ないない尽くしの知識
彼は送られた。第二の人生に。彼は初めた。初めての狩りを。彼は、そんなつもりじゃなかっただろう。誰が好き好んで戦いなんてするか。ただ普通に生きていた彼も、平穏を好んでいたのだ。
しかし、彼は選んだ。迷いがありながらも、戦うことを選んだ。ならば、そうしなければいけない。これは言葉の責任などの問題ではない。運命は歪められた。彼には最早、戦う以外の道などないのだ
「・・・空が青いな」
水城 正一が目を覚ましたとき、最初にその目に映ったのは、白い雲の浮かぶ青空だった。いつの間にか、仰向けに倒れていて、背中には芝生のような感触がある。
「・・・いや、何を日和っている、俺」
体を起こし、辺りを見回す。そこは、一面見渡す限りの緑。大草原だった。風が草をたなびかせ、遠くの森は揺れている。太陽の光が辺り、その光を草が反射させることで、そこはさながら、光の絨毯だった。水城 正一は、その大草原のど真ん中にいた。
「・・・なんだこれ・・・すげぇ」
都会育ちではないとはいえ、雄大な自然を見たことの無い、水城 正一にとってこれは、初めての光景で、初めての感動だった。
だが、いつまでも見惚れていられない。現状を理解し、これからどうするかを決めなくてはならないのだ。まず、こうなった経緯。彼はまず、学校からの帰宅途中にトラックにひかれて死亡。しかし、目を覚ました瞬間、白い空間に立っており、そこで奇妙な存在と出会う。その奇妙な存在から、1枚のカードと、銀の腕輪を貰う。
「そうだ!あのカードと腕輪は・・・!」
水城 正一は貰ったカードと腕輪を調べる。手に持っていたはずの腕輪は、いつの間にか右腕に付けられていた。改めてみると、その形状がおかしいことに気づく。形的には腕がすっぽり収まるように出来ている。腕に取り付けるために作られているとしたら、滑り落ちないように、直径は手より小さくなくてはならない。
そのため、腕輪を開く金具か何かがあってもいいのだが、この腕輪にはそれが全く無い。既に取り付けられているが、この腕輪は、取り付けることも、取り外すことも不可能なデザインになっている。
次に、カードについてたが、これは何故か着ている制服のズボンの左ポケットに入っていた。カードの絵に変化は見られない。腕輪もだが、このカードが発していた光はいつの間にか消えている。材質や重量等を調べたが、極めて普通のカードだった。その他に所持品が無いか、ポケットを調べつくしたが、他に何もなかった。ポケットに入れておいた財布や携帯電話はおろか、ポケットのそこで纏まっている糸くずまでも無い。
「何で何もないんだ?服装はそのままなのに・・・」
そもそも、甦る、とあの空気のようなものは言った。ならば、彼は死んだ場所である横断歩道。もしくは、病院で目覚めてるはずである。
なのに、彼はこのどことも知れない草原で目覚めている。
「・・・考えても仕方ねぇ。どこか、人のいそうな場所を探そう」
最初の目的を決め、水城 正一は歩き出す。まず、見つけるべきものは道路だ。この草原に道路が敷かれているかどうかは分からないが、道路を見つけ、辿った先は必然、人のいる町である。
だが、そこまで考えて水城 正一にある違和感が生まれる。
「そういえば・・・なんで周りに建物がないんだ?ビルは無いとしても、家の一軒や二軒ぐらい・・・ていうか、よくこんな草原があったな。こんくらい土地があれば、町のひとつくらい、作れそうなもんだが・・・」
今のご時勢、見渡す限りの大草原を見つけるなど、不可能ではないのだろうか。草原は、木を切る必要がない。余計な手をかける必要が無いため、すぐに町を作る作業に入れる。日本の東京も何千年も前は、草原だったろうが、縄文人が文明を持ち始めると、そこに建物が作られ、いつしか、草は根ごと枯れ果ててしまった。
