理解を遮る悪性
ランク
ハンターの力量を測るためのカテゴリ。ここでは、より詳しく解説する。EからS、さらにそこから+と-で細かく分けられている。ランクで、受けられる依頼難度も変化する。
ランクCより下 色別等級 緑
ランクC以上 色別等級 黄
ランクB以上 色別等級 赤(依頼内容によっては受注不可)
ランクA以上 色別等級 赤(制限なし)
ランクS 色別等級 黒
ただ、ドラゴンの討伐など、大規模な戦闘が予測される場合は、特例として、制限が緩和される。
「しんど・・・」
プラファーレスからロマーナまでの距離は実に113km。その内の二割・・・つまり、22.6kmをホルセ車で渡った。リムリットに辿り着くまでに約2時間近くかかった。ホルセ車でリムリットに辿り着き、観光する間も無く、数分の休憩を取った。そこから、歩き出し、日が暮れるまでおよそ8時間。彼らの歩行速度は時速5km。単純に考えれば、一日で40km歩けるということだが、何分かの休憩は取っているだろう。そこを踏まえても、30kmは歩けるはずだ。リムリットからロマーナまで90.6kmはある。そうすると、三日でたどり着けるという計算になる。
それに、リムリットからロマーナまで、何も無いというわけではない。彼らの移動を電車に例えるなら、必ず駅で止まるはずだ。駅はリムリットやプラファーレスのような街である。そこで、物資の補充や、気晴らしをすることも出来る。そう考えれば、心の折れるような話ではない。特に荷物がなければの話だが。
「暑い・・・重い・・・気持ち悪い・・・」
アマハが気温、荷物、汗の三連コンボで苦しんでいる。実は、リムリットに着いた際、こんな話がミズキから持ち上がった。
「ヒサコさんに全部持たせるのも悪いし、俺らで分けて運ぼう」
ホルセ車での移動だったので特に気にならなかったようだが、いざ歩くということになると、これではいかんとミズキは思った。そのため、このような話が持ち上がったのだ。特に反論する人もおらず、荷物も分担すれば、そう重いものでもない。ましてや、彼らはハンター。肉体は鍛えられていて当然である。
しかし、どんなアスリートだろうが長時間の運動に耐えられるはずは無い。それは、彼らにも言えることだ。筋肉に乳酸はたまり、骨は疲労を訴え、体温は上昇していく。経験したことはないだろうか。マラソンや、シャトルランなど、長時間続き、それでいて過酷なスポーツをやり、気温と疲労でもう休みたいと心の底から思ったことは。まさに彼らはそれである。その上、荷物を持った状態で歩いているのだ。バッグの重さはおよそ30kg程度。それを4つに分担すると一人につき7.5kg程度である。それプラス各々の荷物なのだが・・時間が経つにつれ、重量に疲労が重なり、ただでさえ重い荷物が更に重く感じるのだ。
「・・・」
この中で平気な顔をしているのはヒサコくらいである。いつもと変わらない表情でペースを落とさず歩き続ける。他の三名は苦悶の表情を浮かべている。ただ、平野で歩いているだけだが、彼らにとっては、砂漠の中を行軍していると感じているだろう。ちなみに、現時点で三日目である。
「暑い・・・重い・・・気持ち悪い・・・暑い・・・重い・・・気持ち悪い・・・」
アマハがうわごとを繰り返す。もはや、意識を持って歩いているのではない。もう、無意識に、ゾンビのようにただ、まっすぐ歩いている。足もこすり気味に動かし、手もだらんと垂れている。
ミズキも同じような状態だ。うわごとは繰り返していないが、顔がうつむいている。アマハと大差はないだろう。
ホンダはまだ意識を保っている。二人の体力が危険域の赤だとすれば、ホンダは警告域の黄と言える。表情に出さない程度の余裕はあるようだ。が、それも時間の問題だろう。
このような苦しい、ただの繰り返し作業は時間が経つほど辛く感じる。集中力と体力が切れかけ、仕舞いには発狂してしまう。
「暑い・・・重い・・・気持ちわ・・・る・・・い・・・」
うわごとを繰り返していたアマハが、言葉を止める。集中力が切れかけ、焦点が定まらず、霞んでいた視界に、はっきりとした映像が映る。
「あ、あれって・・・」
街を囲うように白く、巨大な壁。鎧を着た衛兵が立つ門。そして、壁の向こう側でも見える、大きな城。
