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平本あげは

 

『この子殺して、うちも死んだる!』

『やめて、ママ!」


 幼い頃の記憶は、唐突に脳裏をよぎる。あの日なぜ母は激怒していたのか。無職のろくでもない父親に対してか、出来の悪い子供に対してか、はたまた彼女たちに向けられる周囲の視線全てに対してか。いずれにせよ、普段とはかけ離れた般若の形相は、ふとした拍子にあげはの思考に割り込み、全身が震え上がる心地にさせるのだ。




 数日後、再びあげはたちは一同に会した。違いは太志ふとしがいなかったことと、全員が喪服に身を包んでいたことだ。


「まさか死んでまうなんてな」


 達弘が軽い調子で言った。いつもの口調だが、みなはその中に哀悼の意が込められているのを知っていた。

 太志は部屋で倒れているところを発見された。詳しい情報は回っていないが、どうやら事件性はないらしい。ニュースにもなっていなかった。


「フコーな事故だったんだね……」

「自殺、じゃないよな」

「そんなわけないやろ!」


 達弘は怒ったようにジョッキを卓に叩きつけた。


「アレが人生に絶望してるように見えたか? ゲーム三昧で、母親にあんだけ強く怒鳴っとったんやで!? ああいうのはしぶといねん。絶対死なへんで」


 達弘は酔っていた。無遠慮な物言いは褒められたものではなかったが、誰もが納得していた。とても太志は死ぬようには思えなかった。あげはもそれは同じだった。

 太志。どこで道を間違えてしまったのか。小さい頃は優秀だった。明るくて、人気者だった。


「昔はやせとったよな」


 あげはがポツリと呟いたのを皮切りに、昔を懐かしむ雰囲気になった。優希がそれに乗っかった。


「そうそう。モテとった」

「女子だけやない。俺らも、よくあいつのゲーム機で遊んだよな」

「ネットでは、上位ランカーの失踪の話題で持ちきりらしいんだ」


 賢治の言葉で、あげはは嫌な予感を覚えた。店の同僚が厄介な相談事を持ちかけてくるような。笑顔の裏に隠された意図を感じるような。なにか含みのある言い方だった。


「チャットの最後のログにはこう書かれていたそうだ。『かくれおにしよぅよ』って」


 場の空気が凍りつく。あげはは首筋に尖った氷を当てられた心地がした。

 苛ついたたように達弘は口を開いた。


「なにが言いたいねん」

「みんなも気付いているんじゃないかい?」


 サブローはまだ、隠れ鬼を続けている。


 あげははハッとした。今の恐ろしい言葉を、自分が口にしてしまったような感覚になったからだ。しかし周りの皆も同様に驚きと怯えの混ざった表情をしている。

 実際には賢治が口にしたのだろう。皆もすぐにそう思い込もうとした。だが肝心の賢治が、どうも腑に落ちない表情をしているのだ……。

 だとすれば、本当にあげはたちの誰も言葉は発しなかったのだろうか。急にさっきの声が、甲高い男の子のものだったように思えてきた。


「やめてよ!」


 思わず、あげはは叫んでいた。背筋がうすら寒い。薄着のせいではなく、気温が下がったのを感じていた。短パン姿の少年がニコニコとあげはたちの輪に入っている光景を想像して、ぞっとした。

 賢治は虚を突かれたように目を見開いたが、すぐに口元をほころばせた。


「ごめん、冗談だよ。怖がらせてしまったかな」

「うん、無理があるよね。サブロー君は、10年も昔に亡くなってしもてんから……」


 優希はあげはを慰めるように、肩にそっと手を置いた。

 サブローはある日を境に行方不明になった。捜索が行われたはずだが、あげはは不思議とサブローの本名を覚えていない。

 数ヶ月して、近くに住む無職の男が自殺した。遺書は殺人を告白したものだったが、サブローの遺体の場所は書かれていなかった。しかし捜索が下火になるには十分な事実だった。

 あげはたちだけが裏山での遊びを知っていたが、誰もそのことを言い出さなかった。自分たちが罰せられるのを恐れたからだ。その後、一度だけこっそりと裏山に行ったが、サブロー本人はおろか、その痕跡を見つけることすらできなかった……。


「賢治にしてはおもろいこと言うやんけ。幽霊の呪いとか、ホラーの読み過ぎちゃうか」

「はは、図星だよ。参考資料に影響されているのかもしれない」

「この前言ってた小説やんな。完成したら読ませてね」


 太志が死んだことなど忘れてしまったように談笑する3人を見て、あげはは気持ちが悪くなってきた。友達が死んだのだ。どうして笑っていられるのだろう。

 だが誰も平気ではなかったということに、動揺のせいかあげははまだ気付いていなかった。皆、ある突拍子もない妄想を打ち消そうと必死だったのだと。

 次は自分かもしれない、という馬鹿げた妄想を。




 日常は、感傷に浸る隙を与えてくれない。


「あげはちゃんは本当に良い子やねえ」


 水商売とさげすまれることも多いが、あげははこの仕事を気に入っていた。最初は男にちやほやされたいだけだった。それが次第に、客の悩みに耳を傾け、癒やすことに、やりがいを感じるようになった。他人に夢を与えるのが、あげはの夢だった。


