1591年12月3日 新たな任官
寒い。とにかく、寒い。一年前は上洛準備やらでバタバタしていたから気が紛れていたのか、あまり感じなかったが、この時代の冬は本当に寒い。新暦で言えば1月だろう。ここ房総は殆ど雪も降らないし、北関東のような凍てつくような空っ風も吹かないのだがそれでも寒い。
折角、天然ガスの宝庫に住んでいるのだから、細工師にガスストーブでも作らせようか?簡単なやつならガスコンロと同じようにガスの出力を調整できるようにして、周囲三方を錫とか光沢のある金属で囲めば良い筈だ。ただ、発火にはマッチが必要だから燐灰石からマッチも製造させようか?いや、いっそ、ガスライターという手もあるな。茨城いやもとい常陸の久慈川一帯は瑪瑙の産地で江戸時代にはこれが火打石として重宝されてたらしい。恵理の父さんから聞いた話だから間違いないだろう。俺を落ち武者に落とした人間の一人。でも、この世界では彼から聞いた話が役にたってるな。そういえば、恵理どうしてるだろ?
歴史の歯車がちょっと違えば彼女と結婚していたかもしれないんだ、やっぱ気になる。
さてさて。そんな伊勢家に先月終わりから仕官してきた人が三人もいたのである。
それも、武門家老・松田康郷によると『大変な人』らしい。
一人目は弥助という壮年の男だ。
武技に秀でているとの自己申告だったので、試しに伊東師範の道場で試合をさせた所、刀や槍はそれなりだったが、無手での格闘では敵なしだった。
だが、彼の最大の特徴はその肌である。見まごう事なきアフリカンなのである。
以下は弥助の身の上話だ。
『某は、葡萄牙人に連れられ日ノ本に参りました。その後、織田信長様に見いだされ、武士として仕えておりました。織田の殿様と本能寺に泊まっていた時、敵襲にあい織田様は命を落とされました。最早、敗北を覚悟された殿様は『敵に我が首を差し出すはこれ以上の恥はなし』と仰られ、自害された後、某に、その御首を持って高野山に逃げるよう仰せになりました。某の体の大きさ強さは日ノ本の人間の比ではないので、首を持って逃げるだけなら最適とお考えになったのでしょう。
某は、殿自害後に、命令通り御首を布に包み、本能寺から逃走し高野山を目指しました。夜間でしたのでこの肌も目立つことはありませんでした。その後、高野山に身を寄せていましたが、やはり、この肌の色はどうしても目立ってしまいます。某は更に山の奥にある熊野神社に身を寄せる事になりました。熊野では本殿の奥でひっそりと暮らしておりましたが、最近、熊野水軍の方々より某と同郷の人間を多く雇用している家があるとお聞きし、伊勢様の事を知った次第です。もはや、戦の世ではなくなりましたが、某は日ノ本の言葉も葡萄牙の言葉も話せます。何より今一度同郷の者達と共に働きたく仕官に参った次第です』
なんとも、壮絶な人生だが、あの本能寺の変の現場に居合わせたというのも驚いたわ。
肝心の信長の首だが、高野山に預け埋葬して貰ったとのこと。
ただ、信長の遺品として一振りの刀と茶器を一つ持参していた。
刀の名は備前長船作「実休光忠」。茶器は「珠光小茄子」という茶入れだという。
物知りの松田康郷によると、
実休光忠は蒲生氏郷が織田家家臣時代に手柄を立てた際に所望したが下賜されなかった名刀。
珠光小茄子は織田信長に関東管領に任じられた武将が関東なんかより珠光小茄子が欲しかったと嘆いたとされる名物茶入れだそうだ。
あんな小さな抹茶入れが関東全体より価値があったとはね!
刀の方は氏郷に松坂牛100頭と交換してもらおうか?
以前氏郷から貰った松坂牛は全て洪水で流されてしまって、追加で貰おうと思ったら、今年はもう献上できる牛がございません。と言われてしまったのだ。
近江から取り寄せているという話だったから、来年まで待つしかないのだろうが・・
弥助は仕官の対価として、これら二点を俺に献上すると言う。
そうまでされては、即採用だよ。
二人目・三人目は夫婦だ。
名を立花統虎・誾千代という。
二人は九州の柳川城主として小田原攻めに従軍していたが、豊臣方の大敗を目の当たりにして九州に戻っても最早居場所はないだろうと考え、素性を隠し野武士として相模で農民の世話になりながら畑仕事を手伝ったり、野盗相手の警護をしたりして過ごしていたという。
因みに、小田原攻めでは家臣100名程を従え従軍していたが、ずっと隣領の黒田孝高の家来扱いされていたのを屈辱を覚えつつ耐えていたが、黒田の領主が夜の茶会に出ると言うので、二人は陣を離れ天狗で有名な大雄山を夜に参拝に訪れ、小田原に戻ってみると豊臣方が瓦解しており家臣の行方も分からなくなり当初途方にくれたという。その後、落ち武者狩りに備えて武具防具は外し、伝家の刀・笈切り兼光だけを持って、あたかも自身も落ち武者狩りの一員のように扮し、危機を脱したのだそうだ。妻・誾千代もまた男装して夫に従ったという。
これまた、凄い話だ。ごめんよ立花、君の家臣はきっとダイナマイトや石鹸の材料になったよ。
『北条様が新たに幕府を開かれ、九州の諸大名も所領安堵されたと伺いました。今、柳川がどうなっているか分かりませんが、例え戻っても立花家の再興など叶わないでしょう。そして、相模の領民達が伊勢様をお天道様と呼んで慕っているのを目の当たりにしました。また、南蛮より様々な物を取り寄せ新たな国造りをされているとか。是非、我らも伊勢様の元で新たな国造りの末席に加えていただきたくまかり越しました。柳川では政事の経験もあります。戦働き以外でも貢献できるよう精進いたします』
立花夫婦はまだ若い。どう見ても二十歳前後だ。それに新たな国造りに前向きとなれば否はない。なにしろ、うん百年の伝統とか、そんな話にうんざりしているところだ。即採用とした。
立花統虎は、
『有難うございます。これを機に心機一転する意味を込めて、名を宗茂に改名いたします』
俺は名前などどうでもよいので、
「あいわかった」と応じた。
本作、有名武将があまりにも少ないので立花宗茂を夫婦で強引に出演させることにしました。




