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1593年4月15日 樺太

コシャマイン:かつてのアイヌの英雄コシャマインの子孫?

ハウンテ:ヨイチコタンから来た樺太アイヌとの通訳担当

バフンケ:樺太ポロナイコタン長

チヨマカタで正木水軍と合流し、久しぶりにヨットに乗船する。ソナ、ソナオも元気そうだ。尚、正木水軍は野分シーズンが終わった後、一旦、十三湊に引き上げていた。


ここで、新たな助っ人とも対面する、ヨイチコタンからの助っ人だ。海の民である彼らは礼文島など北方の島々とも交易し、今回の俺達の目的地である、樺太アイヌとも交流があり彼らの言葉も話せるのだ。ヨイチコタンと交渉に当たってくれたのはハウカセだが、俺達が来るときヨイチに立ち寄った際にコシャマインが一緒にいたのも大きかったそうだ。英雄コシャマインの活躍はヨイチでは今も伝えられているそうだ。なので、十三湊に帰って貰おうかと思っていた今のコシャマインには引き続き帯同して貰うことになった。本人も見知らぬ土地を訪れるので大喜びである。


ただ、ラーニャとザワティには赤子を伴い十三湊に引き上げて貰う事にした。彼女らには念願だった白い土(雪)を見る事が出来て良い旅だったのではないか?


そして、もう一組、立花夫妻とえんともここで別れる。


彼らには、アイヌ人が多く住む日高地方に南下して貰い親睦を深め和人に対するイメージアップを図るよう頼んだ。その後、炭鉱のある釧路に向かい現地のアイヌと採掘交渉をするよう頼んだ。羽黒党と真田衆を数人つけた。昨年、夕張に交渉に赴いた時と同じ体制である。


更に、今回はえんの配下の歩き巫女も帯同する。チヨマカタに呼び寄せていると言っていたが、なんと配下は全員アイヌ人女性だった。鮮やかな刺青をしている人もいる。考えてみれば、ここ蝦夷では巫女の格好は目立つだけだ。

”木は森の中に、人は群衆の中に”というが、歩き巫女の仕事の内容からして蝦夷ではアイヌ人女性が適任だろう。彼女達と少し話したが、皆、流ちょうな関東言葉を話した。


彼女達には出来れば、釧路から更に東、根室、国後、択捉といった千島列島にも根を張って貰いたいところだ。


立花夫妻には無理せず、野分シーズンの前に房総に戻るよう伝えた。


こうして、昨年とはメンバーが少し代わった俺達は4隻の双胴船ヨットに分乗し、一路北に向かう。今まで魚といえば鮭だったが、そこにヨイチコタンの人が持ってきたにしんが加わった。これも絶品である。


ただ、北の外海は相変わらず風が強い。慣れないメンバーは船酔いをしている。


流石に具合が悪い人が多いので、リシリ沖で停泊することにした。


それでもチヨマカタからリシリ(現代の利尻島)まで僅か6時間である。


水軍衆やヨイチコタンの人以外は皆、船酔いが酷いので小舟で島に移動して休ませてもらう。


現代で利尻島といえば昆布だが、この時代でも同様で、鰊や鮭と一緒に食べると非常に美味かった。


リシリのコタンは規模はそこそこだが、客用のチセはないので、皆で分散し各家庭にお邪魔する、謂わばホームステイのような滞在になった。俺は会話が自動翻訳されるが、弥助や小笠原秀政は大変だろうと思ったら、やはり容姿の目立つ弥助は持ち前の明るさで言葉が通じないのにあっという間に人気者に、秀政も意外とコミュ力高く身振り手振りや手品を披露したりで、島の皆に馴染んでいた。


心配したのは盲目のソナとソナオであるが、水軍の若者と結婚したアイヌの女性達が良く世話をしてくれたので問題なく過ごせたようだ。


翌朝いよいよ樺太に出発である。北の荒波を覚悟して出発したが、予想に反してこの日は波は穏やかだった。だが、その分時間が掛かり、樺太の中央拠点ポロナイに着いたのは夜になってしまった。仕方なく沖に錨を降ろし船で一泊する。


そして、翌日、ポロナイに上陸する。やはり現代でサハリンとなっている樺太は外国扱いなのか俺の世界言語では翻訳されなかった。ヨイチコタンの人達に協力を仰いで本当に良かった。


彼らの通訳によるとポロナイコタンの長はバフンケと言い樺太アイヌ全体の首領のような立場だという。蝦夷と違い、アイヌに何故そんな偉い立場の人がいるのかと言えば、この樺太にはアイヌの他に、オロッコ、ニクブンという二つの民族が暮らしているからだ。彼らは基本は共存し交易をしているが、時としてトラブルが起きる事もあり、過去には戦争もあったという。そんな訳でいざと言う時に備えて首領という文武の長がいるのだそうだ。


俺はバフンケと挨拶を交し、


・和人の交易取次ぎ家が蠣崎家から我ら伊勢家に代わった事

・和人との交易の湊は今後はネタナイと十三湊になる事


を伝えたが、和人との交易はヨイチコタンの人々に仲介をしてもらっている樺太アイヌの人達には関心はうすいようだった。


次に、今回の最大の目的である油田探査に協力を求めた。


俗に北樺太油田と呼ばれるそれは新津油田以上の埋蔵量を誇る大油田である。


北端のオハ油田と北樺太中部のカタングリ油田からなる。


樺太の地図を書き、油田の場所を記して示したのだが、バフンケは地図など初めて見るらしく要領を得ない。そこで、これは今いる大地を形を現した絵で、ポロナイコタンはここだと書き示したが、バフンケは大いに驚き、


『あなたは、カンナ・カムイですか?』


と聞いてきた。カンナ・カムイとは天に住む竜神のことだそうだ。


天に住んでなければ描けない大地の絵、更にイソ・カムイ(熊神)を従えている(これは多分弥助のことだろう)、見たこともない双胴船は天から上り下りする際の乗り物と解釈したらしい。


このバフンケの発言をきっかけに、周囲の樺太アイヌ人達は一斉に俺や弥助を崇め始めた。元々、注目されていたのは弥助一人だったのだが・・・


どう答えればよいか分からないのでヨイチコタンの者に聞いてみたら、


『殿は道南のアイヌからは光のカムイと呼ばれていますから、ここでもカムイで良いのでは?カムイの方が色々と協力を取り付け安いですよ』


と言われたので、カンナ・カムイ(竜神)で通すことにした。


余談だが、このヨイチコタンの者は名をハウンテと言い、ハウカセとは親友なのだという。ハウンテがこれ程までに俗物的なアドバイスをしてくれるのは、俺がコシャマインを保護してるという以外に、俺もハウカセの親友だからというのもあるのだろう。


ともあれ、ハウンテの通訳により俺がカンナ・カムイ(竜神)であることにし、改めて地図を見せると、ポロナイコタンの東、地図上では右にある大きな川と湖を見た、バフンケは川と湖を差し、


『この辺りが、オロッコが住んでいるところです』


と言った。オロッコとは現在は友好的な関係だそうだ。


だが、油田の位置を眺めしばし思案したあと、バフンケは言った。


『カムイが行こうとしている場所はおそらくニクブンが住んでいるところです。私達もオロッコもニクブンとは戦争状態です』


と言った。

挿絵(By みてみん)

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