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藤原優希

 

 かしゅ、かしゅ。

 人の生死と向き合う職を志し、今まさに修練を積み重ねている。すでに覚悟はできているはずだった。

 しかし太志とあげは、立て続けに起きた二人の死は、優希の心に暗い影を落としていた。まるで胃に重い鎖が巻き付いるような胸の苦しみに、改めて非常な現実を突きつけられたような気がした。


「あったぞぉ!」


 シャベルで薄暗い敷地の一角を掘り返す自分を、どこか別人のような視点で眺めている。




「あげはまで逝ってまうなんてなぁ」


 達弘はぼそりと呟きを漏らした。先月の太志の葬儀の際と内容はほぼ同じ言葉だったが、優希には、その中に恐れが混じったように感じられた。公園でひっそりと首を吊っていたあげは。自殺と考えられたのか、ニュースにもならなかった。職業柄、人間関係で悩むことも多かったかもしれない。

 そこまで考えて、優希は自分が勝手な想像を働かせていることに気が付き、わずかな自己嫌悪を覚えた。


「そのことで、今日は二人に伝えなければいけないことがある」


 決意の面持ちで切り出した賢治を、優希は半ば呆けたように眺めていた。身近で起こった死の連鎖で、このところ実習にも身が入っていない。確かな志をもって看護学の門を叩いたはずなのに。急速に自信が薄れていくような感覚を味わっていた。同時に、自分自身も希薄な存在になっている気がするのだった。


「実はあげはが亡くなる直前、僕は彼女と電話をしていたんだ」

「でも賢治君、携帯電話は持っていなかったよね」

「ああ。だから家の固定電話からかけた。大事なことを聞き出せそうだったんだ」


 悔しそうに賢治はうつむいた。


「サブローが死んだ時のことだよ。僕たちは彼をおいて先に裏山を後にした。だけど本当にそれだけだったのかな?」

「……どういうこと? 確かに結果的にサブロー君は不幸なことになっちゃったけど、いつものことやったし」


 それまで黙っていた達弘が、唐突に大声を出した。


「サブローは俺たちを恨んでいるんだ。だから今になって復讐を始めた」

「でも、太志君は事故で、あげはは自殺やったやん」

「幽霊なら他殺も自殺も自由自在や。気を狂わせることだってできたやろう!」


 達弘の表情は明らかに思い詰めたそれだった。優希はその姿に不安を覚えた。既視感があったからだ。精神病院での実習で、執拗な妄想に囚われた患者と話をした時のことだ。うつむきがちに独自の世界観を話す初老の男性の、曇り一つない瞳。それと全く同じ目をしていたのは気のせいだろうか。

 賢治は言いたいことがあるようだったが、達弘の剣幕に呑まれて黙り込んでしまった。優希は賢治の言葉の続きが気になっていたが、少なくとも今日は聞き出せないだろう。達弘は言い始めたら聞かないし、賢治も人の前では極端に自己主張をしない。昔からそうだったと、優希は咎めるような思いを賢治に抱いた。


「俺たちに残された道は一つしかない。生き延びたければ、サブローを供養してやることだ」


 最後の一人になるまで戦う、くらいのことは達弘なら言いそうだと思っていた優希は、意外な心持ちでその言葉を聞いていた。案外平和的な思考だった。

 しかし続く発言で優希はやはり落胆したのだった。


「あの裏山で、サブローの遺体を見つけてやるんだ」




 当時、裏山は優希たち6人だけが知っている秘密の遊び場だった。自殺した男はサブローの遺体のありかを言い残すことはなかったが、隠れ鬼の後から行方不明なったこと、警察の捜査でも見つからなかったことを考えると、可能性はあの裏山しか考えられない。これが達弘の考えだ。

 かくして3人は日曜の朝から昔懐かしき遊び場で重労働を行っていた。むしろ強いられていたと言っていいかもしれない。


「おい! もっと声出せやー!」

「へーい……」


 達弘はまるで暴君のように二人をこき使った。さすがに優希には気を遣ったが、賢治に対する扱いはひどいものだった。もう少しでシャベルで殴殺しかねない勢いだった。

 警察の捜査で見つからなかったものを10年以上経った今たった3人で探しあてることができるのか。そもそも本当にここに遺体が埋まっているとは限らないのではないか。優希の脳内では無体な問いが渦巻いていた。肉体労働に慣れていない賢治はなおさらだろう。

 しかしそれでも二人が従ったのは、なにもサブローの供養に囚われていたからではない。むしろ取り憑かれたようにシャベルを振るう達弘の剣幕に恐れをなしていたからだ。優希は、サブローの遺体を見つけることが、せめてもの追悼になると自己暗示をかけ、心の支えとしていた。賢治はすでに心が折れた様子であったが、ただ恐怖に突き動かされているといった有様であった。

 逃げも、隠れもできない。


「あったぞぉ!」


 日が暮れる頃になって、達弘が狂気の雄叫びを上げた。優希はシャベルを引きずるようにして声のした方角に向かった。そこは廃れた東屋あずまやだった。達弘は満面の笑みを浮かべて、泥だらけの腕で額の汗を拭っている。賢治は精根尽き果てた様子で腐葉土の上にへたり込んでいた。優希も今すぐにでも座りたい気持ちだったが、二人の姿を見てなんとか思いとどまった。


「骨や! 骨が埋まっとった!」


 地面の一角――東屋の床を壊し、下の地面を掘ったらしい――には、確かに白い陶器のようなかけらが散乱していたが、看護学生の優希には人骨とはかけ離れたものに見えた。もしくは、教科書と現実とでは違うものなのだろうか。


