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1592年1月15日 ヨット

本州横断運河に近代製鉄プロジェクトと超長期プロジェクトの話が続いたので、今回は比較的短期に実現可能な話をしよう。


今、俺が梶原や九鬼らと印旛甫で実験しているのは、ずばりヨットである。


この時代の日本の船はまだ風上に向かうには手漕ぎが唯一の手段なのである。


なにしろ、帆に使われている素材はむしろ、まともな素材でも麻布なのだ。


新津油田に香織製チート磁石と銅を送ったことにより、かの地では少しずつだが電気分解の技術も蓄積されつつある。中でもポリ塩化ビニルは製造に目途が立ったので、男鹿油田に工場を設置、九戸政実を担当奉行にして量産に着手したのだ。


因みに新津油田では、ガラス繊維、炭素繊維の研究に着手しているという。もう高分子に関しては彼らは俺より有識者なのではないだろうか?


ポリ塩化ビニルはビニールハウスなど温室栽培の実現に大きく寄与するから陸奥はじめ寒冷地での農業では特に重宝されるだろう。


そして、そのポリ塩化ビニルがこの佐倉にもいくつか納品されてきた。これを帆に採用し小早舟の帆として取り付けたのである。


安房を吸収して良かった点は大勢の船大工が手に入ったことである。彼らは小早に早速、マストと帆を張ってくれた。無論、指導したのは俺だ。この時代の日本に縦帆は存在しないからね。重工メーカーの人間なら船舶や航空機の基礎構造は一通り習得しているものである。竜骨キールについてもあっという間にマスターしてくれた。更に細工師の協力も得て舵も設置できた。


小早舟の大きさはヨットで言えば1~2名用のサイズである。これを今まで20~30人で櫂を漕いでいたわけだから、梶原も九鬼もその性能に驚いていた。


これで経験を積んで、関船や安宅船にもヨット航法を取り入れていけるようにする。これが、今年の現実的な目標である。


この時代の戦の強さとは、速度だろうと俺は考えている。というのも、猿関白が北条討伐を正式に表明してから、実際に兵がやってくるまで半年近くかかったと聞いたからだ。確かに通信手段が貧弱な時代であるから、

1お触れを出して

2兵を集めさせ

3徒歩による行軍

等とやっていたら戦地までそれくらいかかるだろう。

勝負を決めるのは速さだ。敵が吞気に準備をしている間に攻め寄せれば、火力自体は従来の種子島や大筒でも充分なのではとさえ思えるのだ。


そこでヨットである。手漕ぎ舟と違い航行に人手を取られないヨットであれば 、この時代にしては高速で移動しカルバリン砲で長射程からの攻撃も可能となるのだ。船大工が慣れてきたら、速度は劣るが、甲板を広く取れ、大筒の積載数も確保できる、双胴艇、三胴艇も作りたいところだ。


どうでもいいけど、雄二と甲斐姫はいつまでハネムーン行ってんだ!(怒)

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 竜骨がないと風上には切り上がれませんよー
[一言] ヨットはセンタボードをつけますが、日本の和船はセンターボードがなかったと思います。今回のヨット建造では、どうされますか?
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