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堂島達弘

 

 達弘は、病院のベッドで目覚めた賢治に優希の死を伝えた。薬品中毒ということだった。


「空いている病室を備品置き場にしてたらしい。瓶が倒れた拍子に、有毒なガスが充満したんや。お前はすぐに発見されたから良かったものの、優希は助からんかった」

「どうして……」


 ずきずきと痛む頭で賢治は考える。裏山でサブローの死体を見つけたはずだった。達弘の伝手で、名のある神社でお祓いもしてもらった。それなのにサブローの怒りは収まらなかったのか。

 いや。そもそも検討外れな方向に向かっていたのではないか。


「次は俺かお前か。たまらへんな」

「達弘。君は間違っていたんだ。彼は怒ってなんかいなかった。復讐を考えてもいなかった」

「なんや急に」

「サブローは今も僕たちと遊びたいだけなんだよ。覚えているか。一度、彼を残して先に帰った時、サブローが達弘の家まで行ったことがあっただろ」

「ああ……よう覚えてるな」


 達弘は部屋の机に虫が死んでいるのを見つけた時のように顔をしかめた。家族と夕飯を済ませた達弘は隠れ鬼のことなどすっかり忘れ、風呂場で身体の汚れを落としていた。すると窓から、青白い手がにゅっと突き出て達弘の後ろ髪を鷲掴みにしたのだ……みぃつけた、と高い声を反響させながら。


「あれは気味悪かった」

「サブローは決して器用な子供ではなかったけど、人一倍粘り強かった。今思えば異常なほど、諦めるということを絶対にしなかった。

 ……この隠れ鬼も、全員捕まるまで終わらないぞ」

「いや、俺は信じへん」


 確固たる断定の言葉は、しかし、達弘にしては珍しく冷静な口調の中から放たれた。賢治には、それがかえって不気味に思えた。


「亡霊だの運命だの、俺はそんなもんには負けへん。絶対に生き延びたるわ。

 ところで、優希が襲われた時、変なことがあってんてな」

「あ、ああ。サブローは優希に手をかける前に、病棟の子供を攻撃したんだ」


 サブローが馬乗りになり、タコ殴りした患児。彼がどうなったのか、賢治も達弘も知らない。しかし達弘にとってはさして興味のあることではなかった。自らの生き死にだけが達弘の執念の向かう先だった。


「ええか、賢治。そこに勝機がある。サブローが幽霊かどうかはさておき、実際に触れることができるっちゅうことやろ。子供が殴り倒されとんねんから」

「確かにそうだけど、前から分かっていたことだろう。太志もあげはも、触れずに殺すことはできない状況だった」

「いや、お前は分かってへんわ。問題はサブローの殺意がまさに自分に向いた時、対処できるかどうかっちゅうところや。返り討ちなんてもんは、普通は簡単にはできへんもんや」

「まさか、達弘。君は」


 賢治は不意に不安な気持ちに襲われた。達弘は、話をどういう方向へ持っていきたいのか、薄々感付いてきた。それは賢治にも身に覚えのあることだったからだ。


「誰かをおとりにするのか!?」


 電話越しに「逃げろ」と優希に伝えた賢治。子供が殴られているにも関わらず、だ。あまりにも残虐な方法だった。その時のことを思い出し、賢治は苦虫を噛み潰したような気持ちになった。


「賢治、俺のものになれや」


 静かな告白の言葉を口にした達弘の瞳は、狂気に濡れていた。


「……は?」

「絶対に見つからへんし、見つかってもあいつには入られへん場所があるねん。俺の家の地下室や。そこで一生暮らそう」

「急になにを言って」

「実はあげはの店行ったら、ハマってしもてな」


 達弘は賢治の腕にそっと手を這わせた。賢治は背筋が凍るのを感じた。しかし手を振りほどくことができない。突拍子もない達弘の言動に、思考も行動も追いつかない。


「ていうのは冗談やけど」

「おい、達弘」

「やっぱりお前は分かっとらん。『誰か』やない。お前や」

「は……? うわああああ!」


 それが先ほどの賢治の問いに対する答えだと気付き、賢治は絶叫していた。その時にはもう、手遅れだった。達弘の手には注射器が握られている。嫌だ! ピクピクと痙攣する男の子の姿が思い浮かんだ。僕はまだ死にたくない!


