1592年4月28日 クルージング(釜石~外ヶ浜)
釜石では八戸からの案内船がもう到着していた。案内役の頭は八戸根城城主・八戸政栄、南部一門の者だという
また釜石一帯の領主・阿曽沼父子も来ていた。その他、大勢の人が出迎えに来ている。
まあ、当主である俺の釜石初訪問だから出迎え多いのは当然ともいえるが、この場の主役は俺じゃない。弥助とザワティである。
二人とも間違いなく、陸奥に上陸した初のアフリカンだろう。その肌の色に全員の目が集中している。最も当人達はもう慣れたもので気軽に手を振ったりして愛想振りまいてる。
やがて、阿曾沼父子、八戸政栄が俺達の前に跪いた。代表して阿曽沼広郷が挨拶する。
『殿におかれては、このような辺境の地にお越しいただき恐悦至極にございます。今宵はお寛ぎ頂けるよう、宴と館を用意してございます。何分田舎にて質素ではございますが、ご賞味下さればと幸いにございます』
「忝い。持成し有難く頂こう」
宴は良いが陸奥の者が三人もいるな。また、鎌倉だとか頼朝だとかクソ古い話を聞かされるのは正直気が重い。
と思っていたが、全くの杞憂だった。阿曽沼父子から出る話は釜石の鉱山と湊の整備の事ばかり。
『自らの地に、ここまで大きな鉱山があったとは全く知りませんでした。殿の慧眼には誠に恐れ入りましてございます』
『港も瞬く間に整備していただいて驚きました。我が領で取れる木材を使って頂きましたが、あのような凄腕の職人様方に質が良いとお褒めの言葉を頂戴し領中の誇りにございます』
港整備は、御存じ忍びのチート集団三つ者にやって貰ったからね。
彼らからの報告では、この地のアカマツはタンニン豊富で腐りにくく桟橋には適した材質だとのことだった。また、この地のケヤキは強度もヤマザクラより良くしかも加工も出来るので、無音銃の素材として有用だという。
ケヤキを銃身にし、ヤマザクラを弾にすれば火薬を使った従来の種子島と遜色ない威力となる可能性があるそうだ。
そんな訳で阿曽沼領では林業に従事する者が増え、釜石鉱山で働く者と二大産業となってきている。これに続くのが沿岸の漁民である。鉱山労働は重労働だが給金も良いので従事を希望する者も多く鉱山街も形成され始めているという。給金は北条札で払っているので北条御用商人・宇野屋の店も常設で開かれているという。今回、鉱山や町を視察できないのは残念だ。
そんな話をしながら、海藻に魚、鹿肉を堪能して一夜を過ごしてた翌日、阿曽沼の嫡男・広長が同行を申し出て来た。関東の言葉も操れる彼は津軽弁との通訳に役に立てるのではないかと売り込んできたのだ。
俺は世界言語のようなスキルが多分あるので、何ともないのだが、言われてみれば土地毎の方言がキツイこの時代、通訳はいた方が皆には都合が良いだろう。というわけで、同行者一名追加である。
さて、ここからの案内役だが八戸が自ら案内するわけではなく、領内の漁民が案内役だそうだ。八戸は目付だというが、その程度の役目でわざわざ城主が来たのか?
漁民と言ってもこの時代は沿岸領が殆どだから、釜石から八戸までの沿岸沿いの漁民が其々の地元を案内していく感じだ。皆、ヨットの大きさと速さに驚いていた。
そして、八戸に到着!なのだが、なんだ?ここは?
八戸港なんてどこにもないよ。ここは漁村というよりただの浜辺だ。
浜には川が注いでおり、その川を少し遡上すると八戸政栄の居城・根城があるらしい。
やがて川から小舟が現れ、ヨットに近づいて来る。
小舟は八戸政栄の家臣のようだ。
政栄は、
『伊勢様の此度の御行幸に際し、当家より献上いたしたい品がございます。今からお船に上げてもよろしいでしょうか?』
と言ってきた。構わんと伝えると、
二折の箱が運び込まれてきた。
『当家領内で産する琥珀にございます。当家で最上の品でございます。どうかお納め下さい』
箱の中は琥珀の首飾りが二組。もう一箱は琥珀の詰め合わせだった。
琥珀はこの時代では貴重な宝石である。ラーニャは特に目が蘭々としている。
「政栄殿、貴重な品を忝い。南部殿の忠義、幕府にも小田原にも確と伝える故安心されよ」
『は、これしきの事で、幕府や日ノ本のお役に立てれば当然の事にござります』
「ところで、政栄殿。この八戸浜だが、このままにしておくのは勿体なくないか?整備すれば大変な良港となるであろう。当家には普請に詳しい者もおるのでな。必要なら人の手配も可能だぞ」
『は、伊勢様の御言葉、しかと殿に伝え港開発を具申してみます』
さて、八戸がこの有様では予定が狂った。今回も小名浜同様、船上泊だな。
翌日、八戸政栄とはここで別れ、南部水軍の案内人を乗せ下北半島を大きく迂回して、ついに外ヶ浜に入った。小舟が数艘近づいて来る。
載っていたのは津軽氏当主・為信一行だ。
乗船を許可され為信が挨拶する。
『津軽為信にございます。伊勢様には遠路はるばる某の地までお越しいただき恐悦至極にございます』
事前に羽黒党から情報が入っていたのだろう、外ヶ浜には急ごしらえと思われる大きな桟橋が設えてあった。
『今宵は是非、我が城にてお休み下されば幸いです。細やかですが宴の用意もしてございます』
さては、ライバル南部家が俺達を上陸させられなかったことを知っているな。
そういえば、南部水軍の案内人は
『外ヶ浜より十三湊の方が近うございます。このまま十三湊までご案内させていただけませんでしょうか?』
と頻りに尋ねてきてたっけ?
俺としては南部と津軽の仲が悪いのを知っていたので、南部の八戸に滞在しておいて、津軽をスルーするのはマズイだろうと思って外ヶ浜に入ることにしたのだが、本当に仲悪いねこの両家。
さて、外ヶ浜に錨を降ろした三隻のヨットは正木水軍の兵に警備を任せ、為信の案内で俺達一行は城に向かう。ここでも、沿道の目を釘付けにしているのは弥助とザワティだ。
着いたのは横内城という小さな砦を改修したような城だった。この城も、俺達が来ると知って急改修したのだろう。
出された料理は「けの汁」という根菜やら野菜やらを種々混ぜて味噌汁に和えた品だった。俺が肉も食べると聞いていたのだろう、猪肉も入っている。
尚、ここの賄いお運びは全員歩き巫女である。どうやって紛れ込んだのか知らないが実に頼りになる。お陰で毒見の心配しなくて良いからね。
そういえば、津軽と言えば三味線と思って訪ねてみたのだが、誰も知らなかった。
俺が音楽が聴きたいと勘違いしたのか琵琶奏者、琴奏者、鼓、笙などが運び込まれ音楽の演奏が始まってしまった。どうも、為信は自身が治める津軽が如何に京の都の文化が浸透しているかを強調したいようだ。




