ある寿司職人の走馬灯
俺の名は酒井鉄男。寿司職人だ。
・・・いや、正確にはだっただな。
先日調理場で倒れて即入院。検査結果が末期癌ときた。
完全に手遅れだったし、面倒臭ぇ延命治療も拒否して自宅に帰ってやった。
そうこうしてたら、俺はもうすぐこの世とおさらばするらしい。
まだまだウチのガキ共に教えたい事は残っちゃいるが、人生ってのはままならねぇもんだな。
まぁ出来た弟子達が居るから、残りはそいつらから教わりな。そうすりゃもっと腕も上がるだろ。
あぁ、段々と目ぇ開けるのもしんどくなってきやがった。
カミさんやガキ共、直弟子達が何か言ってるが、良く判らん。そろそろお迎えが来るらしい。
カミさんには散々迷惑を掛けたが、後はガキ共に面倒を見て貰いながらのんびり暮らしてくれ。
老後の心配が必要無ぇぐらいの蓄えは残してやれたしな。
ま、ウチのガキ共も一人前の寿司職人になったし、我ながら自慢のガキ共だ。まぁあいつらには言った事なんざねぇがな。
俺の店もあいつらならきっちり後を継いでくれるだろう。他の弟子達も居るしな。
俺の蓄えで足りなければ、ガキ共に面倒を見て貰って悠々自適に過ごしてくれればいい。
ただ、なるべくゆっくりしてからこっちに来いよ?せっかくの余生だ。好きな様に十分に楽しめよ?
俺だってそれなりに長生き出来た。
齢80過ぎまで現役の職人人生を送れたんだから、十分に満足出来る人生だったんじゃねぇかと、自分でも思う。
“死ぬのが怖いか?”って聞かれれば、そりゃー怖いさ。でもな?
人間って奴は後数日しか生きられないって判ったら、逆にそれはそれで腹括れるもんらしい。
もう俺には未練らしい未練もねぇし。
このまま満足して逝けるんなら、それなりに良い人生だったと思う。
ただな?まだ俺が自分の店持つ前に、目ぇ掛けてやった若けぇ奴の事が気掛かりなぐらいだな。
俺が店を持とうとした頃に、どうにかしてウチで雇ってやろうと連絡を取ろうと頑張ったんだが、ぷっつりと繋がりが途切れてやがった。
方々伝を頼ってみたが、結局行方が判らず仕舞いだったなぁあの兄ぃちゃん。
今頃何処で何してるんだろうなぁ・・・。
実入りも良いし、ついでに店の経営なんかのノウハウを学ぶつもりで働いていた店の兄ぃちゃんだったが、何処か見所のある奴だった。
最初はノリの軽い奴だったし“今時のチャラい奴”かと思ったが、誰に対してもある程度丁寧な対応を崩した姿は見た事がねぇ。
俺の方がその店では後輩だったのもあるんだろうが、歳食ったおっさん相手に嫌な顔1つせずにその店のルールやらを教えてくれたなぁ。
それなりに有名だった店の板場の一切を取り仕切っていた俺の腕を見せてやったら、逆に教えを乞うて来たしな。
全く。お互いにただのバイトだってのによ。 特に目的も無ぇのに、どうして其処まで貪欲に学ぼうと出来るのかねぇ。
後輩である俺に怒鳴られようが殴られようが、文句の1つも言いやしねぇ。
他の奴らは店を辞めるか店長に文句を言ってたみたいだがな。
俺も散々店長から文句を言われたが、唯一あいつだけが俺の正当性を訴えてくれた。
あいつは若けぇのもあったんだろうが、俺が教えてやった事をスポンジに水を吸わせるみたいに、面白いほどすぐに吸収しやがる奴だった。
そのうち俺も面白くなって、店の仕事とは関係の無い事まで色々と教えてやったなぁ・・・。
俺が辞めた後、大学卒業と同時にあのバイトを辞めたと聞いたが、あれからどうしてるんだろうな・・・。
・・・とある居酒屋チェーン店 調理場・・・
「おはよう御座います!」
