帝たちの動き
大護たちが去った後のギルドマスターの部屋内。そこには、既に準備を済ませた三人の帝の姿があった。【氷帝】は壁に背を預け、目を瞑り俯いた状態。【嵐帝】は椅子の上に胡坐をかき、背もたれに顎を乗せた状態。【地帝】は化粧を直していた。
「行っちゃったわねえん、うら若き少年少女たち」
「おやっさんの場合、少女の方はどうでもいいんじゃないっスか?」
「んもう嵐帝ちゃんったら、そんなことないわよ? アチシはいつでも乙女の味方よん。それが恋する乙女なら尚更っ」
「……なるほどっス。確かに少年たちからしたら、味方ってよりラスボスって感じになるっスもんね」
「んふふ、今の発言が一体全体どういう事か……今晩じぃっくり話しちゃう?」
笑顔を崩す事はしないが、塗りたくられた厚化粧が崩れていく。有無を言わさぬ威圧感で【嵐帝】に視線を向ける。
「心から遠慮するっス。そりゃあもう、心の底から」
「あまりはしゃぐな馬鹿共。遊びではないぞ」
同じ帝である二人の行動を見て大きなため息をついた【氷帝】が釘を刺すように、二人にそう話しかける。
「や~ね~氷帝ちゃんったら。もうその状態になってるのん? 今からそんなんじゃ身体持たなくなっちゃうわよ?」
「この程度問題ない。第一いつ戦闘になるか分からない状況で気など抜けるものか」
そう言いながら近付いて来た【氷帝】ににじり寄った【地帝】は、彼女の背後に回り込み、優しく肩に両手を乗せ、彼女の耳へと顔を寄せる。ここだけ見てしまったら完全にホラー映像である。
「気を張り過ぎちゃって、いざって時にナっちゃんの力になれなくても知らないわよぉ?」
限りなく優しく、風も感じさせぬほど優しい声で【氷帝】の耳元で囁く。
「むッ……そーだよねーっ、気ぃ張ってばかりじゃ疲れちゃうよねーっ!」
そして丸め込まれる【氷帝】。彼女も一人の乙女なのだ。仕方がない。
何処かほのぼのとした空間の中、突如一人の男が姿を見せる。ギルドマスターであるナックだ。
「おーっし、準備出来てるかー?」
「おっ。やあっと来たね、ナっつん! 待ちくたびれちゃったよー」
到着を待ちわびていたかのようにナックへと歩み寄る【氷帝】。そんな【氷帝】に目線を合わせ、そのままジっと見つめ始めたナック。
「な、ナっつん? ……えーっと、アタシの顔に何か付いて……」
「ローナ」
「……? ……。――どぅえぇぇえぇ! な、何さ急に!? 名前で呼ぶなんてビックリするじゃんか!」
不意にそう呼ばれた【氷帝】……ローナは、一度全ての動作を停止させた後、急激に後退りながら超え高らかに叫び出した。
「……そんなに驚くことか?」
思っていたものと大分違う反応を見せられたナックは、自身の頬を掻きながらそうごちる。
「何言ってんだよー! 名前で呼んだの何年振りだと思ってんのさー」
「いや、知らんけど……」
「八年振りだよ! は・ち・ね・んっ! 学園を卒業する時に呼ばれて以来だったんだよ、全くもうっ」
二つの意味で、顔を真っ赤にしながらぷりぷりし始め、そっぽを向き始めたローナ。その意味を二つとも理解したナックは、ローナの元へと近付き、彼女の頭にそっと手を乗せる。
「……ありがとうな。こんな俺の事を、まだ好きでいてくれて」
「……うるさい、ばかナっつん」
顔をそっぽに向かせたままそう言ったローナだったが、乗せられた手を振り解く事はなかった。
数分だけ続いた甘い一時。ローナの頬の紅みが消えてきたところを見計らい、彼女の頭に乗せていた手を戻す。
他の帝がいたことを思い出し、なんと声を掛けたものかと考えたナックだったが、振り替えると何故か窓が開いていて、誰もいなくなっていた。
不意に扉が開き、三つのカップが乗ったトレイを持った【地帝】が姿を表す。
「あらん、もうやめちゃっていいのかしらん? 最後の休息かもしれないわよ?」
「大丈……いや。折角淹れてくれたんだし、それを頂いてからにしよう」
「んふ、よかったわ。お紅茶が無駄にならなくって」
「ああ、ありがとう。……ところで嵐帝はどこに?」
「男女の空気も読めない坊やは、ちょおっと空気を読ませるために外に」
「追い出したのか?」
「投げ飛ばしたわん」
「そうか」
静かに。ただ、静かに時が流れる。
聞こえてきたのは、カップを受け皿に戻したときの金属音と、ローナの「あちっ」という紅茶に舌をやられた声のみ。
「なあ……"シュート先生"……」
徐おもむろに口を開いたナック。その名を聞いたローナは目を丸くし、【地帝】――シュートは、傾けていたカップの動きを一度止める。
「……ローナちゃんに続いてアチシまで名前で呼ぶなんて……。アチシも当時の話し方に戻した方がいいかしらん?」
「いや、先生はそのままで頼むわ。最早そっちの口調の方が慣れちまってるしさ」
「あらそう……ちょっと残念」
再び沈黙。先の様子と変わっているのは、それとなく異常を感知したローナが二人を見回すようになった事くらいだろう。時折、何か言葉を発しようともしている様子だが、何だか話し難いのか、口を開いては閉じ、開いては閉じを繰り返していた。
一度呼吸を整えて、意を決したローナが二人へ話しかけようとしたその瞬間、
「不安……なんだと思う」
自身の思いを吐露したナックへと阻まれる。
普段ならぷりぷりし始めたであろう場面だったが、ナックの様子を見たローナは表情を引き締める。
「不安、ねぇ……。学生時代のアナタを知ってる身からすると、まさかそんな言葉を聞けるとは思わなかったわん」
「茶化すなよ先生。それに……戦いに関しては、少しの不安も抱いちゃいないさ」
「あらそうなの? まぁその方がアナタらしいけど……それじゃあ一体、何に対しての不安なのかしら?」
【地帝】……シュートの問い掛けに対し、一度口を開きかけたナックだったが、直ぐに閉じ、言葉を飲み込んだ。
「いや、大丈夫だ……悪ぃな、変な話しちまって」
話しは終わりだと言うようにナックが立ち上がったところで、窓から【嵐帝】が戻ってきた。
これ以上話を長引かせない為か、颯爽と【嵐帝】の元へ移動するナック。そんな彼を尻目に、拭い切れない不安を胸中に抱いたシュートは、そっとローナの元へ移動し、
「今後、彼から絶対に目を離さないで。何かあったら直ぐに止めてあげて」
そっと耳打ちをする。
言葉の真意を理解したかは定かではないが、その言葉に深く、力強く頷いたローナだった。