2話:横浜の外人学校へ入学
その後、米国東海岸から西海岸を目指した。まず、ロサンゼルス、サンフランシスコ、シアトルの約1ヶ月の長期旅行に出発した。しかし次男の七郎だけがインフルエンザにかかり東京の家にお手伝いさんと共に残った。
その1ケ月後、木下家人達が、米国から日本へ帰る途中で、飛行機事故が起こり墜落し、家族全員が亡くなった。そのため、木下家では、七郎だけが生き残るという悲劇に見舞われた。そして、木下七郎だけが、天涯孤独の人生を歩むことになった。
木下七郎は旧華族で徳川家の近い由緒正しき名家の出身で6歳の時、一家が飛行機の墜落という悲劇に見舞われ一瞬にして七郎が一人ぼっちになってしまった。 戦後、横浜のインターナショナルスクールで知り合った、ロスチャイルド家のリチャードに可愛がられた。
翌年、横浜の南部に引越し小学校に入学したが、彼は既に簡単な英語、ドイツ、フランス、スペイン語を話していた。数学も中卒程度までマスターしていたので横浜の外人学校「セント・ジョセフ」のスカラーシップ試験に合格して学費無料で入学した。
やがてジュニアハイスクールに入り、多くの友達を持ち、その中でも、特にティムとは親友になるまでに多くに時間が、かからなかった。いわゆる馬が合った。ティムはロスチャイルド家の血筋を引く名家の出であり、頭脳明晰な子供だった。
一方の七郎は冒険大好き、芸術、文学、音楽大好き、直感力に優れた行動派と言った感じであり、全く、異なった性格の持ち主。二人とも、それぞれの個性を尊重しあいながら充実した学校生活を送った。
ティムは、テニス部、七郎は柔道を横浜の道場で習い学校ではラグビーを楽しんだ。七郎は、この頃には日本人の友人よりも外人の友人の方が多くなり、英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語の語学力を向上させていき、中でも特に理系の才能に優れており暗算の早さ、正確さは目を見張るものがあった。
もちろんジュニアハイスクールでは、学年で常に上位の成績だった。この頃にはティムの鎌倉の家で夕飯に招待される様になった。 ティムの父のリチャードは、こんな七郎に惚れ込んで、七郎はリチャードの家に入り浸るようになり自宅の借家には、めったに帰らなくなった。
そんなある日、リチャードは七郎にうちに来ないかと誘い、借家の契約を解除してリチャードの大きな屋敷の2階の1部屋を無料で、使って良いと言ってくれた。たまにリチャードが、七郎を横浜のYCACに連れて行き、ラクビーをさせる様になった。
ラグビーの練習後、シャワーを浴びた後、食堂で大きなビーフステーキをご馳走になり、世の中には、こんなに旨い食べ物があるんだと驚かされた。 七郎が外国人と話す事ができ、さらに日本の柔道ができるので回りの人達も興味を持ってくれた。
YCACへ、ラグビーの練習に行った時は、声を掛けてくれるようになり、YCACでも人気者になった。その後も横浜の柔道場に週3回、放課後、練習に出かけていた。その後、リチャードと七郎に、ちょっとした事件が起きた。
それはリチャードが仕事の接待でお酒を飲んで帰ってきた日の晩の出来事だった。リチャードが七郎を部屋に呼んで日本は敗戦で経済も悪く食糧事情も良くない、そこで日本を捨てて米国人にならないかと言いだし米国の国籍を申請したらどうかと提案した。
それに対して七郎は確かに今の日本の現状が欧米に劣っていて、自分も欧米に憧れもある、しかし日本には欧米にない良い伝統、文化があり、それが大好きだといい、だから日本を見捨てる訳にはいかないと大人びたことを言った。
リチャードは驚いた様に本当に日本が欧米に追いつけるとは思わないがと意地悪そうに言うと、そんな事はない日本人の勤勉さと、正直さ、結束力で、きっと10年、20年後には追いつくと思うと言い切った。そのために七郎は頑張って勉強していきたいと言いはった。
リチャードは、七郎を冷静に見て、君は、家族を亡くして1人ぼっちだ、それで、何ができるとい言うのだと意地悪そうに言った。七郎は、確かに今の自分には、その通りで何もできないかも知れないが頑張って大きくなってやると意地を張った。リチャードが自分で金を稼ぐというのは並大抵の努力ではできない。