「「「おはよ~。んじゃ後よろしくね~」」」
「おう兄ぃちゃん。おはようさん今日もよろしくな」
「おっちゃんおはよ~。今日もまた5-ラ?」
(注:5-ラ
始業時間(午後5時前)~終業時間(午前5時過ぎ)の約12時間労働の事。
バイト店員の大まかな基本は午後5時~午後11時・午後11時~午前5時のシフト制だが、一応ぶっ通しで就労する事も可能だった。
開店時間前の夕方5時前から、ラスト(閉店)後からの清掃や翌日の仕込みまでの長時間労働となるので、それなりにキツイ。
状況次第ではあるが一応休憩時間は有るものの、本当に店の状況次第となる為、かなり不安定な就労形態となる。
実質拘束時間が12時間以上となるなので、深夜手当ても含めると収入目的ならかなり割りの良いバイトになる)
「おうよ。とっとと金貯めて早く自分の店持ちたいしな」
「おっちゃんさ~。毎日シフトに入ってますよね?たまには休まないと体壊しますよ?他のバイトもしてるんでしょ?」
「けっ。この程度で壊れるほどヤワな体はしてねぇよ!」
「まぁ無理はしないで下さいね?おっちゃんが倒れちゃうと、板場でやる事が減っちゃうからねぇ・・・」
「そんときゃーおめー。自分で新しい飾り切りでも試してみろや。
握りもそうだが、まだまだ包丁の使い方がなってねぇぞ?研ぎも甘ぇしな」
「うわ!藪蛇だった!握りだって前よりは上達したと思うんですけどねぇ・・・」
「てめーの握りなんざ、いいとこ60点だな。ちなみに寿司屋なら客に出せる最低ラインでも90点以上な?」
「ひでぇ!」
「握りを舐めんなよ?本職なら数年以上は修行するんだからな?」
「まぁただの居酒屋チェーン店で修行するもんじゃないですわな」
「だな。つーか来て早々にダベってないで、とっとと溜まってる洗物しろや」
「りょ~か~い」
「・・・そーいやーおめーも大学行ってる割に殆ど毎日朝の5時過ぎまで働いてるが、ちゃんと勉強してんのか?」
「(カチャカチャ・・・)ん~。大学はあんまり面白く無いんですよねぇ。
何度かコンパとか行ったんですけど、正直イマイチでした。
たまたまかも知れないけど“女子達をちやほやする会”って感じで、俺は純粋に楽しめなかったんですよねぇ。
大学にはとりあえず留年しない程度には行ってるし、単位さえ取れたら卒業は出来るから心配してないかな?
単位に関しても楽に単位が取れるやつしか取ってないし、ゼミの卒論も最初から楽なゼミに入りましたしね。
それほど問題無いですよ。ちょっと寝不足なぐらい? ま、テストが無い講義の時は寝てるから」
「せっかく親に大学行かせて貰ってるんだったら、ちゃんと勉強しろよ」
「ん~。ウチの親はとりあえず留年せずに卒業出来たらいいみたいですから。
大体“院”まで行くつもりが無いし、文系三流大学を出た所で意味があるのって“大卒”って肩書きぐらいですよ?」
「そんなもんか?俺は中卒だから判らんが」
「そんなもんですよ実際は。
この時間の他のバイトの子らも大概大学生でしょ?皆、似たり寄ったりなんじゃないかな~?」
「若けぇうちはもっと苦労しとくもんだと思うがな?」
「ちゃ~んと働いてるじゃないですか~。コレも社会勉強ですよ?」
「深夜の居酒屋で社会勉強もクソも無いだろうよ」
「ははは。まぁ入ってみて初めて知る現実って事で」
「カカカ。違げぇねぇ」
「あ!そう言えば前に言ってたお店に連れて行って貰う件。覚えてますか?」
「ん?あぁ言ったな。それがどうした?」
「そのお店ネットで調べてみたんですけど、めちゃめちゃ高級料亭じゃないですか!
