1592年3月31日 宣教師上洛
*京都・聚楽第*
この日、九州の有馬晴信に引率された伴天連の宣教師達が、天正遣欧少年使節の帰国報告という名目で、将軍に謁見に訪れていた。
顔ぶれは、何れもイエズス会で
日本準管区長・ペドロ・ゴメス(57歳)
司祭・ニェッキ・ソルディ・オルガンティノ(59歳)
司祭・アレッサンドロ・ヴァリニャーノ(53歳)
司祭・グレゴリオ・デ・セスペデス(41歳)
日本語通訳・ジョアン・ツズ・ロドリゲス(31歳)
日本語通訳・ルイス・フロイス(60歳)
である。
尚、天正遣欧少年使節一行は別途将軍との謁見を澄ましており、将軍側の通訳として、
伊東マンショ(23歳)
千々石ミゲル(23歳)
の二名がこの場に居合わせている。
有馬晴信は引率しただけであり、この場にはいない。
『面をあげよ』
伊東マンショの日本語での声をジョアンが訳し、全員が将軍の姿を拝謁する。
そして、全員が驚愕の表情に固まった。
そこにいたのは、ジェズス(イエス・キリスト)そのものだったからである。
足は見えないが両手の甲には、かつて磔にされた痕だろう、大きな痣が見える。
将軍は言う。
「其方達が、我の信徒か?其方らは何故、切支丹になったのだ?」
驚愕に固まる一同の中、最高位にあるペドロ・ゴメスがかろうじて声を発した。
『ショーグン様は、ジェズス様なのでしょうか?』
宣教師側の通訳はもう役に立たない。伊東マンショが通訳した。
「何故に疑う?この地に我が再臨したのが信じられぬのか?」
ペドロ・ゴメスも言葉がでない。
将軍は続ける。
「其方達が切支丹になったのは、各々の我欲の為ではないのか?我が本物かどうかだと?其方らは我の信徒と名乗れば、この世で罪を犯しても救われ天に昇れると思うたか?来世のいのちが授けられると思うたか?我に会えれば、一切れのパンから大勢の腹を満たせる程のパンが手に入ると思うたか?」
誰も言葉を返さない。
「それらは全て我欲だ。其方らは偽切支丹だ。偽物に注意せよとヨハネに伝えたが、其方らには伝わっていなかったか?それに、偶像崇拝に走るなと教えたが、其方らが下げている首飾りはどうしたことだ?」
「我の再臨したこの地で、我の信徒を名乗り、我の誠の信徒達を奴隷として遠方に攫って行く偽者がいると聞いている。それは其方達のことであろう?」
「偽物が我に祈る為の社を破壊し、見目だけ麗しい怪しげな館を建てているとも聞いている。そのような館、ナザレにもベツレヘムにもエルサレムにもなかったが、誰が考え出したのだ?」
最早、宣教師達の中で目の前のショーグンを偽ジェズスと疑う者はいなかった。
何故なら、ナザレ、ベツレヘムなどと言う地名をイエズス会が日本人に教えた事などなかったからだ。
彼らが日本人に教えていたのは”デウスの教え”であって”ジェズスの生涯”ではないのだ。
ペドロ・ゴメスは意を決し、十字を切り、両の手の指を交互に重ねる切支丹式の合掌をし、声を発した。
『ジェズス様、奴隷は』
その時!ゴロゴロゴローン!!ドゴゴゴーン!!部屋を劈く極大の雷鳴が轟いた。
それとともに、ショーグンいやジェズスの周囲が眩い光に包まれ、皆、目を開けていられなくなった。
やがて、光が収まってくると、徐々にジェススの姿が露わになってきた。
そこにいたのは、顔は眩しく光り、その着衣は先程までの粗末な麻布から青白く輝くような鮮やかな白絹に代わっていた。そして、ジェズスは宙に浮いていた。
露わになった両足の甲にはやはり磔の跡であろう、大きな痣が見える。
宣教師たちは”ジェズスの変容”を目の当たりにして、ルイス・フロイスとオルガンティノは失神、セスペデスとロドリゲスは失禁し唯々指を交互に絡め手を合わせ祈っている。ゴメスとバリニャーノも声が出せない。
ジェズスは宙に浮いたまま言う。
「先程の雷の音を忘れるな。不信人者の言い訳に主がお怒りになったようだ。我がこの極東に再臨した理由、それはここがアルマゲドンの地から最も遠いからだ。この日ノ本こそが新たなエルサレムである。つまり其方ら偽者の地、リスボンやマドリッドはアルマゲドンの地となるのだ。悔い改めない限りはな。そもそも、この国の信徒の頭には神の印があるが、其方らにはないではないか。其方らはアルマゲドンの日、空を行くいなごに5ヶ月に渡って苦しめられるであろう。偽物でもヨハネへの黙示の内容くらいは知っているだろうに、ふてぶてしい奴らめ。其方らは偽者というより、サタンの化身だ」
ここまで来て、ようやく、バリニャーノが涙声を出せた。
『ジェズス様、悔い改めます。どうか我らに救いを!宣教師の一部の人間がこの国、いえ、信徒様を奴隷として遠方に連れ去ったのは事実でございます。その者は、主の怒りに触れたのか今年死亡いたしました。攫われた信徒様は我らが必ず連れ帰るとお誓いします。ですから、どうか、ジェズス様のこの国での誠の教えを私達にお教えください。お救い下さい。お願いいたします』
バリニャーノとゴメスは気が付けば胸の前で手を組んだまま、日本式に頭を下げていた。
ジェズスは答える。
「我の誠の教えなどこの国の者なら誰でも知っているぞ。だが、悔い改める気があるというなら、我の教えを独り占めにせず、リスボンやマドリッド、そしてローマにも広めるが良い。まずは我が日ノ本で再臨した場所に行ってみると良い」
「くれぐれも、自分達だけ救われようとは思うなよ。主はいつでも其方らをみている。先程の雷鳴を忘れるな」
ジェズスはそう言うと、漸く床に降り立った。
「我が再臨した地はマンショとミゲルが案内する。その地に向かう道中にも試練があるやも知れん。だが、無事に再臨の地に赴き、そこで我の教えを学び、西方に宣教すれば其方らも故郷の同胞も救われる」
言い終えるとジェズスは忽然と姿を消した。
宣教師たちは天正遣欧使節の帰国報告を口実に、前関白・秀吉が出した伴天連追放令を解除してもらい、更に日ノ本の新しいリーダーが東の出身であると聞いていたので、これまであまり進出していなかった日ノ本東部への布教の許可を得ようと目論んでいたのだ。勿論、その為の貢物も潤沢に運んできていた。
だが、ナザレ、ベツレヘムという地名を出され、ジェズスの変容という奇跡を見せられ、禁忌同然の扱いだったヨハネの黙示の話をされ、完全に心を折られてしまった。失神している者を除いて全員がジェズスが先程までいた場所にいつまでも祈りを捧げていた。