意識が曖昧になっているアマハでも理解することができる。あれが、神聖帝国ロマーナなのだと。
「着いた・・・やっと着いた~~~~~!!!」
「・・・?」
吹き上がるように発せられるアマハの声に反応し、ミズキも顔を上げる。そして、ミズキも認識した。
「着いた・・・やっと、着いたのか・・・?」
「そうだよミズキ君!アタシたち、やっと着いたんだよ~~~!!!」
「やっと・・・やっと着いたのか・・・」
長く辛い行軍に終わりが見え、ドサッと座る。尻に強い衝撃が走るが、今のミズキそんなことは関係なかった。
「着いたとは言うが、お前らが見てないだけで、とっくに見えていたぞ・・・」
表情を変えず、ホンダがつぶやく。だが、二人の様子は変化しない。
「言葉、届いていないようですね」
「・・・見れば分かる」
ヒサコの言葉を不機嫌そうに返す。
二人は喜びをかみ締めているが、まだ歩くことに変わりはない。おそらく、あと4kmは歩くだろう。それでも、今のアマハには4kmも眼の前と何も変わらない。
「いくぞー!ロマーナーーーー!!!」
アマハが腕を突き上げ、白い壁に向かって走り出す。足取りは軽くないが、しっかりと走っている。脳のリミッターが外れると、痛みが鈍くなったり、いつも以上の力が出せると言われているが、たったこれだけで、リミッターが外れるとなると、アマハという人間の脳の構造が気になってくる。
アマハほどではないが、ミズキもある程度回復しているようだ。顔を上げ、しっかりと歩き出している。確かなゴールが見つかり、気持ちが楽になったのだ。
「はぁ・・・やかましい奴らだ・・・」
「でも、賑やかなのはいいことでしょう?」
二人を追うように、ホンダとヒサコも歩き出した。
神聖帝国ロマーナ。人口28万人。面積128km2。主な収入源は農業、漁業、林業である。ロマーナは神の手により作られたとされ、この国特有の宗教が存在する。建物は基本、レンガで造られており、雨風に対して非常に強固。道路は舗装はある程度舗装されている。人の往来も激しく、日中の王都は人がいなくなることはほとんどない。首都である王都の周りは白い壁で囲まれており、これはモンスターの襲来を防ぐためである。ロマーナを拠点にするハンターも多く、モンスターに対する対策も万全である。
そして、この国は内乱も、他国との戦争もなく、長い間、平和を保ってきた。その理由は二つある。一つは、ある騎士団の存在である。帝国創立から存在しており、長い時を経て、極めて強力な力を蓄えてきた。その総勢はおよそ千人。帝国の軍隊に比べれば圧倒的に少ないが、この騎士団の一人の戦闘能力は最低でも、ランクCのハンターに匹敵する。分隊長にもなればランクB。騎士団を率いる十人の隊長に至っては、ランクAほどの力を持つ。この騎士団は、ロマーナにおける切り札なのだ。
そして、もう一つの理由。これが、最も大きな理由だろう。それは、神子という存在がいるからである。
神子。ロマーナにおける最重要人物。この国は、王などの権力者が政治を動かしているのではない。神子は、神と交信し、神託を得られる唯一の存在。その神託をもとに、この国は動いている。神を信じ、神の意志で動く。だから、神聖帝国なのだ。元々、平和だったロマーナだったが、神子の予言にも近い力により、この国はここ十数年、どんなに小さな争いも起きていない。
ただそれは、知っていないだけで、実は小さな争いは起きているのかもしれない。
「・・・」
「・・・」
「・・・」
「ロマーナに来たつもりだったんだがな・・・」
ロマーナに来た一行は、一斉に立ち止まる。白く美しい街並み。川は見えないのに何故か聞こえる川のせせらぎ。そして、遠くからでもはっきり見える荘厳な城。彼らはロマーナに来たのだ。来たのだが・・・
「誰もいねぇ・・・」
誰一人とていないのだ。王都の端なのだから人が大勢いる、とは考えられないが、誰か一人くらいはいてもいいはず。しかし現実、彼らの視界には誰もいない。
「ここはロマーナであることには間違いないはずだが・・・何かあったな。とりあえず、宿まで歩くぞ」
「えぇ〜!?まだ歩くんですかぁ〜!?」
「当たり前だ」