「あはは、ママのおかげかな」

「瑞恵さん?」

「ああ、ママさんもだけど、実のお母さんの方ね。ろくでもない男ばかり連れてきたけど、私が手を上げられたら本気で怒ってくれたし。一回包丁とかも持ち出して」

「ええー、実はあげはちゃんも怖いん?」

「私は料理できないんでぇ」

「いやそういうことちゃうでしょー」


 すっかり遅くなった帰り道、いつもよりも頭がふわふわしていた。昔の話をしたからか、それとも。太志のことが頭の片隅にあって、洗い流したかったのかもしれない。突然の不幸から1ヶ月ほどが経っていたが、未だにこういう夜が訪れるのだった。いつもより酒のペースが速くなる、そんな夜だ。


「まあ楽しんでもらえたし、えっかなー」


 マイペースが自分の良いところだと思っている。鼻歌交じりに夜道を歩いていると、電話が鳴った。葬式の際に交換した賢治の電話番号だったが、あげはは酔っていたので疑問に思うこともなかった。


「はーい。あげはやでー」

『僕だ。賢治だ……ど どど』

「え、なに? ごめん、電波悪いみたいで」

『ど……かくれおにしよぅよ』


 はっきりと聞こえた。子供の声だ。

 足がすくんだ。すぐに通話は元に戻った。


『どうしたんだい。音が聞こえなかったけど』

「ちょっと! ふざけんといてよ!」

『な、なんだよ……』


 賢治には悪びれた様子はない。そもそも賢治は真面目を絵に描いたようなつまらない人間のはずだ。こいつほど悪戯の似合わない男もいない。


「なあ。変なこと聞くかもだけど」

『なんだい』

「今、近くに子供っている?」

『まさか。今は家にいるけど、誰も遊びに来たりはしていないよ。それにこんな時間じゃないか』


 じゃあさっきの声はなんだったのか。あげはは鳥肌を立てた。


「こんな時間、はこっちの台詞や。久しぶりに電話寄越したと思ったら」

『ああ、ごめん。あれから考えてみたんだけど、確認したいことがあるんだ。サブローの話だ。

 あげははなにか覚えていそうだったから。10年前のあの日、一人ぼっちになったサブローは殺人鬼に襲われた。でもそれ以外になにかあった気がするんだ。僕たちは重要なことを忘れている……』


 賢治の考えを聞いて、あげはは頭痛を感じていた。あの日、確かに私たちは……。

 空恐ろしい妄想を頭から追いやった。同時に、賢治に腹立たしさを覚えた。


「もう遅いから。かけてこんといて」

『あ、ああ。すまない。僕はただ』


 未練がましい男は嫌いだった。電話を切る。そこで初めて、足音に気がついた。徐々に自分に近付いてきている。

 こういう仕事柄、客とのトラブルは避けられない。あげはほどの人気ともなるとなおさらだ。足にぐっと力を込めて、足音の主を振り返る。

 子供がいた。

 背格好は中学生くらい。しかし真夜中だというのに、半袖に短パン、野球帽を被っている。口元には笑みが浮かんでいた。


「かくれおにしよぅよ」

「い、いや」


 一月前の恐怖が一気に蘇ってきた。すっかり酔いの覚めた脚で、路地裏を駆けた。かばんもハイヒールもなにもかなぐり捨てて、あげはは走った。まるで子供に戻ったかのように、脇目も振らずに夢中で逃げ続けた。

 だがほどなくして足音は迫ってきた。隠れ鬼では、鬼に見つかっても終わりではない。捕まらなければいい。しかし今の自分の体力では叶いそうにない。どこかに隠れて諦めさせなければジリ貧だ。

 追い詰められるように走っていると、すっかり人気のない場所へ出た。街灯もないような小さな児童公園だ。


「どこかな-?」


 滑舌の悪い声が不気味に響いている。運良くあげはのことを見失ってくれたようだ。あげはは静かに草むらの影に隠れた。


「あげはちゃーん、どこー?」


 声変わり前の男子特有の、妙に高い声。気持ち悪い間延びした声音だった。あげはは顎がガクガクと震えるのを押さえられなかった。歯の音が鳴らないように必死で奥歯を噛みしめた。

 賢治に指摘された通り、あげはには思い出す光景があった。あの時も、あげはたちはなにかから逃げていた。いつもとは違った空気の中、隠れ鬼は行われていた。皆、必死の形相で逃げていたのを覚えている。

 どうして、隠れ鬼に必死になっていたのだろうか。あげはたちにとってあの遊びは、鬼を弄ぶゲームではなかったのか?

 完全に辺りは静けさに包まれていた。虫の声が小さく響いているだけだ。もはや人の気配は感じられない。

 助かった……?

 ほっと胸をなで下ろしたあげはは、思わず笑みをこぼした。目の前に現れた青白い顔も、歯抜けの口でニヤリと笑った。


「みぃつけた!」


 鬼は細い手をあげはの首にまっすぐ伸ばすと、がっしり掴んだ。冷たいゴムのような手の感触が、あげはの脳から血流を奪っていく。声にならない悲鳴は闇夜に吸い込まれただけだった。あげはを包んだ驚愕は、次第に恍惚に変わっていく。彼女の脳裏に最期に浮かんだのは、在りし日の母の優しい微笑みだった。


「……」


 遺言を残すことすら許されず、あげはは事切れた。




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