1592年8月9日 亀田松前半島アイヌ惣無事
今回は垪和康忠視点です。
ネタナイコタンに周辺コタンからのコタンコㇿクㇽかその代理が次々と集まり、徒歩での参集可能なコタンの代表は全員揃ったところで、儂が説明を始めた。通訳はアイコウインだ。
「皆、急な呼びかけにも関わらず良く集まって暮れた。皆に会えて嬉しいぞ」
型通りの挨拶の後、
・アイヌ人との交易担当は蠣崎家から伊勢家に交代になった事
・日ノ本の公定税率は4公6民であり、これはアイヌ人にも適用される事
・各コタンの戸籍を作りたいので協力して欲しい事
・ネタナイでは雨天の日以外は塾を開き、日ノ本の関東言葉に文字、算術を教えるので子供は出来る限り参加させて欲しい事
・交易や納税には北条札という紙の銭も使用可能なので各コタンにも周知して欲しい事
・文字が扱えるものが増えたら目安箱と言う、提言や交易で不当な扱いを受けた場合の訴えを伊勢家に直接伝える事ができる箱を設置する事
を説明した。
これに対し、各コタンの代表達からは、
・蠣崎家から伊勢家に交易担当が代わった事に安堵している事
・交易の場が十三湊になった事も歓迎する事(蠣崎時代は松前が交易場だった)
・塾に子供を通わせるのは賛成だが、ネタナイコタンは西からは遠いので、子供の足では通えない。塾を中央部であるハㇰチャシ(函館)に移設するかチロチ(知内)にも設置して欲しい事。
・税を支払うのは港を使用する時のみか?
更に古老のコタンコㇿクㇽからは
『伊勢家はアイヌの支配者なのか交易担当家なのか明確にして欲しい』
と言われた。
古老はチロチ(知内)のコタンコㇿクㇽで、彼の話では、
・コシャマインの蜂起以来、アイヌと和人は戦争状態だった。
・それが、50年ほど前、蠣崎家の主と古老の兄の間で和解が成立、チロチ(知内)より東はアイヌの地として確定した。兄の名はチコモタインと言うがもう亡くなっている。
・蠣崎とチコモタインとの和解と同時に、蠣崎と北のセタナイのアイヌとも和解が成立しておりセタナイのコタンコㇿクㇽはハシタインと言う名で西の湊でまだ生きている筈だ。
との事だった。
更にその西の湊より北はアイヌの地として確定し、チロチ(知内)以東と同様和人の立ち入りは制限される事が決まったという。
この古老の話を聞いて儂は考え込んでしまった。
確かに年貢を徴収するというのは領主が領民に対してやることだ。
一方、伊勢家はアイヌ人との交易担当という立場であり、この観点ではアイヌ人は南蛮や琉球と同様ということになる。
話がややこしいのは南蛮や琉球が国として成り立っているのに対し、アイヌ人達には王のような全体を代表する人物がいない。
殿の話では蝦夷は陸奥や関東を合わせた位に広い地だという。そんな広い土地に統一した王がいないのも当然かも知れないが、殿は蝦夷のまだ未開の地にも足を延ばし、更に蝦夷の先にある島々まで視野に入れ行動されようとしている。
殿の博識には恐れ入るが、今、この場にはいないし、殿の関心は臭水や鉱山が主体で土地自体にはあまり関心を持たないお方だ。どう答えればといのやら・・・
「暫し、待たれよ」
困った儂は、皆と相談することにした。総大将に任じられていながら恥ずかしき事よ。
中山、相馬、土岐、阿曾沼、九戸に事情を説明したが、やはり皆も唸るばかりだ。
やがて中山が口を開いた。
『某はアイヌの地に和人の立ち入りが制限されているという話が気になります。もしその通りなら、このネタナイに不定期にやってくる蠣崎家の者は盗賊も同然ですし、8公2民などと言って搾取しにくる蠣崎の役人も同罪でしょう』
これには阿曽沼も同調した。
