プロローグ
勇者。
誰かが魔王を討伐した功績を讃えて、彼は死ぬまでそう呼ばれ続けた。
街を歩けば、勇者様ー、勇者様ーと人だかりができる。
それを勇者は嫌って、何処か辺鄙な場所に引っ越して、若い娘と契を交わした。
その婚約が勇者の目論み合ってか、本気で恋をしたのかは今となってはよく知るものは居ない。
果たして、勇者は死んだのか、存命なのか、今もモンスター討伐に明け暮れているのか、身を粉にして桑を振っているのか謎のままだ――――
「なーんて、人間たちは考えているんだろうなー」
一人の少年がベットの上で剣を手に取り、見つめている。
その剣と少年の姿はあまりにもミスマッチであった。
その剣というのは、鞘こそみすぼらしいような作りで、どこかの国の刻印がされているだけだが、引き抜いてみると出てきたのは業物の剣。
剣の素材は玉鋼と呼ばれる、東洋の剣で用いられる事の多い安価な代物。
しかし、自身が毎日手入れを欠かさずしているからか、金属の光沢は鏡にもなるようで、両側の刃の輝きはオリハルコンにも匹敵するように少年は感じていた。
「これが勇者の剣なのに」
聞くところによると、使ってもないゴテゴテした装飾だらけの剣が『勇者の剣』として展示されているらしい。
ギラギラとランプに照らされて、赤くほとばしるような剣に少年はニッと笑ってみせる。
それに答えるように、剣は身を光らせて少年の姿が写し出された。
ぱっちりと開いた銀色の眼と、淡いセルリアンブルーの髪が印象的な少年。
そして、くっきりと映る目と同じ色の角。
「これが無きゃ、兜だってかぶれるのにー」
不貞腐れたような声で少年は耳より少し奥に生えた二本の銀色の突起物の片方をを触ってみる。
頭から垂れ下がるように伸びた全長十センチにもなる真っ直ぐな角。
この少年は魔族の血筋であった。
今は服の下に隠しているため、見えてはいないがちゃんと銀色の尻尾まである。
人間のような容姿なのに身体能力、魔力、対応力など何を取ってもずば抜けていた。
「なんともまあ、アホな父親だよなあ」
半分悪魔の息子が自分悪魔であることにここまで悩むとは思いもしなかっただろう。
言葉とは裏腹に笑みが溢れる自身が少し憎たらしい。
さっと立ち上がると、ベットの脇に勇者の剣を置いて――――剣を手に取った。
「忘れてた忘れてた……今日だもんね」
少年は少しだけ重い顔をするが、すぐに平常運転に戻る。
ベッドとは対角線上にある収納棚の方へと足を運ばせた。
掃除の行き届いた古い収納棚の二段目、働くときに着ていた制服を取り出す。
上等とは言い難い麻のハーフパンツといつか母が作ってくれた染め物の青いシャツを脱いで、タキシードやシルクのカッターシャツを手に取り少年は小慣れた手付きでせっせと着替えた。
白の靴下と新品の革靴を履く。
そして、最後の仕上げにこれまた淡い青、藍色に近いような不格好なネクタイを締めて、シンプルなピンで止める。
「よしっ!」
さっさと洗面台近くに立て掛けた鏡に向かい、どこかおかしくはないかとチェックを済ませる。
少年が身に着けているものはそのほとんどが上物であるのだが、異彩を放つ藍色のネクタイが全体の邪魔をしていた。
更に幼さの残る少年の顔立ちからか、タキシードを着るのには年を取らなさ過ぎていて、どうにも背伸びしているようにしか見えない。
しかし彼にとって、これが一番の正装でこのときに似つかわしい格好なのだ。
ベルトに金具を付けて剣を引っ掛ける。
前もって準備をしていたキャスター付きの旅行鞄を右手に部屋を出た。
すると現れたのは見慣れた宿屋、明かりは灯っていないものの、脳裏に焼き付いた家具の配置で何がどこにあるのかくらいは見当がつく。
「さて……お父さんには挨拶をするべきか……しないべきか…………。」
「しとけよ? 息子が家出したーって大騒ぎになるからな」
真横から厚みのある声が響いてくる。
「ですよねー。 あの人放任主義な割に親バカですからねー」
「全く、面倒なやつだ」