「俺の知らんところでお前に死なれたら、サブローの隙を突かれへん。まずはハネムーンや。一緒に隠れてもらうでっ!」


 賢治はいやいやをしたが、鍛えた達弘の腕力には抗えなかった。やがて白濁した液体が体内に注入されるのを、なすすべもなく眺めていた。




「社長って言ってもな、オンラインサロンでアホどもから金巻き上げるだけや。なにもせんでも金が入ってくる」


 達弘が奥の手として用意していた場所。それは地下室だった。


「恨まれることも多いからな。こうやって隠れ場所はいくつか確保してるねん」


 誰に聞かせるふうでもなく話し続けながらも、達弘は手を緩めない。賢治を拘束する台はすっかり準備ができあがっていた。


「へへ、えげつい拘束具おもちゃやろ。俺の声音でしかロック解除できひん特製品や。

 加えて、この部屋の鍵は外側からしか開かへん。上で信頼できるもんが待機しとるから、お前に逃げられる心配はない」

「……下種め」

「はは、言うやんけ。でもな、お前も俺の商売の恩恵を受けてんねんで」

「はあ?」


 賢治は眉をひそめた。蛍光灯がまぶしいせいで、思考が絶えず邪魔されているようだ。達弘はその様子を滑稽だと思う。そうだろう。俺に資金援助をされているなど、気付きもしなかっただろう。


「考えてみいや。お前のおもんない小説が本になってんのはどうしてやと思う? 俺の人脈があるからこそや」

「くそ、達弘っ」

「だいたい、新作をいつまで考え続けてんのや? 普段誰かとうてるか?」


 賢治は明らかに狼狽していた。賢治には最近の記憶はほとんどないはずだった。毎日毎日、書斎に籠もって机に向かっている。身の回りの世話も同居する母に任せっきり。絵に描いたような負け人間っぷりに、達弘は虫唾が走る思いを抱いていた。


「達弘……君はなぜ僕のことを、そこまで知っている」

「あかん、喋りすぎたな。まあええわ」

「どういうことだ」

「お前の身体も、心も、全て俺のもんってことや。ふふ……さて、サブローをぶち殺す前にお楽しみと行こか!」

「嫌だ! やめろ!」

「おぼこみたいに騒ぐなや! すく良うなるて」


 賢治には抗う精神力は残されていなかった。それを鋭く感じ取った達弘は舌なめずりをした。落ちるのももう少しだ。


「じゃあな、賢治。ええ夢見ようや」


 達弘は暗い地の底で、計画の成功を確信していた。




 しかし次に目が覚めた時、達弘は真っ赤な光の中で座っていた。思わず双眸を細め、そして愕然とした。だ。どうしてが、こんなところにいるんだ。さっきまで地下室の中にいたのに。サブローはあそこには入ってこられないはずだ。

 ふらふらと立ち上がり、改めて周囲を見渡す。夕焼けの中、草むらが燃えるような輝きを放っている。視界の端には、廃れた東屋……あり得ない光景を目にしながらも、達弘は自分がどこにいるのかを理解していた。ここは裏山だ。隠れ鬼をした、あの裏山だ――()()()()


「おいおい、うそやろ……」

「かくれおにしよぅよ」


 達弘は知らず知らずのうちに笑みをこぼしていた。まさかこんなところまで追いかけてくるとは。防げるはずがない。誰が無意識を制御できるというのだ。


「くそ……くそおおお!」


 達弘は走り出した。すぐ後をサブローがぴったりと張り付くように追いかける。もはや達弘の頭から返り討ちのことは消え失せていた。圧倒的な恐怖に、本能に訴えかける捕食者への畏怖に、か弱い草食動物のように全速力で逃走することしかできなくなっていた。

 たとえ夢の中でも関係はない。捕まれば終わりだ。くそ。どうして。達弘の脳内では疑問が渦を巻いていた。どうして俺が。賢治ではなく俺が先に。

 もう少しだったのに!


 どくん。


 胸の奥で生暖かい衝撃、遅れて強烈な痛み。全身の感覚が胸部に集中し、余すことなく死の痛みを達弘に味わわせる。吐き気のするような口当たりがした。

 麻痺した両足はもつれ、達弘の身体を背の高い草原へ突っ込ませた。空が高い。もうすぐ夜が訪れる。全身が強張ったように引き攣っている。禍々しい発色は網膜を焼き尽くさんばかりだった。

 視界に、サブローがひょっこりと顔を出す。


「みぃつけた!」

「はは……やっぱりお前やったんか。よくも俺らを虫けらみたいに殺しやがって」


 サブローは無垢な表情のまま首を傾げた。一瞬、子供の父親を食するカマキリのようだと、達弘は思ったが、すぐに馬鹿馬鹿しい考えだと切り捨てた。


「サブロー……いいや賢治、お前や!」




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