『土地の境を確定し、交易の場も松前と決めたのであれば、税率はともかく税を納める場も松前であるべきでしょう』
さらに九戸が言う。
『アイヌの地に時々現れる和人は本当に蠣崎の役人なのでしょうか?』
土地の境界を決めたのに蠣崎領でもないアイヌの地に税の徴収に来るのは確かにおかしい。メトクルとアイコウインにその点を確認するが
『いや、そう言われて、おいら達には和人は全員蠣崎家の人と思い込んでいますんで・・・』
と困惑顔である。これ以上思案しても名案は浮かびそうにない。
「最終的には殿の裁可を仰ぐが、まず、アイヌの皆の意向を聞いてみよう」
一言で言えば、伊勢家の領民となるのか否かだ。
伊勢家の領民となる場合
・各コタンに代官配置し収穫の4割を税として伊勢家に納める。
・戸籍を作成し誰がどこに住んでいるか明文化する。
・代わりに伊勢家は先程の塾を始め道や湊の整備、漁の役に立つ日ノ本の品の斡旋を行う。
・盗賊らの取り締まり等コタンや猟場の警備も伊勢家が全面的に支援する。
(アイヌ人には和人が盗賊か商人かの区別も付かないからこれは有益だろう)
一方、伊勢家の領民とならない場合
・税は十三湊で交易する際に利益の4割を伊勢家に納める。
・塾はこのネタナイと十三湊にあるので、通えない子供は住み込みで授業を受ければよい。但し、領民ではないので塾に通うか否かは自由に決めて良い。
これらを説明し、各代表や代理で話し合うようお願いした。場合によってはコタンに戻って話し合っても良いとも言った。但し、コタン毎に意見が分かれても対応できないので、領民とならないコタンが一つでもあった場合はネタナイ、シャヤ以外の全てのコタンを伊勢家の領民と認めないと付け加えた。蠣崎家は交易担当を外れたとはいえ依然松前にはいるので、その場合は自衛に力を尽くしてもらうしかない。
正直言えば、伊勢家としては領民になって貰わない方が楽なのである。代官を派遣する必要もないし、港整備や警備に関わる必要もない。だが、最初から突き放してしまえば殿に知られたら叱責があるだろうし、一応両案を提示しアイヌ人自身に選んでもらう事としたのだ。
それから、10日後、例の古老を始めとする各コタンコㇿクㇽかその代理がネタナイに再び集まった。既に彼ら同市で話し合い結論を出している様子だった。
古老は名をコタンラムという。代表して彼が話し出した
『伊勢の御代官様、私ら全コタン。伊勢様の領民とさせて頂けますようお願い致します』
続けて通訳のアイコウインが照れるようなきまり悪そうな雰囲気で訳す。
『私ら、あの後、アイコウインからトサコタンが如何に快適か教えてもらいました。それに伊勢様が光のカムイ(神)である事も。あの大きな船もカムイの船とならば納得です。是非、チュプカムイ(太陽神)として我らを導いて下さい』
聞いてて頭が痛くなってきた。仏法始めあらゆる宗教を忌み嫌う殿がアイヌ人の神にされてしまった。これは切腹を申し渡されるかも知れん。
「あいわかった。殿に皆の意向を伝えるが、決して悪いようにはしないだろう。ただ、代官を置くにも警備をするにもまずはお互いの言葉を理解し合う必要がある。戦というのは大概が元をただせば小さな諍いや行き違いから発展するものだ。先ずは互いに言葉を覚え互いを理解することから始めよう。直ぐには無理だが塾はハㇰチャシ(函館)にも設置する」
チロチ(知内)は蠣崎領が近くあまり刺激したくないので、ハㇰチャシ(函館)に増設とした。
正直、人が足りないが、奥羽の大名家はどう蠣崎と繋がってるか分からないので信用できない。やはり当初は九戸殿、阿曽沼殿の家臣を頼りにするしかあるまい。
ともあれ、こうして亀田半島、松前半島のアイヌの惣無事はなった。