そう言うとルフは苦笑い、隣の男はフンと鼻を鳴らした。
この声には聞き覚えがある。
少年は誰かと会話をしていることに疑問を抱き、首を九十度曲げる。
今は早朝でここは宿屋、コックや支配人なら起きていてもおかしくはなく、客の中にはアンデッドやドラキュラなどと言った不眠活動の可能な方もいる。
ただここは酒場にあたる場所で、開店前だから少なくとも知的生命体は居ないはずだ。
「よっ、久しいなルフ」
「…………! まっまっま!」
本人は笑顔のつもりで顔を歪め、比較的明るい声で少年――ルフの背後に居たのは、
「魔王様!?」
数百年、数千年とこの世界の害悪として君臨する最高位の悪魔、魔王と軽い挨拶を交わしたルフは慌てふためいていた。
「しーっ、みんなが起きるだろ? そうなるといろいろ困る」
微笑むように顔を引きつらせる魔王に慌ててルフは口を両手で塞ぎ、旅行鞄が木製の床に落ちる。
「……!…………?…………」
「何言ってるのかは分からんが、うむ。 我こそ最強にして最凶! 数々の悲劇を生み続ける世界の絶対悪とはこの魔王のことだ!」
声を抑えて名乗りを上げ、マントを最後に翻す絶対悪にルフは感極まっていた。
手が震え、挙動不審にオロオロとしているのを魔王は嬉しそうに確認して、何度も頷いていた。
半分悪魔であるルフにとって一つの目標地点であり、一人の宿敵なのだ。
この魔王はルフと少し近い関係にある。
竜人。
トカゲ型神近種とも呼ばれるこの種は悪魔とは違い、長く曲線を描く角を持ち、尻尾には爬虫類らしい鋭い鱗がついていて、最大の特徴とも言える竜人特有の迫力のある羽を生やす。
悪魔が人の上位互換であるなら、竜人は天使の上位互換とも言われている。
そしてこの魔王、彼は竜人と悪魔のハーフであった。
二つの異なる種から誕生した魔王が魔王であることはルフの心の支えであり、尊敬すべき魔法の師でもある。
蛇足だが、魔王にも種類があり『剣王』『覇王』『混沌王』といった具合でこの魔王は『竜王』と称されている。
「どっ、どうして魔王様がここに?」
震える唇をゆっくりと動かし、言葉にする。
「それは宿敵の子が旅に出るのだから、見送るのは当然であろう?」
「当然ではないと思いますが……。 お父さんが喧嘩ふっかけるかもしれませんよ?」
「構わん。 というより、今のやつにそんな気力はないだろう?」
「それもそうですね。 でも、これからは色々とよろしくしてください魔王様」
頭を下げたルフに対して、魔王は満足げに頷いた。
「うむ。 金は貸さんが手は貸してやろう。 全く、息子の為、宿の宿泊料金を変えず、内職をしていたとはな」
魔王はフンと鼻を鳴らし、手を貸してほしいのならそう言えばいいのに、小さくつぶやく。
「バカですよねー。 それも僕をギルドに入らせたくって、ですから」
ルフの父、リオンは元冒険者で元勇者。
ルフの隣に然として構える魔王の宿敵であった人物なのだ。
今は大人しく宿屋を開き、冒険職のサポートに回っているのだが、先日過労で倒れた。
「アホというか、能無しというか、考えなしというか」
「大変だろ、脳筋を相手にするのは。 あいつはこっちが降参してるのに、がんがんいこうぜ!してくるし」
「分かります。 作れもしないカクテルをメニューに載せたり」
「武闘家の職の奴に強いからといって剣もたせたり」
「女の子のモンスターをやたら雇いたがったり」
「大変だな、お前も」
「多分これからもっと魔王様の方が大変になりますよ」
二人の嫌味が止まらず、とめどなく溢れてくる。
「あ、一個やばいのあります」
そう言ってルフら丸テーブルからメニューを開き、でかでかと書かれた『一泊たったの五円!』のキャッチコピーを魔王に見せた。
「う、うわあ……」
「その件に関して、本当によろしくお願いします」
「もう、魔法城に戻っていい?」
「駄目です、魔王様がいないとこの店は多分三日、いえ三時間で潰れます」
ルフと魔王は偶然にも今までのことを思い出すかのように遠い目をしていた。
