1592年3月31日 ジェズス
「ふぅ」
ジェズスこと果心居士は一仕事終えた後、満足そうな笑みを浮かべ一息ついた。
切っ掛けは年始めの頃である。伊勢直光様の使いが幻庵様の庵を訪ねてきて仕事を頼みたいとの話から始まった。
世鬼から歩き巫女を通じてもたらされた情報で、
・九州の南蛮人宣教師達が上洛し将軍に拝謁したがっている事。
・亡き秀吉が出した、伴天連追放令を撤回し、あわよくば東国までも布教範囲に認めてもらいたがっている事。
そこで、直光様ともども細工を施し、聚楽第で彼らが神の御子と呼ぶジェズスを演じて欲しい。と言われたのだ。
南蛮人一行を幻惑させる等実に楽しそうな仕事だったので、二つ返事で引き受け、直光様と打ち合わせを重ねた。
以外にも、直光様は伴天連や切支丹にとても精通していて驚かされた。
・何を言えば、彼らが驚き
・何をすれば、彼らが恐れおののくか
実によく知っていたのである。
ジェズスとやらの格好は歩き巫女が九州から持ってきた何枚かの絵で把握した。
更に、かつて都にあった南蛮寺が壊された際、波田屋と五右衛門が拝借したいくつかの品も小道具に仕えそうだった。
正直、ジェズスに変装するのは朝飯前だった。古ぼけた麻布をまとった浮浪者にざんばらに伸ばした髪を染めるくらいで充分だったからだ。
最初は弟子にでもやらせようかと思ったが、直光様の続く言葉に心動かされた。
『伴天連共を騙し惑わすのではない、連中を洗脳し天子様の信徒に改宗させるのだ』
”せんのう”という言葉に聞き覚えは無かったが、伴天連を天子様の信徒に変える。つまり、あの南蛮人共が柏手打ったりお百度参りしたりするようになるのか?
これ程、心躍る話があるだろうか!
伴天連との会話のシナリオは全て直光様が考えてくれた。見慣れない筆とは違う用具で書かれた楷書の巻物だ。正直、最初は読みづらかった。
それによると南蛮人が喋りまくる光景は想定されていない。ほぼ、ジェズスの一人語りのような物だ。余程、自分の変装を買ってくれているのか、ご自身のシナリオに自信があるのか。おそらく両方だろう。
次は舞台装置のセッティングだ。
1.聚楽第の一室を今回の為の専用の謁見の間に改装する。
・天井裏に巨大な円錐形の銅板を設置、円錐の頂点には柿渋で固めた紙を張る。
・その頂点からはゴムと呼ばれる中が空洞の柔らかい樹脂がついており、その先端は栓で止めてある。
凄いのはここからだ。
栓を外し、爆竹に火を付けるとその破裂音がゴムを伝い巨大円錐まで届き、円錐の頂点に張った紙を振動させ、天井下の部屋に大音響を届けるのである。
無論、こんな騒音の出る実験を最初から聚楽第でやれる筈はなく、当初は足柄に掘っ建て小屋を建設して実験した。
直光様は雷鳴の如く響くようにと言ってらしたが、円錐の角度や紙の厚さ大きさを調整し、そこそこ雷鳴っぽく聞こえるようになった。
更に天井自体も音の通りをよくするため柿渋を塗った紙張りとした。円錐で増幅した音響は当初は紙をも破ってしまったが、武蔵国で作る細川紙という厚手の紙に柿渋を塗る事で大音響に耐え、更に音響増幅振動を行う天井が完成した。
2.謁見の間上座の仕掛け
これが、一番楽しい仕掛けだった。
(1)ガラスの球体の中に銅線と竹炭の棒が封入されている。ガラスの内部は窒素なる目に見えない物が詰まっているそうだ。
(2)ガラス球の先からはゴムが2本伸びており、その先には箱があり、その中は両端に石が、中央には銅の細線の巻物が宙に浮いている。ガラス球からの2本のゴムは内部にやはり銅の細線が入っており、この銅の巻物と繋がっているのだ。
(3)そして、銅の巻物のガラス球とは反対の位置に手回し用の取っ手が付いており、驚くべきことに、この取っ手を手で回すと、先程のガラス球から眩い光が溢れ出すのである。
幻術・妖術を極めたつもりでいたが、手で取っ手を回すだけで光を生み出すとは恐れ入ったわ。流石、お伊勢様と謳われる御仁だ。
このガラス球と箱を50個用意し、上座の後ろに設置する。合図と共に風魔50名が取っ手を回し50ものガラス球から光が出た瞬間に隠し板を外す。
すると伴天連共には、俺の背後、いや上座全体が光りだしたように見えるだろう。
予め伴天連共の目を暗い場所に慣らしておくために、部屋には窓もなく松明も掲げず、かろうじて儂の姿が拝める程度に明るさを調整する念の入れようだ。
正直、直光様に弟子入りしたいわ。
次は上座が光っている間に儂のやる事だ。
1.早着替え
ぼろい麻布から白絹の衣に着替える。こんなこと、それこそ寝ててもできる幻術の初歩だ。
2.顔に仮面を被る
3.天井から風魔が垂らした白い麻の太紐で儂の胸周りに肌着代わりに付けた取っ手付きの革当てを背中側からひっかけ、儂を宙に浮かせる。
この程度は幻術の基本の一つだ。万に一度の失敗もないだろう。白絹の中の革当ては目立たぬよう白く塗ってあるのはいうまでもない。そして、宙に浮いてしまえば、下座から麻紐が見える心配もないのだ。
ここまでは、どうという事ない幻術であるが、驚くべきはここからだ。
1.白絹
越後の臭水から作られた絹だという。あんな臭い物からよくもこんな美しい絹が取れるものだ。更にこの絹には桜の葉や鵯花から取れる液が塗り込まれており、天井裏からのガラス球の光に当たると青白く光り輝くのである。このガラス球は上座背後の物とは種類が違い、何でも水銀を使用しておるとか。あの高慢ちきな公家共が使う白粉の原料だそうだ。
2.仮面
この仮面は木の下地に白金なる鮮やかな銀色を張った品で、天井裏からの灯りを反射して怪しく光る逸品だ。更にメタノールなる液を渡され、これを仮面に振りかけて火を付けると青い炎を放つからやって欲しいと言われた。”はっきん”なる金属は炎程度では決して溶けないので信じて欲しいとも。
宙に浮いた隙に、仮面にメタノールをかけ火を付ける等、儂には容易い事だが、それにしても良くも色々と思い付くものだ。
実際、何回か実験したが、仮面が燃えても顔は全く熱を感じなかったし、”はっきん”も美しい銀色のままだった。お陰で、液の量と炎の出る時間も良く把握できたわ。
最後は、これらをやる合図だが、
宣教師共が”奴隷”と口にした時、正確には通訳が言ったらなのだが、とにかく連中が”奴隷”と言ったら全てを始めよと仰せだった。
上階の風魔も下での我らの会話は全て聞こえてるので、全く息のあった大幻術の完成だわい。
しかも、直光様の想定通り、伴天連共にお伊勢参りさせることが決まってしまった。
まあ、最初に顔を合わせた天正遣欧使節の小僧共の反応からして成功は決まっていたようなものだったがな。
あの子ら、儂を本当に神の子と疑ってなかったからな。
にしても、あの気絶した年嵩の宣教師共、無事であればよいが ふ、ふ、ふ。
普通に書くと子供の理科の実験みたいで面白くないので、果心居士に解説させてみました。少しは楽しめたでしょうか?




