1591年11月20日 本州横断運河
尿素の製造の為に新津油田から炭酸ガスの定期納入が必要になった。
現在は信濃川を舟で遡上しその後馬に載せかえ清水峠を越え、上野側に下山したのち利根川まで運び、また舟に載せ江戸湾から房総半島を回って外海に出て一宮川を遡上してようやく到達する。
元よりこの時代の物流は極めて貧弱だったのでこれを機に運河を整備することにした。構想はこうだ!
案A
香取海に注ぎ込み鬼怒川を上流の男鹿川まで遡上。
男鹿川から阿賀野川の上流である荒海川まで山中を長さ10キロ程の運河を建設する。
案B
香取海に注ぎ込み鬼怒川を上流の男鹿川まで遡上。
男鹿川から支流の中ノ沢・沼の沢を更に遡上し荒海川支流の沢まで山中を長さ1キロ程の運河を建設する。
流域に中ノ沢金銀山(金、銀、石英、黄鉄鉱、黄銅鉱) 、八総鉱山(銅、亜鉛、鉛)がある。
こうしてみると運河建設距離が短く流域に鉱山が二つある案Bの方が有力に見えるが、運河で繋ぐのが両方とも川というより沢であり小舟程度しか行き来できないということ。新津油田までは遠回りになることがネックとなる。
結局、両方の候補地周辺を風魔の山師に調査してもらった結果、双方ともに周辺の水脈は豊富だが、案Bは水脈がありすぎて工事によっては決壊の恐れがある。とのことで、案Aの採用となった。
下野と会津を繋ぐ今回のプロジェクトには、氏房さん、伊達家との三家合同事業となる。運河の設計、水脈調査は我が伊勢家で行うが、人足は氏房さん、伊達家の両家に出して貰うことになる。
男鹿川から越路沢へと遡上し、その先の標高1000メートル級の山々の間の水脈を探り、ダイナマイトで爆破し人工湖を複数作る。各々の湖は運河で繋ぐと共に堰を設置し下流への洪水の発生を防ぐ。
越路沢周辺からダム湖を設置し、より標高の高い人口湖へと繋ぐ。
両湖の堰を開け水位が同じになったら船が人口湖へ進む。
説明するのは難しいが、要はパナマ運河と似た工法だ。完成には早くても3年、普通に見積もって5年はかかるだろう。
恐らく日ノ本史上最大のプロジェクトだ。
氏房さんは新たに家臣になった那須家、宇都宮家他、常陸の大名を動員し各家の力量を測る事が出来る。
伊達家は領都・黒川から太平洋側へ水路で出る事ができることになり堺までの距離の短縮になるので、大層乗り気だった。
結局、各家が出した奉行は、
伊勢家・真田信繫
氏房家・大道寺直繁
伊達家・片倉景綱
となった。
開閉式の堰を設置しなければならないので、大きな木板が必要になるが、日光山から僧兵も支援に動いてくれることになった。山を自在に動ける彼らの存在は本当にありがたい。それに日光杉は堰の材料として重宝されるだろう。
どうでもいいけど、雄二と甲斐姫、半年たってもまだ帰ってこない!
こんな長いハネムーン現代でもありえないぞぉ(怒)