ルフと魔王は丸テーブルに向かい合うように座り、あらかじめ用意していたトーストを頬張った。
「普通だな」
「でしょ。 あの勇者、中々僕を外に出してくれないですよね。 そのせいで全然好みの材料が手に入らなくて」
「本当に、大変だったんだな」
「これから、魔王様もこんな苦しみを味わうんですよ」
「なあ、
「駄目です」
しばらく二人は雑談、主に勇者への不満をぶちまけ一段落ついた頃に
「ルフ」
「なんでしょう魔王様」
淹れたてのコーヒーを口に含む。
深い苦味と酸味が絶妙に絡み合い、舌をとろけさせるビターな味わい。
流石、魔王のコーヒー、絶品だ。
「挨拶はするな、そのままギルドに向かえ」
「!?」
「あいつのことは私に任せろ」
一気にコーヒーを飲み干すと、
「どういう風の吹き回しですか? さっきまであんなに嫌がってたのに」
「この魔王に嫌味が言えるのはお前くらいなものだよ。 まあ、心境の変化というやつだ。 意味なんてものはない」
ルフはじっと向かいに座る魔王に視線を向けていた。
「怪しい」
「魔王なんてこんなものだ、基本気まぐれなんだよ。 っておい、その目はなんだ何も企んじゃいないぞ」
まあいい、と溜め息を付いてコーヒーを飲んでから、魔王は口を開いた。
「ちょっとした魔王様からのアドバイスだ。 お前という存在は悪魔からも人間からも憎まれ、尊敬されるだろう。 どちら側につけばいいか迷うはずだ。 なら、友のいる方を選べ。 愛すべき者のいる陣営の味方をしろ」
「胡散臭い」
「胡散臭いとはなんだ、ありがたい魔王の言葉だぞ。 やめろ、その疑心に満ち溢れた目は本当にやめてくれ」
魔王は少し困ったように笑った。
「そう考え込むな。 どうせお前も魔王になれば分かる」
「魔王になる気はありませんよ?」
「そうか、それは残念だ」
また魔王は笑った。
なんだかんだ言って魔王はいい悪魔と竜のハーフだとルフは感じていた。
しんみりしたのはきっと嫌いなのだろう。
ならば、とルフは立ち上がり鞄を持って扉に手をかける。
「行ってきます、魔王様」
「おう、行ってこい。 お前の父の面倒事は全部引き受けた!」
ルフは宿のドアを開き、とあるギルドに向けて駆けていった。
――――少年は普通ではなかった。
無論、性格上の問題ではない。
銀色の尾と角をもちながら、勇者愛用の剣を携え、紳士らしいタキシードを着こなす姿は異端としか言いようがない。
しかし悪魔の母と勇者の父のもとに生まれた少年、ルフは大いに世界を揺るがす存在へとなるのであった。
「はあ……はあ……。 ルフが、ルフが居なくなったー!」
自室から飛び出すや否や青い寝巻きの勇者は叫んだ。
時刻はとっくに昼を過ぎ、前日に泊まっていたお客のほとんどはすでにチェックアウトを済ませていた。
魔王はなかなか起きない勇者の代わりに代理支配人として、スタッフを動かし、客を捌いていた
「落ち着けたわけが! 奴なら先程旅に出たぞ。 お会計五円になります。 申し訳ありませんが、二回からの宿泊は五千円になりますので、お忘れないようお願いいたします」
丁寧な接客をする魔王以上にお客は二回目からでも五千円という破格の値段設定に驚いていた。
「なにっ!? 一晩丸々使って考えた、名言を聞かせてやれなかった、だと……」
勇者は膝から崩れ落ち、お客がドン引きしていた。
「おい、勇者。 そこはお客の通り道だ、どけ」
「名言、一晩考えた名言……」
名言、名言と繰り返す勇者に魔王は、
「あーっ、もうおい勇者! その名言とやらを聞いてやるからちょっと来い! あ、お客様チェックアウトをなさるのでしたら、あちらの骸骨、ボーンにお声をかけていただければすぐに済ませますので、よろしくお願いします」
ゴーストのカップルにそう言って、魔王と勇者は休憩室に入っていった。
「はあ……ルフは毎日これをしていたんだよな」
すでに勇者とのやり取りに嫌気が刺していた魔王であった。
作者コメント
頑張りますた。