服装とかお金とか大丈夫なんですかね?ちゃんとスーツとか着て行った方がいいんですか?」
「服装なんざ普段着で構わねぇっつーの。金も心配すんな。奢ってやっから」
「でも高いんじゃ・・・」
「若けぇのが金の心配なんざすんじゃねぇよ。ま、多少はするだろうが、元従業員割引でもしてくれるだろうさ」
「ならいいですけど・・・」
「ま、楽しみにしときな。
こんな所で食うパチモンの寿司じゃなくて、本当の寿司って奴を教えてやるよ」
・・・夏のとある高級寿司料亭・・・
「よぅ!綾ちゃん」
「あ!酒井さん!お久しぶりです!」
「カウンター席で2名なんだが空いているかい?」
「今日はお客様なんですね?いらっしゃいませ。
と言うか、判ってて聞いてませんか?カウンター席しか空いてませんよ?」
「カカカ。個室は満席かい。儲かってる様で何よりじゃねぇか」
「まぁそうなんですけどね・・・やっぱり酒井さんが辞められてから、常連さんが余り来られなくなりました」
「それは社長も判ってやったんだろうよ。“常連よりも上客”ってな?」
「私もあの時の酒井さんが仰っていた“常連を大切にしない店は潰れる”って思ってるんですけどねぇ」
「カカカ。その話は客前でする様な話じゃねぇよ。それにもう過ぎた事だ。今更言っても始まらねぇよ。
つーか新規の客を連れて来たんだ。とっとと案内してくんね~かな?」
「そうですわね。お客様、失礼致しました。どうぞこちらへ」
「親方!」
「よぅ文。ちゃんと修行してっか?
つーかもうこの店は辞めたんだから、親方じゃねぇよ。今日は客だ。
綾ちゃんも有難うな。勝手知ったる何とやらだから、もういいよ」
「はい。ではごゆっくり。そちらのお兄さんもごゆっくりどうぞ」
「はっ、はいっ!有難う御座います!」
「兄ぃちゃんそんなに硬くなんなよ。楽にしろ楽に」
「でもおっちゃん・・・」
「あぁ?オイお前。親方に対して“おっちゃん”だぁ?」
「ヒッ!」
「オイ文。それが客に対する態度か?」
「すみません親方・・・しかし・・・」
「しかしも何もねぇよ。まだ二十歳そこそこの兄ぃちゃん捕まえて喧嘩売ってどうすんだよ。
大体客だっつってんだろうが。
この店来る為に、わざわざジャケット新調してまで来てんだ。そんな客を脅してどうするよ?
本当の寿司を食うのも今日が初めてらしいんから、ちゃんとした対応ぐらいしろよ」
「でも親方・・・」
「でもじゃねぇよ。この兄ぃちゃんは、今俺が働いてるバイト先の先輩なんだよ。
色々と面倒掛けたりもしてるから、その侘びも兼ねて旨い店に連れて来たつもりだったが、お前がそんな態度なら帰るぞ?」
「すみません親方・・・」
「謝る相手が違うだろうがよ。まぁいいや。とっとと座るか。
兄ぃちゃんも文が悪い事したな。許してやってくれや」
「いえ、構いませんけど・・・今後何とお呼びすれば・・・」
「今まで通り“おっちゃん”で構わねぇよ。文もそれでいいな?
あぁ。そこの板前が・・・文。お前の名前って何だった?」
「・・・親方・・・康文です。
そちらのお兄さんも、親方がお世話になって居る方なら“文”と呼んで頂いて結構です」
「・・・では文さんと呼ばせて頂きます。私は・・・」
「兄ぃちゃんは“兄ぃちゃん”でいいだろ?面倒臭い。文もそれで了承しとけ。お互いに堅苦しいのも無しでいい。
んじゃ早速だが、お前の自信のあるヤツから適当に握ってくれや。後、それぞれに合う酒もな」
「へい!」
「・・・おっちゃん?自信のあるヤツから握って貰うってのは判りますけど、“それぞれ”に合うお酒って?」
「兄ぃちゃんそんな小声でビビって喋んなくても、もう平気だっつーの。
つーか、小声でもカウンターだと丸聞こえっだってのも覚えとけ。文もニヤついてんじゃねぇよ。
俺が頼んだのは、来てのお楽しみってヤツだ。
こういうのは客の要望が無い場合は板前に任せた方がいいんだよ。
それで板前の良し悪しが判るしな」
「ははは。兄ぃちゃん、そういう事だ。改めて脅して済まなかったな。本当に申し訳ない。
でだ。親方の言った通り“お任せ”ってのは良くも悪くも“板前次第”なんだよ。
カウンター席だったら“対面しながら”だからな。板前としての“腕”が如実に出ちまう。
そこら辺で一切の誤魔化しが効かないんだから、それなりに舌の肥えたお客なんかの相手だと“板前泣かせ”な注文ってこった。
まぁ親方の場合は俺の腕が落ちてないかのチェックって所ですかね?」
「カカカ。判ってるじゃねぇか。
ちなみに文。予め言っておくが、この兄ぃちゃんを甘く見てっと痛い目にあうぞ?特に酒に関してはかなり舌が肥えてる。
兄ぃちゃん家の仕来りで15の頃から飲んでたらしいからな。まぁ正月限定らしいが。
成人してからは少しだけバーテンもやってたらしいから、ヌルい酒を出したら見抜かれるぞ?
