという。”聾唖様ゴム”の普及はまだ先のようだ。


戦や事故などで足が不自由な人の社会進出も着実に進んでいる。彼らに与えた役割は”案山子”だ。現代で片足の人を案山子などと表現したらレイシスト確定だが、この世界ではそこまで言わないと表に出して貰えない。無論、彼らの役割は単なる案山子ではない。田畑の回りで日中ずっと座っている彼らには、虫や動物が何を食べているか可能な限り記録してもらった。害虫、害獣が何を好んで食べているか調査記録を取るためだ。このような記録を蓄積して行けば害虫、害獣の好物が分かり、”撒き餌”によって田畑から遠ざけることが可能になるのである。


波田家による蝦夷、樺太、択捉島での交易店も羽黒党を使って先ぶれを出していたのでもう動き出している。彼らが仕入れた石炭は釜石に集め臨時高炉、転炉を建設し鋼を作る予定だ。ある程度の質の鋼が完成したらそれを梁に使用し本格的な高炉の製造に着手する予定だ。また、阿曾沼広長や松田定勝の活躍に刺激されたのだろう。釜石の製鉄事業に自分も加えて欲しいと相馬秀胤と中山照守が言ってきたので認めた。また、雨竜川のルテニウム、択捉島、国後島のチタン砂鉄は房総に運ばせた。その他、樺太のポロナイ、ヌイエでの黒貂の毛皮、択捉島のラッコの毛皮も順調だ。

波田家は五右衛門と共にいざとなればいくらでも金策の方法があるので、その分、商売に関しては売り手に優しい商店だ。もっとも彼らの本業は忍びだから信頼を得て相手から得る情報の方が本来の交易対価なのだが。


最後に俺から夕を正式に正室として迎えると話した。雄二も甲斐姫もとても驚いていた。元忍びで今は領主の俺と現役の忍びの夕の婚礼はどうやれば良いのか誰も分からない。吹さんに聞いてもさすがに困り顔だった。しかし、今や北条家内でも重臣の一人である俺の正室に迎えるのだから形は整えなくてはならない。小田原のご隠居様、風魔の里の幻庵さんにも意見を聞きどうするか検討することになった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 更新お疲れ様です。 [一言] 普通に考えて 「北条家の誰か、もしくは家臣の誰かの養女として家格をつけてから娶る」 という流れかと。
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