このように、草原は建物を作るにはとても適した土地とも言えよう。その草原に、建物が存在しないとは、現代人からしてみれば違和感の塊であろう。探そうと思えば、見つかるだろうが。
「ここって・・・日本なのか?なんていうか・・・別世界に来た気分だ」
そんなことをつぶやきつつも、内心楽しんではいる水城 正一がいる。冒険にあこがれる少年と同じか、それとも男のロマンを感じる心があったのか、どちらにせよ、水城 正一はこの状況を楽しんでいた。猛獣もいないので、冒険と言うより、観光と言えるが。
しばらくして、水城 正一は、コンクリートなどで舗装されてはおらず、土がむき出しになっているだけだが、道路を見つけた。あとは、これを辿れば、人のいる場所に着くことが出来る。
「ふぅ、やっとか。さて、どっちに進んだらいいもんか・・・右だな」
もちろん、勘である。歩くことは変わらないため、先ほどと同じく、肉体的疲労と精神的疲労を味わうことになるが、人に会えると希望が持てたのか、足取りが軽くなっている。
歩いていると、遠くに何かあるのに気づく。遠目では黒い点にしか見えなかった、次第に、馬車であると分かった。
「・・・いや待て。馬車?今の時代、馬車だ?・・・いやいやいやいやそれは流石におかしいだろ。東京に人力車はあるが、馬車なんて誰も使ってないだろ・・・ん?」
ここで、もう一つおかしい点に気づく。車を引いているのは馬ではない。正確には、「馬に見える」が、決定的に馬と違う点がある。
それは、皮膚である。知っているだろうが、通常、馬の皮膚は毛に覆われている。それが、あの馬に見える動物の皮膚はワニのような鱗で覆われている。色が黒っぽいため、遠くで見ると、馬に勘違いしてしまったが近くで見ると全然違うことが分かる。
唖然としている間に馬車(便宜上、こう呼ばせてもらう)が水城 正一に近づく。
「どうしたんだ?ホルセがそんなに珍しいか?」
馬車に乗っていた一人の男が話しかけてくる。
「・・・ホルセ?」
ホルセという自分の知らない単語に、頭をこんがらがせる。馬だと思っていた生物が自分の全然知らない生物だったのだ。
驚愕の見た目と謎の名称のダブルパンチが水城 正一に炸裂した。凄まじい精神的ショックを受けるが倒れるほどではなかった。
「・・・まさか、ホルセを知らないのか?」
「全然・・・馬じゃないのか・・・」
「おいおい、ホルセを知らないとは・・・どこの田舎もんだよ、お前さん」
呆れたように男は話す。それに対して、少し、苛立ちを覚えたが、仕方ないこととして、抑える。
「ところで、この馬車・・・ホルセ車?って、どこまで行くんだ?」
「どこってそりゃあ、プラファーレスだよ」
「プラ・・・なんだって?」
「プラファーレス。・・・それすら知らないのか?」
また自分の知らない単語が出てきたと、水城 正一は内心頭を抱える。元々、外国の地名なんて有名な国の首都くらいしか知らない彼だが、どう考えても、そんな地名、地球上に存在するはずがないと思った。
「・・・全く」
「あんた・・・大丈夫か?いくら田舎もんとはいえ、プラファーレスを知らないとあっちゃ、ただ事じゃねぇぞ?」
「・・・俺の常識がまるで通じない」
流石に倒れそうになったが、それを意地と根性で持ち直させる。彼が、貧弱に見えるだろうが、正直なところ、ホルセという生物の見た目が一番応えているかもしれない。どう見ても怪物にしか見えないからだ。目元なんかが特に怖い。馬のようなつぶらな瞳とは縁がなさそうな鋭い目つきだ。ホラーを映画と現実で見るのは違うと言うことである。