まぁ日本酒に関しての知識は浅いらしいがな。
後、握りに関してもそれなりには仕込んである。まぁそこらの新人よりはちったぁ上って程度だがな」
「おっちゃんハードルを上げないで!ただでさえ緊張してるんだから!」
「ははは。中々面白い兄ぃちゃんですね。
親方の手前もありますし、当然手は抜きませんよ。親方がそれなりにでも仕込んでる相手なら尚更ですね。
では先ずコハダからどうぞ。お酒は1合で構いませんか?」
「あぁ構わねぇ」
酒を準備する文。
ほぅ。最初はぬる燗で出すか。コハダを出す所も、兄ぃちゃんを試す気だな?
俺はちゃんとお前に釘を刺したがなぁ。 まぁいいか。確かに俺も兄ぃちゃんの反応が気になる。
「あ、お注ぎしますよ?」
「おっとわりぃな」
「こういう場では手酌厳禁ですからね。“出世しなくなる”でしたっけ?」
「兄ぃちゃんはよくそんな話知ってるな。そういうのも大学で勉強するのか?」
「いや、単にウチの本家が結構古い武家だったせいだと思いますよ?しかもただの雑学ですしね。
こういうのを大学の講義でやるなら、受講してたかも知れませんが」
「そう言う兄ぃちゃんは手酌でいいのかい?」
「俺は出世欲が有りませんからね。どうでもいいんですよ。
“なるようになるし、ならんようにしかならん”が俺の座右の銘ですからね。
おっちゃんはこれから頑張って稼いで、自分のお店を持つって目標があるじゃないですか。
それに此処はおっちゃんの奢りでしょ?だったらせめて酌ぐらいさせて下さいよ」
「カカカ。ま、有り難く受けとくよ。美人じゃないのが残念だがな?」
「それだと奥さんに怒られちゃいますよ?
とりあえず、おっちゃんが早く店を構えられる様になる事を願って!」
「「乾杯!」」
「んぐっ・・・は~。おいし。それじゃ早速本物のお寿司ってヤツを・・・頂きます」
黙って酒を飲みながら兄ぃちゃんの様子を伺ってみる。文のヤツもさりげなく伺ってるな。
「・・・すみません文さん。コレが自信作ですか?」
「何だい兄ぃちゃん。俺の作った寿司に文句でもあるのかい?」
「いや、お寿司もお酒もかなり美味しいんですけど・・・」
「カカカ。兄ぃちゃん。正直な感想を言っていいぞ」
「え~っと文さんには申し訳無いんですが、このお寿司の味だったら、冷酒か思い切って熱燗の方が合うと思うのですが?」
ほぅ、ちゃんと気付くか。にしても熱燗だと?
「兄ぃちゃん。どうしてそう思う?」
「お酒の方は・・・多分そこそこいい値段のするお酒だと思います。
口当たり、喉越し、後味、鼻に抜ける感じ。どれも“いいお酒なんだろうな”とは思います。
少し燗してあるから、香りも引き立ってますし。
お寿司も単品でならかなり美味しいんじゃないでしょうか?
ただ、先にお酒を口にした後だと、全体がぼんやりしちゃって・・・。
お酒のせいでお寿司の味が楽しめないと言うか・・・。
確かコハダって出世魚でしたよね?
それをあえて出したのに、全体として“ぼんやりした味”になってるのはどうかな~?と。
おっちゃんの出世を願うつもりで出したなら、こんな風にぼんやりした味で纏めるのは文さん的に何か意図があるのかな?って。
確かコハダの旬って夏だったと思うから、思い過ごしかも知れませんけど」
「カカカ。だ、そうだぞ?文」
「参りましたね。兄ぃちゃん本当に素人か?こっちの酒だったらどうだい?」
さっきの酒を冷酒で出す文。
「頂きます・・・うん。美味しいです。こうやって味わうと、このお寿司に手間が掛かってるのが良く分かりますね。
うわ~マジでお寿司って旨いわ。昆布ってこんなにいい味が出るんですねぇ。
やっぱり居酒屋チェーン店で食べる寿司とは全く別物って感じですね。こっちの方が断然旨いわぁ~♪」
「親方。本当にこの兄ぃちゃん素人なんですか?」
「そうらしいぞ?寿司屋にすら入った事が無いらしいな。回転寿司ならあるらしいが」
「いや、純粋なお寿司屋さんって値段が高いイメージがあるじゃないですか!