「そんなぁ・・・」
アマハがうなだれ、ホンダのあとを渋々歩く。ミズキとヒサコもそれに続いた。
宿まで数分間歩いたが、その間もロマーナの異常は見られた。人がいないという訳では無いが、極端に少ない。彼らが目にしたのは三人くらいだ。誰もいないより、不気味に感じる。それどころか、太陽がまだ上っているというのに、人が利用してそうな店すらほとんど閉まっている。例え開いていても、誰も利用していない。明らかにおかしい。繁栄の真っ只中にあるはずのロマーナがどうして、こんなにもゴーストタウンじみているのか。
案の定、宿内にも人はいなかった。依頼板には、もう貼るスペースがないほど、依頼書が貼られまくっている。椅子は全て、きっちり仕舞われており、誰かが動かした痕跡はない。従業員が仕舞った、とも考えられるが、いちいち直す必要がない。
とりあえず、彼らは近くのテーブルに座った。
「異常すぎる。これがロマーナか?」
「少し、話を聞きましょうか」
ヒサコはカウンターまで行き、呼び鈴を鳴らすが、誰も来ない。もう一度鳴らす。やはり誰も来ない。
「どういうことでしょうか?」
「ヒサコさん。こういう時は、こうしたほうがいいんです!」
アマハが大股で歩み寄ると、ボタンで遊ぶ子供のように呼び鈴を連打した。ウオリャアアアアアアという声を上げて連打しまくる。
「(ああいうところガキだよな、あいつ・・・)」
ミズキは心の中で静かに思った。
連打し始めてから数十秒。ようやく従業員と思える男が出てきた。しかし、嫌々出てきたと言わんばかりの表情をしており、顔がやつれている。
「はい・・・何の御用で・・・」
声にも気力が感じられなかった。この男といい、ロマーナの街といい、この国にはやはり何か起こっているようだ。
「すいません。少しお話を・・・」
「・・・ん!?あなた、もしかしてハンターですか・・・!?」
ヒサコの腕輪を見て、男の様子が明らかにおかしくなる。眼を見開き、顔が青ざめていく。
「はい、そうですが・・・」
「ハ、ハンターならうちから出てってくれ!早く!」
「あ、ちょっと!アタシたちお客・・・」
アマハが呼び止めても止まらず、男は慌ててカウンターの裏に逃げてしまう。
「・・・どうしましょう」
「やはり、ロマーナに何か起きているな。これでは、ハンターの俺達としては、商売上がったりだ」
「じゃあ、どうするんですか?」
「ロマーナから出て、別の土地へ移動したいところだが・・・」
「それだけは絶対にイヤです!」
ホンダの案を、アマハはすかさず却下する。ホンダが睨むように見ても、少しもしかめっ面を崩さない。別に、ロマーナから離れたくないのではない。ロマーナから動きたくないのだ。同じように見えても、意味は違う。
「・・・チッ、分かった。少しくらい、ここにいるのも悪くないだろう」
アマハがやったと言わんばかりに両手を挙げる。
「ただし、さっきの店員しかり、この街に何が起きているかも分からず居続けるのは、危険だ。少なくとも、ハンターだけに、何かしらの不利益はあるだろう。だから・・」
――――――――――――
「はぁ・・・」
ため息をつき、アマハはうなだれる。隣にはミズキもいる。
「仕方ないだろ?どうせ、どっちかが引くまで終わらねぇんだ」
あの後、この街に何が起きているかを調べるということで二手に分かれることにした。ミズキとアマハ。ホンダとヒサコの二組である。情報を集めるのには賛成だが、頑なに歩きたくないアマハは猛抗議をする。ホンダは反論するが、アマハはそれっぽいことを言って反論を聞こうとしなかった。押し問答というか平行線というか、議論が何時まで経っても終わらない。それを見かねたミズキが、ズルズルとアマハを引っ張った。
「・・・歩きたくない」
「自分で歩けよ」
「つーかーれーたー!ミズキ君、アタシのこと引っ張ったんだから、責任取っておぶってよー!」
アマハがミズキに全体重をかけて寄りかかる。
「〜!おい!やめろ!ふざけんな!」
声にならないうめき声を上げ、必死に抵抗する。疲れているのはアマハだけではない。ミズキも、ついさっきまでゾンビのような様を呈していたのだ。アマハと同じくらい疲れているのだ。では、なぜアマハと共に反論しなかったのか?
