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1592年8月3日 亀田半島・ネタナイ

今回は九戸実親視点です。

蝦夷最南端、おそらく本州と最も近い位置にネタナイ集落はあった。付近には七つ岩と呼ばれる岩礁地帯もあり接岸は慎重を極めた。竜骨キールを痛めないよう小舟を出し、重りを付けた縄を垂らして水深を慎重に調べながら進んでいく。


浜には既に大勢の人が集まり、こちらを見物している。おそらく大半が漁民なのだろう、見たこともない形の船に興味津々のようだ。


やがて、浜から100メートル弱の地点でこれ以上の接近は無理との判断を下し、3艇とも錨を降ろした。ここからは小舟で上陸するが、万一の事もあるので、大将の塀和様は艇に残って貰い、俺の配下を護衛に付け、中山殿、相馬殿、土岐殿にアイコウインに先に上陸して貰った。中山殿らは十三湊でアイヌ人への塾講師をしていた関係で片言だがアイヌ語は話せるそうだ。津軽弁よりアイヌ語の方が話せると三人とも言っていた。そして、アイコウイン一行、元村長だそうだが、同時に逃亡者でもある。今の住民に受け入れられるのだろうか?


やがて浜から中山殿が白旗を掲げた。上陸許可が降りたという合図だ。


艇を警備する正木水軍衆とバリスタ隊、砲兵隊を残し、俺は塀和様、阿曽沼殿と共に浜に向かった。


早速、中山殿が塀和様に状況を説明する


『アイコウインの家族と知り合いの者、幼馴染だった者がいたので、簡単に上陸許可がでました。皆、我らの事をアイヌの味方と認識しています』


塀和様が問う


『この村に蠣崎家の代官のような者は常駐しているか分かったか?』


うむ、これは重要な事だ。


『常駐の代官はいないようです。不定期に蠣崎の人間が武装してやってきて魚や海産物を持っていくそうです』


続けて塀和様が質問する。


『この村というかコタンでよいのか?人口はどれくらいだ?』


『は、チセ10戸を数える、この地域では中心のコタンだそうです』


『中心ということは、他にもコタンがあるのか?』


『少し西に行った浜にショヤというコタンがあるそうです。その他、蠣崎から逃れるため山中に逃れた人達もいるそうで、偶にコタンに狩猟で得たものを交換に降りてくるそうですが、そうした人が何人いるかは分からないそうです』


一通り質問を終えた塀和様が


『では、コタン長、コタンコㇿクㇽだったか?に挨拶せねばならん。案内いたせ』


だが、中山殿が意外な事を言った。


『それが、アイコウインが戻った以上コタンコㇿクㇽに復帰して欲しいと言っていまして、今、話し合いをしているところなのです』


アイコウインってそんなに人望がある者だったのか!


やがて、相馬殿、土岐殿がアイコウインと現地のアイヌ人を連れてやってきた。アイコウインが代表して話す。


『こいつは、おいらの幼馴染でメトクルって奴です。今ネタナイのコタンコㇿクㇽをやってるんですが、俺が来たので代わってくれって言ってきかないんです。おいらには、トサコタンでコシャマインの世話がありますし、ここに定住するわけにはいかないって言ってるんですが、聞いてくれなくて』


塀和様が


・アイヌ人との交易は蠣崎家から伊勢家に代わった事

・伊勢家は蠣崎家より上位の存在である事

・幕府の公定税率は4公6民であり、伊勢家も当然これを守る事。

・これまでの蠣崎家のアイヌ人への無法に幕府は憤っている事

・アイヌ人は伊勢家の領民として保護するので蠣崎家からの報復を心配する必要はない事


を通訳を通して説明し、メトクルは漸くネタナイのコタンコㇿクㇽを続投することを約束してくれた。


合わせて、アイコウインのいる十三湊のトサコタンらとの交易の活発化も話題に上り、徐徐に明るい雰囲気になってきた。


ネタナイは大コタンだが来客用のチセはないので、結局、伊勢家クルーは夜は艇に戻り寝る事にした。翌日からは、


塾の開設

メトクルと関東言葉や文字、算術を教える塾の開校について話し合い、6歳から10歳までの子供は原則、塾に通うことになった。講師は中山殿、相馬殿、土岐殿が交代で担当する。


戸籍

塀和様の差配で戸籍の作成も行われたが、となりのショヤコタンと合わせても20戸弱なのでこれは直ぐに完了した。


代官

伊勢家側にアイヌ語を話せる者がいないので暫く空位とした。


桟橋の設置

山間にいるアイヌ人に呼びかけ、木材を運ばせ沖合の艇との桟橋を建築することにした。阿曾沼殿によれば、木材は本来は伐採してから2年位乾燥させてから使うのが理想なのだそうだが、今回は簡易桟橋なので、伐採直後の木を使用した。阿曽沼殿配下の者は皆木材にも建築にも明るく3日程で桟橋は完成した。


こうして、一連の作業に目途が立った後、亀田半島内の他のコタンにも人をやり、各コタンの代表者か代理をネタナイに派遣するよう伝達した。この地域のアイヌ人の領域は殿の予想より広く、西は函館から松前半島の知内まで広がっているそうだ。北は山が多いが蠣崎との境界というのは特にないそうだ。

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