たかが大学生が気軽に入るようなお店じゃないでしょうに」
兄ぃちゃんの話を聞き流しながら、俺も冷酒を飲みつつ寿司を摘む。
・・・文の腕も落ちてないみたいだな。むしろ多少腕を上げたか?
「どうでしょうか親方?」
「少し腕を上げたって所か。塩加減も昆布の締め具合も、まぁ問題無ぇんじゃねぇか?」
「良かったです」
「それじゃぁ後は適当に頼むわ。
もう分かってるとは思うが、次からは兄ぃちゃんを試す様な真似をすんじゃねーぞ」
「分かってますけど、その前にもう1度コハダを出させて頂いてもいいでしょうか?」
「ん?」
「いや、さっき兄ぃちゃんが言った“熱燗”ってのが気になったんですよ。
で、親方のご意見も伺えればと。当然御代は要りませんので」
「あぁ、構わねぇよ。確かに気になるな。
なぁ兄ぃちゃん。なんで“冷酒か熱燗”つったんだ?」
「う~ん。何となくなんですけど、このお酒の場合だったら“先”か“後”だと思ったんですよ」
「“先”か“後”?
兄ぃちゃん。悪ぃが学が無い俺らにも分かる様に説明してくれ」
「う~ん何て言ったらいいのかな?
後味として“お酒かお寿司のどちらを残すのか?”って感じですかね?
今は夏場ですから冷酒が正解なのかも知れませんけど、あえて熱燗にしても面白いんじゃないかと思ったんです。
とりあえず説明しづらいので、文さんがまた握ってくれたら、“先に食べてから”お酒を飲んでみて下さい。
俺みたいな素人じゃなくて、本職の舌で確かめた方が確実だと思いますし」
良く分からんが、とりあえず兄ぃちゃんの言った通りの食べ方をしてみる。一緒になって文も試してるな。
板前が客の前で勝手に酒を飲むとか摘み食いとかは有り得ねぇんだが、まぁ俺らしか居ないし別にいいだろう。
「「ほぅ」」
なるほど、確かに“先”か“後”って事か。
さっきの冷酒の場合だと、酒を飲んだ後に食べた寿司の旨みが後味として残り、酒の香りが引き立つ。
逆に熱燗を後から飲めば、口に残ったコハダの脂の旨みがより引き立つ。
酒の香りも残るが、それよりも“味”としては熱燗の方が旨みを感じる。
試しに熱燗を飲んだ後に食べてみたが、“少し劣る”ものの、全体の印象としてはそれほど差は無い。
文の奴も同じ様な感想らしいな。確かに熱燗でも旨い。
後味の“先”か、旨みの“後”っつー感じか。
「なるほど、確かに旨い。でもぬる燗じゃ駄目なのか?」
「あぁ。おっちゃんはぬる燗の後に食べなかったんでしたっけ。
正直に言うなら、どっちつかずの味になるんですよ。若干お酒の方の香りだけが残っちゃう感じです。
せっかく美味しいお寿司なのに、それって勿体無いじゃないですか」
「なるほどなぁ」
その後、文も交えて兄ぃちゃんと“この寿司に合う酒はどれがいいか”などと楽しく話しつつ、色々な酒や寿司を飲み食いさせてやった。
若干懐具合は寂しくなったが、本来この店で請求する額よりはかなり割り引いてくれたのだろう。
文もかなり飲み食いしてたしな。「必要経費です」とか言ってたが、大丈夫か?
つーか閉店まで粘ったが、俺達以外には誰もカウンター席には来なかった。
・・・数ヶ月後、同じく高級寿司料亭・・・
文から相談があると連絡があって、久々にやってきた。まだ営業時間前だが、玄関先で文が待っていた。
「よぅ。どうしたよ」
「親方・・・お呼び立てしてすみません。とりあえず寒いので中へどうぞ」
「で?相談ってのは?」
「単刀直入に言いますと、人手不足で店が回らなくなってきてるんですよ。
親方。この店に戻って頂けませんか?」
「何でぇ。この不景気だってのに良い事じゃねぇか。求人募集してねぇのかよ」
「新人も入って来るんですが、流行のゆとり世代って奴ですかね?