(あぁ、これは行くしかないな・・・)
と、諦め気味に察していたからである。ホンダが折れないことは明らかだった。
「アマハ、お前・・・ほんとに離れろ!お前何キロあると思ってんだ!」
「アタシの体重は56キロだよ!」
「うるせぇ!そういうことを聞いてんじゃねぇんだよ!」
「ミズキ君なら大丈夫だって!拳士なんだし!」
もはや、情報収集などそっちのけである。それ以前の問題である。ムードメーカー、と言えば聞こえはいいが、ミズキにしてみれば面倒なだけである。
「クッソ!これでも食らえ!」
ミズキは後ろへ飛び、背中に張り付くアマハを下敷きにする。アマハは断末魔を上げ、ミズキから手を離した。ミズキに「女性に手を上げるな」などという心構えはない。ある意味、男女平等と言えよう。誇れることではないが。
「たくっ・・・ん?」
アマハに気をとられて気付かなかったが、前方にミズキたちを見ている人物がいた。緑色の長髪で、耳が長く、顔も整っている少女だ。外観からして、ミズキと同い年だろうか。あれがエルフなのだと、ミズキは察した。
先程の騒ぎがよほどアホらしかったのか、ジーッと見つめている。
両者とも見つめ合うだけで、口を開かない。十数秒が経過してミズキは、ある違和感を抱く。
「(あの眼・・・なんて言うか、驚いてるって眼だな。瞼全開だし。そんなに驚くもんか?)」
すると、エルフの少女が詰め寄る勢いで早歩きで近づいてきた。
「おいおいおい!?何だよ!?」
「あんたまさか、水城 正一!?」
「は?」
「ミズキ君、知り合い?」
腹をさすりながら立ち上がるアマハが聞く。
「いや、知らねぇ。俺の知り合いにエルフなんていねぇ」
ミズキも、困惑しながら答える。その答えに対し、エルフの少女は、肩を掴んで揺らす。
「ちょっと!私の顔を忘れたの!?」
「忘れるどうこう以前に、初対面だよ!大体、そんなに気付いて欲しいんなら、名前を言え!」
「小玉よ!」
「え?」
「御白木 小玉よ!この名前は忘れたとは言わせないわよ、水城 正一!」
「・・・・・・あんた、委員長か!?」
しばらく固まった後、ミズキは驚きを込めて叫んだ。自分のクラスの学級委員長。まさか、その人がこの世界にやってくるなど誰が思うか。
「そうよ。はぁ〜、ビックリしたわ。まさかあなたがいたなんて」
「ビックリって・・・それはこっちのセリフだ。なんで委員長がいんだよ!」
「それはこっちのって・・・これじゃキリがないわね。一旦落ち着きましょ」
「あ、あぁ・・・」
「・・・あれ、アタシ置いてけぼり?」
少し時間が経ったあと、落ち着きを取り戻し、三人は、街を歩いていた。ミズキ達もコダマも、やっていること(情報収集)は同じだったのだ。
「アタシ、天羽 朱音。よろしく!」
「御白木 小玉よ。こちらこそよろしくね」
「で、委員長。あんた、なんでこの世界にいんだよ」
街を歩きつつ、まずは、ミズキがコダマに聞いた。
「分からないわ。三日前、車に轢かれたと思ったら、この世界にいた。過程としてはこれだけよ」
「俺と一緒かよ・・・ちょっと待った。少しだけ、白い場所にいなかったか?そこで、なんか煙のようなやつと会話したりしたとか」
「したわよ。そこで、死ぬか生きるかなんて聞かれて、生きる方を選んだら、腕輪とカードを渡されたの」
コダマは、腕輪とカードをミズキに見せた。腕輪はやはり、ハンターの技量の証であったが、カードには人の周りに光る玉のようなものが漂っている絵が描かれてあった。
「・・・アマハ、これ分かるか?」
カードからクラスが連想できないミズキは、アマハに振る。しかし、しばらく見つめたが、アマハにも分からなかった。最後にミズキも考えたが、結局分からなかった。
「仕方ねぇ。ホンダに聞くか」
「アタシもその白い場所に行ったよ。そこで渡されたのが、カードと腕輪」
「アマハも一緒か。何なんだろうな。向こうから来る人ってのは、全員ハンターになんのか?」
「ねぇ、コダマちゃん。コダマちゃんはなんでエルフなの?」
「そういえば、なんでエルフなんだ?」
御白木 小玉は普通の人間だ。そもそも、エルフは幻想上の存在。エルフの末裔でもなければ血も微塵も入ってない。その手の縁や因果もある訳が無い。では、何故エルフに生まれ変わってしまったのか。
「分からないわよ。目が覚めたらエルフになってたし、よく分からない名前も付けられてた」
「名前?」
「ルアーロっていうの。エルフたちの言葉で緑を意味するらしいわね」