「動物の骨とちゃうくて?」


 優希の問いに答える代わりに、達弘は無言でしゃがみこんだ。「あ」と賢治が制止しようとするまもなく、達弘は両手にボールのようなものを抱えて、にまりと笑った。

 確かにそこでは、顔面筋の一部がへばりついた子供の頭蓋骨が、ズブズブに崩れた笑みを浮かべていた。


「うふふふふ」


 ついに抑制の外れた優希の低い笑い声が、黄昏の裏山の地を這い、広がっていった……。




 屍蝋化といって、特殊な条件下では死体が腐らずに原型を留めたまま残るという。あの哀れな子供の遺体は、ちょうど頭部の一部だけがその条件に合致してしまったのだろう。他の部位を調べると、少なくとも10年以上前に殺された子供の遺体と分かるはずだ。取り調べの老齢の刑事はそう優希に教えてくれた。殺人事件を扱ううちにその手の知識に詳しくなってしまったそうだ。

 10年以上前――ちょうど優希たちがあの裏山で遊んでいた頃だ。だから優希たちは犯人足りえない、と刑事は言外に示唆してくれた気がした。達弘が死体を一部損壊させてしまったものの、取り調べも厳しいものではなく、優希はすぐに解放された。


『やはり達弘の考えは正しかったかもしれない。サブローの亡霊が僕たちを捜し回っていたんだ』

「もう、やめてよ……」


 翌日の病院実習、優希は昼休みに病棟の通話スペースで賢治で会話していた。刑事から聞いた話を賢治にも共有していたのだ。


「そのうち、DNA鑑定の結果も出て、あの子がサブロー君ってことも証明されるよね」

『ああ、そうだろう。これで安心できるといいが――』

「かくれんぼしようよ!」


 優希はビクッと振り返る。そこでは、入院着の子供が目を輝かせていた。優希はほっと胸をなで下ろした。実習中に仲良くなっていた子供だった。


「なんやユキ、彼氏かー? 生意気やな! ウルトラキック!」

「あはは、痛いって」


 じゃれついてくる患児に、優希は癒やされていた。そうだ。病気を抱えたこの子たちは明るく生きようとしている。彼らを支えるのが、私の夢ではなかったか。


『優希、大丈夫かい?』

「うん。もう平気――」


 賢治は心配げだったが、優希は温かい気持ちで子供の頭に手をやった。

 次の瞬間、男の子の顔がひしゃげた。


「ぅうううー!」


 ぴっ、と飛沫が白いナース服に赤い点を付ける。リノリウムの床に倒れ伏した子供に、灰色の影が馬乗りになった。


「きゃあああ」

「蹴ったな! よくも蹴ったな!」


 獣のように唸り声を上げたサブローが、身動きの取れない男児を殴り始めた。薄汚い服の向こうで、手足がピクピクと痙攣した。

 助けなきゃ。

 恐怖も何もかも忘れて、優希はサブローに掴みかかろうとした。しかし強い感情に反して、足はびくりともしなかった。


『逃げろ』

「え?」

『そいつが他の誰かに興味を示している。絶好の機会だ。今のうちに、早く!』


 携帯から呪文のように囁かれた言葉に、耳の奥がざわつくのを感じた。そんな、残酷な。しかし先ほどまで動かなかった両足は、嘘のように規則的な運動を始めた。優希は子供と反対方向に駆け出したのだ。

 ……私は最低だ。ごめん。ごめんなさい。優希は泣きながら逃げた。ごめんなさい。

 そして、今理解した。賢治にも謝らなければならないことがあった。


『どこか隠れられる場所はあるか』

「えっと……」


 優希は目についた病室に逃げ込んだ。たまたま患者はいないようだった。ベッドの陰にうずくまる。

 どこかで侮っていた。太志からあげはまで、1ヶ月の期間があった。おまけに昨日半日かけて死体を探し出した。もうサブローが来ることはないと、安心しきっていた。それなのに、こんなに早く現れるなんて。優希は自らの身体をかき抱いた。ああ、今頃さっきの男の子は……。

 未だ鮮明なおぞましい光景を頭の隅に追いやりながら、優希は告白することを決意した。


「ごめんね、私。賢治君に言わなきゃいけないことがあった」

『なんのことかさっぱりだが、今はいい! すぐ助けに行くよ!』

「ありがとう、でも」


 そこで優希は息を呑んだ。廊下を走ってくる足音がする。運動靴を踏みしめるような音。ボロボロだからか、時々キュッと高い音が鳴る。サブローが来たのだ。

 お願い。少しだけ待って。せめて賢治君に真相を伝えるまでは。

 目を瞑り願う。すると足音はペースを落とすことなく部屋の前を走り去っていった。ほっと肩を落とす。


『おい、大丈夫か?』


 心配そうな電話越しの賢治の声に、優希は嗚咽を漏らした。


「ごめんなさい。私、ずっとあなたを――」


 その時、けたたましい音が病室に響いた。ベッドの陰から身を起こし、壁のランプを見つめた。勝手にナースコールが点滅したのだ。ここにいると知らせるように。


「うそ。どうして。誤作動!?」

『優希! 無事か!』


 果たして、戻ってきた駆け足がドタドタと病室へ踊り込んだ。


「みーぃつーけーたーぁぁあ!」


 サブローは歯の欠けた口を見せつけるように笑いながら、すさまじい勢いで優希に突進した。不気味な踏切の音のように、オクターブを上げて、残忍な死が優希を仕留めた。




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