8話:七郎の株投資、バブル崩壊と妻の葬儀
1987年、34歳の七郎は、ソニー株、トヨタ株を全株、成り行きで売り、ソニー株とトヨタ株32万株ずつ合計64万株で合計19.2億円で売れ、資産合計が19億3600万円。ただし日本経済は依然、好調なので下げた所を買うつもりで市場を見ていた。
1987年10月19日のブラックマンデーの当日はニューヨーク証券取引所のダウ30種平均の終値が前週末より508ドルも下がった。この時の下落率6%は、世界恐慌の引き金となり、1929年の暗黒の木曜日、ブラック・サーズデー、下落率12.8%を上回った。
これを見て七郎は震え上がった。そこでリチャードに相談すると米国市場の混乱は1年くらい続くかも知れないが日本の景気は良いから一気に下げるであろう明日か、もう一段下げた所を買うか、上げ始めた所から買い始めるか、この3つのどれを選ぶかだと思うと言った。
七郎はその意見を聞き1987年10月20日が開く前にソニーとトヨタ株を10万株ずつ合計20万株、成り行きで買い、米国での株安を受け日本では1987年10月20日に、日経平均株価が前日比で 3837円安「-15%」という大きな下げを記録した。
さらに1988年があけて1月にソニーとトヨタ株を成り行きで25万株ずつ合計50万株を6億円で指値を入れ、購入できた。この時点での残金は、1億11840万円。やがて1987年も終わりを告げて1988年の新春を迎えた。
1988年から、日本株は再び急上昇し初め、1988年8月には40%も上昇した。1988年末から、再び日本株が上昇を始めた。1989年1月から上昇が加速していった。1989年11月も急上昇したのでピークが近いと考えた。
そのため、1989年末に高値売りを狙い12月の最終日にソニーとトヨタ株を25万株ずつ計50万株、13億円で売却し、資産合計が14億1840万円とした。その後、1990年が、始まり、大発会から平成バブルがはじけた。それと共に円高が進んできて、日本株の低迷が続いた。
そんな時、七郎にも大きな不幸が、忍び寄ってきた。この年の夏に七郎の奥さんが体調を崩し入院した。1週間にわたり東京の慶応病院で精密検査をしたところ原因不明の白血病だとわかった。七郎は一気に不幸のどん底に突き落とされ、どうして良いかわからなくなった。
リチャードに相談すると「最善を尽くすしかない」と言われた。後は、七郎の気持ちの持ち方だと言った。
「そこで、どうしようと聞くと七郎、君の人生は、君自身で考えるべきだと言われた」
それを聞き突っ放された様な気がして気が動転した。
そこで、以前から世話になっている柔道の恩師に相談してみることにした。
「彼は、人生って良い時も悪い時もある柔道人生だってそうだろう」
「人生の具合の悪い時、お前はどうしたと聞かれ、平常心でしっかり練習に励んだと答えた」
「今も、そうすべきだ」
「平常心を持ってベストを尽くせと言われた」
「人生の中で、どうにもならない事って、必ず、あるんだ」
「そんな時は、人は、運を天に任せて、平常心でベスト尽くすだけしかできない」
「結果は誰にもわからない、つまり運だ」
「でも、平常心でいる事はできる」
「またベストも尽くすこともできる」
「逆に言うと、それしかできないだよと諭すように語った」
「恩師からこの話を聞いて、少し落ち着くことができた」
「せっかく、柔道場に来たのだから、畳の上で座禅していけば良い告げた」
「この恩師の優しい言葉に七郎の目に大粒の涙が浮かび、こぼれ落ちた」
「少し落ち着いて柔道着に着替えて、正座して黙想をした」
「すると、動転していた心が、晴れ暗雲が去って太陽がさしてきた」
「七郎は、何があっても落ち着いて平常心でベストを尽くそうと心に誓った」
その足で、KO病院のサリーの病室をたずねた。
「サリーは、七郎に、ごめんね、こんな身体になってと謝った」
「それに対して七郎は、精一杯の笑顔で仕方ない運命には逆らえない」
と落ち着いて話した。
「そんな七郎を見てサリーは感極まって泣き崩れた」
「すると七郎は、だまってサリーの身体を抱きしめた」
「ひとしきり泣いた後、サリーが七郎を選んで本当に良かった」と言い、又、泣いた。
「サリーを抱き寄せていた七郎も、この言葉を聞きもらい泣きした」
その時、病室のドアが開き、リチャードが見舞いに来た。




