ただそれだけ
「はい、それも残念っと」
――ナックの額から血飛沫が舞う。
予想だにしない攻撃に一瞬思考と体が硬直するが、せめて追撃は喰らわぬようにと直ぐに距離を取るナック。二人の戦いで、初めて取られた距離だった。
離れた状態ですぐさま考える。一体何が起こったのか、剣は間違いなく当たっていた、寧ろ当てるなんて生易しいものではなく、完全に切り殺す為の一太刀をお見舞いした筈だ。
表情には一切出さずに脳みそを回すナックだったが、その様子を見ていたレイトには、全ての疑問が筒抜けであった。
「いやいや~流石ミリアルのトップ。こっちに来てから初めてまともな攻撃を貰った気がするなぁ。でもいいのかい? そんなに考えこんじゃってさー。おー痛ぇ、血が出なかったのが幸いだ」
「……分かってるんだったら、一人で考えてるのも馬鹿らしいわな。ついでにいくつか質問させてもらう」
漆黒の剣を肩に担ぎ、レイトへとそう話しかけるナック。レイトはそれに対し、少し考えたそぶりを見せてから微笑みを浮かべて頷く。
「まぁいいでしょう。俺っちの気分がいいうちに色々聞きなすって! カマンカマン!」
「早速まず一つ目。ここにはテメエ一人で来たのか? 他の奴ら……ファレーラはどうした?」
その質問はレイトがこの場所に現れてからずっと、ナックの脳内の片隅で浮かんでいたものだった。
邪心復活を目論む彼にとって、女神の力を宿した道具を集めるのは、何よりも重要な事の筈だ。にも拘らず、組織のトップであり一番の実力者と思われる男が姿を現さない事が疑問しかないからだ。
ナックからの質問に対し、唇を尖らせるレイト。
「それじゃ実質二つじゃんかー、別にいいけどねー。ここに来たのは俺だけさ。他の奴らに邪魔されたくなかったし、おっさんに黙って来たんだけどな」
「邪魔……とは?」
「ん? そんなの決まってるだろうよ。この世界で最強とも言われるあんたを殺す事だよ」
まるでそうなる事が決定しているかのように言い放つレイト。普段のナックであれば「やってみろ」やら「寝言は寝て言え」のような軽口も挟めただろうが、今はそれができない。
本当に、そうならないとも、限らないから。
「そうか。じゃあ次だ。さっきの俺の攻撃の時、何しやがった?」
この質問は正直、時間稼ぎの為に聞いているようなものだ。明らかに自らの手の内を晒す事になる問いに対し、わざわざ言う者などいないだろう。
今回のナックたちの勝利条件は、レイトの撃破ではない。背中に担いだ女神の力を宿した剣を渡さない事である。言い換えれば、この戦闘はナックたちにとって全く不要なものなのである。
従って、彼らが試みているのは、転移でこの場から離れる事であった。
しかし、ナック以外の者が動きを見せた瞬間、おそらくこの場には戦う以外の選択肢が無くなるだろうと、ナックと三人の帝たちは薄々感じていた。
レイトが攻撃を仕掛ける前に言った一言「初めまして闇夜の閃光」。この言葉がそれを感じさせる切っ掛けであった。
おそらく彼は、三人の帝たちには興味がない。先ほどの言葉通り、ナック一人の為だけにこの場に来たのだ。だからこそ、帝たちの方から何かをしない限り、レイトの矛先が向けられる事はないだろうと。
そして裏を返せば、何か戦いの邪魔になる事をした瞬間、一気に牙を向けられる事になるだろうと。それがレイトへの攻撃であろうとも、ナックとともにこの場所から脱出するための転移魔法であろうとも。
だからこそ時間を稼ぎ、レイトの隙を探る。そこが分かった瞬間、すぐにでも転移魔法を使えるようにと。
そこまで考えての質問ではあったが、ナックは二つの読み違いをした。
「あれはね、身体強化で耐えきった"だけ"さ」
「……はっ?」
一つは、さらっと己の手の内を晒すような回答をレイトがしてきた事。
もう一つが――
「はい、一人目ー」
レイトは端から帝を無視していた訳ではなく、確実なタイミングを狙っていただけだったという事。
確実に……一撃で葬れるであろうタイミングを。
「え――」
その矛先が向いたのは、ローナ。
「ローナァァァッ!!」
叫びながらローナへと駆け寄るナックだが、明らかに間に合わない。虚を突かれた彼女は最早その場から動く事もままならない。彼女に出来たのは、現実から目を背けることだけだった。そんな彼女の小さな体に牙を――
ゴシャッ! と鈍い音が鳴る。響いた鈍い音と、待てども降り注がない攻撃に疑問を感じたローナは、恐る恐る顔を上げる。そこにはローナとレイトの間に割り込んだシュートの背中があった。
「せ、ん……せい……?」
半ば放心状態でシュートの事を先生と呼んだローナが次に見たのは、シュートの足元に零れ落ちる赤い水滴と、力無く下げられた彼の左腕だった。
咄嗟にローナの前へと入り込んだ彼は、レイトの攻撃を受けきれないと判断。そのまま受け流そうと試みたが、その絶大な威力に負け、片腕を犠牲にする事になったのだ。
「しっかりしなさい氷帝! 冷静に自分たちの状況を確認するの! この戦いに勝つためにはどうするのかを考えなさい!」
そんな惨状を見て、またも目を背けようとするローナの気配を感じたシュートは、背中越しに檄を飛ばし、そのまま体中の魔力を集中させ、冬馬との戦いでも見せた"ダークエンジェル"とよく似た状態へと姿を変えた。
しかし冬馬との戦いの時と大きく異なる事があった。あの時よりもより黒く、より威圧感が増しているのだ。
宛ら、相手へ向けているのが"愛"であるか"殺意"であるかという違いだろう。
「うは~、すげー姿になったなオカマさん。見た感じ、身体強化の最上位って感じがするねぇ」
レイトが何か言葉を投げ掛けてくるが、彼の耳には届かない。愛する仲間であり、教え子である者たちの敵となるものに傾ける耳など無い。
「スタイルチェンジ――"ネオ・デビル"」
一気に駆け出し、レイトの頭部目掛けて残された右腕を振り下ろす。予想外の速さだったのかワザとなのか、避ける素振りは見せず、両腕を交差して攻撃を受け止める。
しかしその爆発的な威力を殺すことは出来ず、レイトの足元が大きく陥没する。
陥没の影響でバランスを崩すレイト。「あらー」等と言ってはいるが、額から流れ出る汗を見ると、余裕がないのは一目瞭然だろう。