「(なに?なんなのこれ?ホルセ?馬じゃなくて?ホルセってなんだよ。馬だと思ってたよ。だって誰がこんなワニみたいな皮膚してると思う?見た目めちゃくちゃ怖いし。ていうか、プラなんとかも知らないし。どこ?ヨーロッパか?ヨーロッパなのかここは?そうだ。そうに違いない。出なければこんなカルチャーショックの連続があるはずが無い。ていうか、夢なんじゃない?これ。夢じゃなかったらこんな生物いるはずないし。そもそも、俺が死んだなんて、それこそ夢だ。夢。夢。全部夢だったんだ)」
傍から見れば、ただ突っ立っているようにしか見えないが、頭の中では壮絶な現実からの逃避行が繰り広げられていた。追ってくる現実をよけながら、前から来る現実をよけるという、ハリウッドにも引けを取らない逃避行(ただし、脳内でだが)だが、その逃避行は、馬車・・・もとい、ホルセ車の男の声で終わらせられる。
「おい・・・おいあんた!」
「・・・ハッ!俺は・・・何をしていた?」
「いや、ボーッとしてたがよ・・・本当に大丈夫か?」
「あ、あぁ。大丈夫だと思う・・・そうだ。俺をそのプラ・・・プラ・・・」
「プラファーレス」
「そう、そのプラファーレスに連れて行ってほしい」
「別に構いやしねぇがよ・・・大丈夫か?」
「大丈夫だよ。あんたも心配性だな」
後ろの荷台に乗せてくれるらしく、水城 正一はそこに乗った。荷台には木箱などが乗せられており、りんごなどの果実が入っている。
「(こういうところは変わらないんだな。変なところだ)」
りんごを眺めていると、前の男が話しかけてくる。
「大事な商品だから、手を出すなよ?」
「出しはしない。ただ、ここは変わらねぇと思って、安心してたんだ」
「安心?変なやつだな。そういえば、お前さんもハンターなのか?」
「・・・ハンター?」
今度は、自分の知っている単語であったため、混乱はしなかったが、疑問はあった。彼は、自分がハンターなどと呼ばれる職業(?)に就いた覚えはなかったからだ。
「お前さん、ハンターじゃないのか?だったらその腕輪、どうしたんだ?」
そう言い男は水城 正一の腕輪を指で指す。
「(・・・え、これ、ハンターの証かなんかか?まずい。ここで違うと言ったらとんでもないことに発展しそうだ。主に警察沙汰に)」
ここで、確信ではないにせよ、右腕の腕輪の意味を理解する。それにより、ハンターというものが資格の必要な仕事だと予測し、自分の置かれている状況の危なさを理解する。当然、資格詐称は犯罪である。
つまり、ここで水城 正一が「自分はハンターではない」などと言った場合、逮捕される恐れがある。それを回避するには・・・
「い、いや、ハンターだよ。これから、仕事を報告するところ」
嘘をつくことである。その場しのぎではあるが、この状況を打破するにはこれくらいしか思いつかなかったのだ。
「じゃあ、なんでプラファーレスの名前を知らなかったんだ?」
「(追撃してきやがった・・・)」
だが、水城 正一はここで焦りを見せない。あくまで、冷静に対処する。急いては事を仕損じるという言葉を知っていたからだ。落ち着いて、言葉をくみ上げて、虚構を作り上げる。
「あぁ~・・・い、今まで知らなかったんだ。プラファーレスで生まれたんだが・・・地名をとかどうでもいいって思ってて、すぐに忘れちまうんだ」
嘘を言った後、無理がありすぎたと後悔する。流石に、都合のよすぎる嘘をついたと、過去のおのれを殴りまくる。
「・・・ま、そんなこともあるだろ」
「(いや、あるわけないだろ)」
しかし、返ってきたのは予想外の返事のため、たまらず、心の中でツッコむ。結果的には、上手くいったため、ホッとした水城 正一だったが、慣れない嘘をついいたため、疲れがドッと出てきた。荷台に背中を預け、空を見上げる。
「はぁ・・・これからどうなるんだか・・・」
荷台に揺らされ、水城 正一はプラファーレスへ向かう。彼の受難は、始まったばかりである。