1592年5月2日 石橋家創立
翌朝、朝食を取り終えたところで、九戸政実一行が小舟数艘でやって来た。
出迎えに出ていると、九戸政実・実親兄弟が大急ぎでやってきて平伏した。
『殿。お久しゅうございます。また、お会いできて大変嬉しゅうございます』
「久しいな。政実、実親。此度はわざわざ来てくれて嬉しいぞ。ところで、あれは何だ?」
俺が指さした先では、小舟から輿のようなもの2台組み立てられ、そこに一人ずつ若そうな者が載ってこちらに向かってきているのだ。
『あれは、我らが作業場で差配をしている者達の現場長にございます。女の方は盲、男のほうは聾唖でして、浜を歩かせるには危険ですので輿を用意したのです』
ということは、あれが、合成ゴム、塩化ビニールやポリエステルを作ってる者達のリーダーか。一度会いたいと思っていたが思わぬ所で実現した。
やがて、輿から降りた二人は手を引かれ、俺の前に平伏した。
『殿。お初にお目にかかります。合成ゴム製造差配を任されております。五平と申します。某、聾唖にて殿のお声を聴くことが叶わず、残念でなりません』
『同じくお初にお目にかかります、殿。ビニール等合成繊維の製造差配を任されております。たまと申します。私は盲の為、殿の御尊顔を拝見出来ず残念でなりませぬ』
二人とも15歳くらいだろうか?実に堂々とした挨拶だ。
「俺が、其方らの主・伊勢直光だ。此度は会えて嬉しく思うぞ」
五平の為に、紙にも書いて読んでもらう。
「さて、外は寒かろう。家に入ろう」
一行を屋敷に案内する。毎度のことだが、たま以外は弥助に目が釘付けだ。
九戸との再会と五平・たまとの対面を祝して、大豆コーヒーを振舞う。
元々、アイヌとの交易用に持ってきたものだが、少しくらい良いだろう。
何しろ俺は大のコーヒー党なのである。
たまたちには苦いかもしれないので、メープル糖も用意した。
4人とも新しい味に興味津々で飲んでいた。
「さて、五平、たま。二人の、いや新津で研究に勤しんでいる仲間も含めてだが、俺の期待以上の成果を出してくれた皆には、褒美を授けたい。先ずは苗字を与えよう。二年前の小田原の戦で途絶えた石田という名跡がある。其方らは今後、石田姓を名乗って貰おうと思うがどうだ?」
これにすかさず、たまが反応した。
『恐れながら、その石田という者は殿と敵対していた陣営の武将と教わってございます。小田原で切腹させられたとも。出来ましたら、そのような忌まわしい性は名乗りたくないのですが・・・』
たまは泣き出しそうに懇願してくる。九戸が『殿に逆らうとは・・・』と窘めているが、言われてみれば石田は堤も碌に作れない不器用者だったな。そんな苗字名乗のらせて、彼らまで不器用に成られては困る。
「待て九戸。たまのいう事にも一理ある。そもそも、石田は堤も作れない痴れ者であったわ。そこでだ、石橋という苗字はどうだ?橋には新しい時代、新しい物の発見への架け橋という意味がある」
『石橋でございますか。大変ありがたい性と思います。謹んで名乗らせて頂きます』
次いで内容を書いた文字を呼んだ五平も
『大変ありがたい名を頂戴し有難うございます。石で出来た橋は日ノ本にはまだないと教わりました。苗字に恥じないよう、私達の研鑽で日ノ本初の石の橋を実現したく思います』
合成ゴムには接着剤の成分と近い部分がある。五平なら近い将来、本当に石の橋を実現させてしまうかもしれないな。
あっ、今頃、気が付いた!石橋って現代の大手ゴムタイヤーメーカーと名前が被ってるわ。俺しか知らない事だし、まあ、良しとしよう。
「さて、もう一つは、其方らの身体的特徴への呼び方だ。盲、聾唖、という呼び方は蔑視の意味があるのだろう?其方らにはふさわしくないと思う。そこで、新たな呼称を考えたいのだが、なにか案はあるか?」
意外なことに、これには二人とも首を振った。
代表して五平が発言する。
『私達は幸いにも殿に見いだされ、塾で様々な教えを受け、今に至ることができました。ただ、日ノ本全体で見れば、殿に見いだされた盲や聾唖の者はほんの一部である筈です。むしろ、私達の仕事を通して、盲、聾唖という言葉自体を蔑称から、研究に向いている者、研究適正者を表す言葉に変えていけるよう努力したいと思います。さすれば、全国で、盲、聾唖ほか様々な不自由な体を持つ者が殿の塾に教えを請いに来るようになる筈です。そもそも、今の研究所も人員が不足しているのです。殿には、盲、聾唖の活躍を大きく伝え、入塾を誘っていただいた方が幸いにございます』
全国の同じ境遇の者まで考えているとは、ちょっと感動してしまった。
「五平の言う事、誠に最もである。全国に盲、聾唖を始め不自由な体の者の入塾を募ってみるとしよう」
これは、当初俺が考えていたことでもあった。図らずも五平によって初心に帰ることができたのだ。
『は、私達の提言を採用頂き、有難き幸せにござります』
五平もたまも改めて平伏した。
その後、九戸らと共に2人をヨットに載せ、湾内をクルージングして遊んだ。
九戸実親が言う。
『珍しい形の船で本当に動くのかと思いましたが、こんなに軽快に航行するとは流石は殿の船です』
政実も続けて
『我らは殿に拾ってもらって本当に幸せ者です』
こう褒められると照れる。
「2人も中々よくやってくれているじゃないか」
今回の輿といい、五平やたまが仕事しやすいように便宜を図っているのは2人なのだ。俺がイラスト付きで書き送った車いすも製造に成功し作業所内で使っているらしい。車輪のゴムは勿論五平の品だ。その他、やはり日常生活には不便がでる彼らの為に専用の付け人を付けたり、運動不足になりがちな2人のためにストレッチ施設を設けたりと至れり尽くせりだそうだ。
九戸領から連れて来た領民は男鹿半島全体に居住し、以前より広くなった土地で農業をしたり、新津との玄関である八郎潟の湊で働いたり、元から住んでいた住民に指導を受け漁民になったりと様々だそうだ。だが、皆一様に、今回の移住に満足していると言う。
そういう九戸兄弟も、先祖伝来うん百年の土地という柵から逃れられた為か、とても良い顔をしていた。




