1592年4月15日 新たな伴天連
最近、北条が主人公の作品増えましたね。内容が被らないか少し心配です。
俺は、百石屋で迎えた伊賀衆が語る、京から伊勢詣でに至る宣教師達の顛末記を大満足で聞いていた。本当に良い気分である。
何しろ、果心居士一行と仔細に検討し練習した大イリュージョンである。
宣教師達は果心居士演じるイエス・キリストを完全に信じ切り、失神・失禁する者までいたという。
アルマダの海戦の話は出すまでもなかったというから、彼らの驚きようが分かるというものだ。
アルマダ海戦は朧げに16世紀末の出来事と記憶していた。俺は日本史よりまだ世界史の方が馴染みやすかったのだ。アルキメデスとか出て来るしね。
で、今日の時点でまだ海戦が起きていないか、起きていても日本にいる宣教師まで情報が入っていないかも?と考え予言の一つとして、エスパーニャ(スペイン)の無敵艦隊はイングラテッラ(イギリス)に無残に敗れるとシナリオに書いてあったのだ。
謁見の時点で宣教師がこれを知っていた場合は果心居士が”お前達の不信神が招いた事態”に軌道修正する手筈だった。果心居士であればこの程度の話術など容易いので心配していなかったが、この話題までたどり着く前に宣教師達は果心居士演じるジェズスに心酔してしまったという。
更に伊賀峠越えで狙い通り一人が心肺停止になり、俺が作ったAEDで無事蘇生したというから大成功だ。
上洛する宣教師達はこの時代の常識では高齢の者が多いので、伊賀者に命じてケシや附子を少量服用させれば心臓に異常をきたす者が現れるかもと思ったのだが、こうまで上手くいくとは!!
あっ、AEDの説明ね。
勿論、現代のAEDのような診断機能とか繊細な装置は一切ついてない。単なる電気ショック装置だ。そうね、寧ろ、これで蘇生に成功した事を驚くべきかもしれないな。
俺が作ったのはダニエル電池という高々1ボルト程度の電流を発する電池である。
詳細は省くが硫酸銅溶液、硫酸亜鉛を各々詰めた二つの陶壺に銅板を浸してゴムと銅線からなる電線に繋ぎ、反対側にはやはり銅板を繋いで、患者の体の右胸と左横腹に当て電流を流すという極めて簡単な物だ。
ダニエル電池を使ったのは単に見栄えが良いからと本物の発電機を宣教師に見せたくなかったからだ。
実際の蘇生は香織製チート磁石が発する千ボルトの強電圧で試みる。
宣教師の見えるところで一人がダニエル電池を大急ぎで準備する。その裏、馬の影とかでもう一人が香織磁石を廻すというカラクリだ。
マンショとミゲルにはジェズスの使途と謳った風魔が、京で直接指導したが簡単にマスターしてくれたそうだ。それにしても、無事に蘇生してくれて良かった。
連中はその後、イエスが再臨したことになっている伊勢神宮を参拝し、華美ではないが神秘的な雰囲気に圧倒された上、神に食事を捧げる行事を見て、神主に”あれは何か?”と質問したところ、通訳を通して『デウスに食事を捧げているのです。私達にとっては毎日の行いです。皆さんは、デウスに祈り願うだけで、主に何か捧げる事はないのですか?』と返され言葉を失ったという。宗教者の問答に勝敗などないのだろうが、この話を聞く限り宣教師達は伊勢神宮の宮司の話に感ずることがあったのだろう。
その翌日は、神宮付近の夫婦岩から眺める朝日に感涙し祈りを捧げていたそうだ。
彼らは神道風の装束に身を改め、鳥居の寸法、紙垂、真榊の作り方まで学んで帰っていったという。
いやぁ、イエスの奇跡を二つも見せた成果なのだろうが、効果あり過ぎじゃないか?