エルフは、言うなれば辺境に住む部族である。独自の文化を持ち、独自の言語体系を持つ。コダマは、エルフたちの間ではルアーロと呼ばれている。自分には、御白木 小玉という名前があるが、それについてはエルフたちには話していない。
「とにかく、分からないことだらけよ。ガイドブックでもあるなら是非とも欲しい気分」
あきれ気味にコダマは言い、そこで会話は終わった。どうやら、今の彼らは、会話に夢中で、本来の目的を忘れているようだ。まぁ、さっきから誰も見かけていないのだから、忘れてしまうのも無理はないかもしれない。
ふと、アマハが足を止めた。少し眉を寄せ、顔をしかめている。
「アマハ、何してんだ?」
匂いを嗅ぐように鼻を動かした後に、アマハは言った。
「ねぇ、何か臭くない?」
「臭い?」
ミズキもアマハに習うように鼻を動かす。すると、確かに、何か不快な匂いを感じた。
「うわ、なんだこれ・・・まさか委員長、あんた・・・」
「な!失礼ね!ちゃんと体拭いてるわよ!」
「いや、そういう匂いじゃないと思うんだが・・・」
「そうだよ。なんていうか・・・腐ってる匂い?」
「え?」
ミズキは驚いてアマハの方を見るが、アマハ本人はそっちのけで、犬のように匂いを嗅いでいる。
「・・・あっちだ!」
匂いのする方向が分かったのか、アマハは一人走ってしまう。ちなみにだが、人間は訓練次第で嗅覚を鍛えることができると言う。努力をすれば、ある程度の欠点は克服できるということだが、恐らくアマハは腕輪の力で、剣士にふさわしい身体能力、五感を得ているのだろう。ミズキもやろうと思えば出来る。
「あ、おい!犬かあいつは!」
一人走ったアマハを追いかけるように、ミズキ達も走る。
「ちょっと、水城 正一!その匂い、私のなんだと思ったのよ!」
先ほどいた場所から、真っ直ぐ進んだ所にある曲がり角の先に、アマハは立っていた。匂いのする所へは、そう遠くはなかった。精々50mくらいだ。歩いて数十秒の距離だが、ロマーナは無風。だというのに広範囲に漂うとなると、なんであれ、そう直視できるものではないだろう。
「・・・」
「ハァ・・・ハァ・・・アマハ・・・何してんだ・・・」
ミズキは息を切らしながら、アマハに話しかける。しかし、アマハは口を手で抑え、ミズキの声は聞こえていないようだった。体もある程度震えている。明らかに、恐怖している。
「おい。おい、アマハ!」
「!」
ミズキに強く呼びかけられ、アマハやっとは気づいた。しかし、それでもアマハの顔からは、恐怖の色は拭いきれていなかった。
「ミズキ君・・・アタシ・・・」
アマハは、恐怖するだけで、多くは語らなかった。ただ、指をさしただけ。その先は、路地裏である。路地裏なら、人目は付きにくい。いかにもな、問題発生スポットだ。
ミズキは、路地裏を恐る恐る覗く。建物の高さのせいで影が暗く、よく見えない。何もないじゃないか。ミズキは正直、この言葉で終わらせたかった。というより、終わってほしかった。怯えているのがアマハでなくとも察してしまう。この先に、何かやばいやつがある。余程の物好きでもなければ、人は自ら、危ないことに首は突っ込まない。それは、ミズキとて同じだ。
だが、ミズキは見なくてはいけない。目の前のことから逃げていては、後から来る問題は解決できない。他でもない自分のために、この国に起きてることを知らなくてはいけない。
第六感が伝える恐怖じみた警告を無視して、路地裏へ歩みだす。一瞬、先ほどより強烈な腐乱臭を感じ、吐き気を催すが、反射的に抑える。
「・・・ッ!?」
突如として、足を止める。見えてしまったからだ。匂いの元を。脳が理解を拒んだせいで、戸惑ったが、結局は理解するほかなかった。体の至る所に虫がたかっている。色は、薄暗いせいでよく判別できなかったが、見た目は分かった。皮はただれ、肉は少し溶けているようにすら見える。体の一部には、カビのようなものすら生えてるせいで、より醜悪さを際立たせている。
嘔吐はしなかったものの、恐れざるを得ない。人間の、しかも腐った死体を見るのは、初めてなのだ。
人間は、動物を狩っても、罪悪感はそれほど感じない。だが、自分が殺したわけでもないのに、人間の死体を見ると、感情は大きく動く。恐らくそれは、無意識のうちに、自分をその死体に見立ててしまっているからであろう。モンスターを狩るのとは全く異なる感情。それをミズキは、感じていた。
そして、理解した。この国には、何か恐ろしいものがいると。