1590年4月3日・恐るべき歩き巫女
雄二との食事しながらの話し合いはまだ続いた。
「やっかい事は以上なんだが、実は今日案内してもらった夕なんだが・・」
『なんだ、なにかあったか?』
「うむ、一日案内してもらったのは良かったのだが、途中で『以前のお頭とは別人のように頼りない』と両の二の腕を締め上げられてな。物凄い痛かったぞ。」
「まあ、今言ったように別人の意識が混ざりこんでいるから以前の俺とは無意識に性格が変わってしまってるのかもしれんが・・ん?雄二?」
見ると雄二は笑い転げていた。
『ははははは、締め上げられたのは二の腕だけか?』
「ああ、そうだが」
『それは命拾いしたぞ、兄者』
その時、別人の声が部屋に轟いた。
『誰が命拾いしたんですって?』
音もなくいつの間にか夕が部屋に入ってきていた。
『お頭の両腕を掴んだ時、本当は股間を蹴上げようかと思ったけど、思いとどまったんですよ、私』
「へ?」
『殿方の股間ってとても重宝するんです。強く蹴れば気を失わせることもできるし、あわよくば命を奪うこともできます。加減を調整して蹴れば腑抜けた殿方に活を入れることもできるのですよ。異界の文殊様!』
「お、お前、いつから聞いていたんだ」
『「記憶混濁の理由がわかった。」あたりからでしょうか』
それって最初からじゃねえか!!!!
『忍びの仕事の一つに、相手から直接情報を聞き出すという場合があります。
無理やりに口を割らせるというわけですが、こんな手段は本当に已むに已まれぬ最後の手です。他に情報収集の術がない時にやる方法ですね。要するに拷問です。』
『そこまで重要な情報を知っている相手ですから、ちょっと痛めつけただけでは話してくれはしません。また、拷問する側も手加減が必要です。誤って死なせてしまえば、二度と口を割らせることは出来ないですからね』
こいつ何喋ってんだ?
『従って、拷問する場合は暴力と時間、さらにケシなどの薬物を使って相手を攻略していくことになります。どんなに屈強な相手でも時間をかけて痛めつけていけば、やがて、黙秘はできなくなり喋りだします。但し、こうして聞き出した内容は十中八九デマカセです』
『ここで、出番となるのが加減して股間を蹴り上げることです。『オナゴの暴力に屈して、主を裏切ったか、腑抜け者!』などと挑発を加えながら。』
『すると、相手は男の尊厳を思い出すのか目に光を取り戻し、また黙秘に戻ります。』
『これを何回も何回も何日も何日も繰り返いていくと、如何なる剛の者でも、最後は股間を蹴り上げても、苦しむだけで反発はしなくなります。完全に心が折れた状態ですね。本当の情報収集はここから始まります』
・・・・・・・
『他にも殿方の股間は、くの一にとっては、色々便利なのですが、今日のお頭は、蹴り上げたら最初から苦しみだしそうで、とても、殿方の尊厳を取り戻せるようには思えなかったので、蹴るのを止めたのですよ。ご理解いただけました?文殊菩薩様』
こ、怖い、怖すぎる、夕。こいつとは決して良好な関係は築けない気がする。ガクガクブルブル
『おっと、長居しすぎたようです。では、今度は本当に失礼しますね』
夕はまた音もなく出ていった。
暫く時間が経ってから、ようやく雄二が話し出した。
『やれやれ、夕に鈴を付けられるの兄者だけだったんだが、今のを見る限りもう誰も夕を止めらんねえな』
『この際だ。歩き巫女の事も話しておくよ。どうせ忘れてるんだろ、兄者?』
雄二によると、夕達歩き巫女は元々武田家の忍びだったそうだ。
武田家滅亡後、一般の武将は狸人族の家来になったが、武田の忍びは、風魔一族を頼ってきたという。理由は狸にはライバル伊賀者がいた為だ。狸の元に行けば、伊賀者の下働きをさせられる。それだけは嫌だったらしい。
因みに風魔にも女の忍び(くノ一)はいるのだが、彼女らは男の忍びの世話をしたり、潜伏先で怪しまれないよう夫婦を装う為に使われたりするのが大半で、自ら諜報活動する風魔のくの一は殆どいないという。
が、歩き巫女は違う。女だけで潜伏し、時には何年、十何年と任地に完全に溶け込んで情報収集を続けるのだという。その為、万一の場合には女だけで荒事にも対処する必要があり、武力に関しては風魔の男の忍びを凌ぐ者さえいるという。
歩き巫女という呼称は、そんな現地に潜伏している者との連絡要員からついた名だという。
女の元に得体の知れない男が訪ねていくのは不自然。その点、巫女であれば、さほど目立たないことから連絡員が巫女に扮している事が多いのでそう呼ばれるようになったらしい。
そんな歩き巫女は全国におよそ100名。正確な人数はもはや誰もわからないという。そんな集団の現在の団長が夕というわけである。
風魔に合流した時の歩き巫女の長はもう引退していて、夕は風魔から見れば二代目の団長なのだそうだ。
いやはや、こんな話を聞いてしまったら益々、夕が怖くなってきたよ。
(史実での小田原陥落まで、あと94日)