伊勢神宮に最初にこの計画を持って行った際には、
『いかに、神の御子としてお祀りしているとはいえ、このような謀に神宮を巻き込むのは、今回限りにして下さいませ』
と祭主に迷惑顔をされたが、これ程の成果があったのだから献納も弾むとしよう。
神宮は結構な広さの神郡を有しているというから、温室栽培用のビニールや化学肥料、各種消毒液を贈るとしよう。
因みに、俺にキリスト教の知識があるのは、大学の般教で習ったからだ。昔、科学以外は何も知らない理系エリート達がカルト宗教団体に騙され、毒ガスを作ったりテロリストに仕立て上げられた大事件があったそうだ。以来、理系の学生は般教で宗教について一通り学ぶことになったのだそうだ。
*同月 30日 長崎*
先に帰還していた有馬晴信は、京から戻った宣教師達を出迎えに港に来ていたが、彼らの余りの変わりように目を疑っていた。
「どうされたのです。そのお衣装は?」
何しろ、宣教師が纏う黒いローブはなくなり、代わりに神主のような浄衣を身につけている上、頭には烏帽子を被っているのだ。日本語のできるフロイスが皆を代表して答える。
『私達は重大な過ちに気付かされたのです。この日ノ本の国こそがユートピア、新エルサレムだったのです』
何を言ってるのかさっぱり分からない晴信を尻目に、日本準管区長・ペドロ・ゴメスの言葉を訳しフロイスは続ける。
『私達がプロタジオ(有馬晴信)の地で取り壊しを命じた、社寺を全て復旧させる。費用は我らイエズス会が全額負担するので安心されよ』
京でなにがあってこうなったのかさっぱり分からない晴信だったが、イエズス会の費用持ちで建設事業が始まるなら否はない。元より彼が切支丹になったのはその方が南蛮人と交易しやすく儲かるからである。晴信が治める長崎周辺では彼らが欲しがる銀や硫黄は取れなかったのだ。それでも、彼らと友誼を結び交易の利を得るためには土地と領民を提供し彼らの布教に協力するしかない。
長崎の港は南蛮貿易で栄えていたが利を得ていたのは博多や堺の商人が多く、晴信はお零れに与ろうと必死だったのだ。彼は心の中でほくそ笑んだ。
*同夜 ルイス・フロイス*
かねてより日本に関する執筆を続けていた彼は、自宅に戻り今回の新たなショーグンとの拝謁を以下のように書き記した。
『今回、私達を追放しようとしていたヒデヨシを倒した新たな日ノ本の指導者に会うため都に行き、そこで、日ノ本のみならず世の全ての指導者であるジェズスにお目にかかることができた。
ジェズスは当にこの地に再臨していたのである。
その後、私は、病を得、一度は天に召されたが、主のお導きにより、この地に再び蘇った。
私はジェズスが築いた新たなエルサレムである日ノ本について書き記す仕事を得たことを心より誇りに思う。アーメン』
*同刻 アレッサンドロ・ヴァリニャーノ*
彼もまた、今回の上洛について報告書を纏めていた。
『この日ノ本を最初に訪れてから約10年。私達は如何にしてこの国にクリスティシモ(キリスト教)を広めるか腐心してきた。信じられないかもしれないだろうが、私は先日、この地で再臨したジェズと会見した。彼は私達の前で、ラファエロが描いた”変容”を上回る鮮やかな変容を見せ、更に、一度心臓の止まった友人ルイスの蘇生をしてみせた。
ジェズはこの日ノ本こそが新エルサレムであるという。私達は偽者でありサタンの使途だと言う。リスボンやマドリッドはやがて滅びる大バビロンだと言う。ヨハネの黙示に額に印が無い者は、5か月にわたりイナゴに苦しめられるとあるが、私達にはその印がないと言う。その後、ジェズが再臨した地を訪れた私達は、海に浮かぶ二つの大岩を見た。岩の間は大縄で結ばれており、そこから朝日を見ていると岩と縄がまるで天へのゲートのような厳粛さを持っているように思えた。
私達イエズス会はジェズの言われるこの地、新エルサレムに鉄砲や大砲や火薬を持ち込み、この地の混乱を加速させた。また、この地から人を攫いインドやアフリカに連行した。これらは紛れもない事実である。
イエズス会は黙示録の七つの教会を単なる地名と解釈していたが、あれは比喩的表現で、私達イエズス会も七つの教会への書簡に目を向け自らを省みるべきではなかったのか?
だが、ジェズは私達イエズス会にもまだ希望はあると言う。
私は、この新エルサレムでの信仰のありかた、教会の前に立つゲートについて教えを請うた。以下にそれらを記す。エウロパが滅びゆく大バビロンにならないよう、イエズス会でもこの新エルサレムの教会のようなゲートを設ける事を提案する。
また、この新エルサレムの民が付けている神の信徒の印についても合わせて記す。
黙示録では額に刻印とあるが、この国の民のそれは頭上に髪を結った印である。
これは黙示録が翻訳される過程で誤植が起き変質したものと推察する』
他の宣教師達も其々、報告書を書いた。
この後、バリニャーノは澳門に戻り、更にゴアまで向かい宣教師達が記した意見書を兼ねた報告書を届けた。
ルイス・フロイスはバリニャーノと共に澳門に戻ったが、再び来日し長崎で生涯を終える事になる。
ーーーーーーーーーーーー 第四章 伴天連編 (完) ーーーーーーーーーー
敬虔なクリスチャンの方が本章読んだらお叱りが来るかもしれませんね。
本作はあくまで娯楽ファンタジー作品なのでお許しを。
イエズス会の公用語って何語だったのでしょうね?
ザビエルやフロイスはポルトガル人、バリニャーノは当時のナポリ王国の出身。オルガンティーノも北イタリアの生まれだそうです。更にイエズス会が設立されたのはパリ。
イエスもジェズス(ポルトガル語)ヘスース(スペイン語)ジェズ(イタリア語)どう表記しようか迷いましたが、一般的なイメージとして南蛮人=ポルトガル人なのでポルトガル語のジェズスを採用しました。
そういえば、ジェズスとかヘスースっていうサッカー選手いましたよね。
自分の子供の名前にイエスと付けてしまうとは凄いですね。