何人入ってきても、3ヶ月も持たずに辞めちまうんですよ。
今じゃ親方が居られた頃から居る古参連中か、他の店から引き抜いた奴ぐらいしか居ないんです。
引き抜いた奴は他の店での流儀が抜けないみたいで、古参連中と仲が悪くて・・・」
「それを纏めるのが板長であるお前の仕事だろうが。何甘えた事ぬかしてやがる」
「社長の肝いりで入ってきた連中なんで、俺の言う事を聞かないんですよ。
と言うより、社長の意向としては連中の中から新しく板長を選びたいらしいんですけどね。
とは言ってもあいつらの実力的に無理でしょうけど」
「またあの社長か・・・。まぁ先代の社長とは違って、俺らにも口を出してきた奴だしな。
あの拝金主義者が経営してるんだったら店は儲かってんだろ?」
「売り上げとしては、確かに多少増えたらしいです。
でも最近は、以前はよく来られて居た常連さんも来られる事がかなり少なくなりました。
その代わりに、一見さんは多くなりましたけど、固定客にまでは繋がってないですね」
「それが今の社長の経営方針なら仕方ねぇんじゃねぇの?
もうとっくに辞めちまった俺が口を出す事でもねぇよ」
「どうしても戻って来て頂けませんか?」
「まぁ無理だな。
つーか、ようやく自分の店を出せるだけの資金にも目途がついたし、俺も今は別の寿司屋で働いてっからどう考えても無理だ」
「それならこの店で働いても良かったのでは?」
「俺が今働いてるのは、将来自分の店で使う材料の仕入先への顔繋ぎの為だからな。
それは先方さんにも働く前に予め伝えてある。まぁその分給料は安いが、久々に充実してるから問題無い」
「でしたら親方の息子さん達を預からせて頂けませんか?
確か京都と東京の寿司屋で修行されてるんですよね?」
「駄目だ。ガキ共は俺が店を持ったら継がせるつもりだからな。余計な事を覚えさせる必要はねぇ。
俺の考え方とこの店の方針は違うだろ。だから俺が辞めたんじゃねーか。
ガキ共が働いてる店も、俺が直接行って確かめてからガキ共を預かって貰ってんだからな」
「そこを曲げてお願い出来ませんか?」
「駄目だっつってんだろーが。
職人ってのは、良い材料に最高の仕事をして客に出す事が第一だろうが。
その最高の仕事に対する対価として金を貰うんであって、この店みたいに金を儲ける為に仕事をするんじゃねーんだよ。
俺には材料が良いからって、俺らの仕事以上に値段を吊り上げるような方針は受け入れられねーんだよ。
その辺はお前も分かってるだろうが」
「それはそうなんですが・・・」
「諦めろ。どう考えたって今の社長の方針と俺とじゃ相容れない。
大体この話自体、社長は知ってんのか?お前の独断じゃないだろうな?」
「一応社長には話しを通してあります」
「何て言ってた?」
「“詫びるなら考えてやっても良い”と・・・」
「はっ。俺が詫びる?冗談じゃねぇよ。
俺だって転々と働く店を変えてきたからこそ分かる様になったが、今の社長がやってる事が完全に間違いだとは言わん。
確かに利益が出無ければ何にも出来ねぇんだからな。
だがな?曲げちゃいけねぇ筋ってもんが通ってない店なんざ、こっちから願い下げなんだよ。
まぁ今のこの店の筋って言うなら“金儲け第一”って感じか? そんなもん“曲げちゃいけねぇ筋”でも何でもねぇよ。
お前もその辺を間違えない様に気を付けろよ? でなきゃ社長と一緒にこの店と心中する事になるぞ?」
「肝に銘じておきます・・・」
「まぁお前はお前なりに頑張れや。この店に見切りを付けたんなら、また俺ん所に来い。何とかしてやるから」
「その時は宜しくお願いします。
ところで前連れて来られた兄ぃちゃんを雇えないでしょうか?」
「あの兄ぃちゃんをか?多分無理だと思うぞ?
俺があのバイトを辞める前に就職先が決まったって話をしてたからな。
それに俺が辞める時に改めて誘った事もあったが、“接客業はバーテンダーをやった時に限界を感じたから無理”だとよ。
第一あいつは喫煙者だぞ?此処みたいに格式ばった店なんかは絶対に料理人は禁煙だし、来る気もねぇんじゃねぇの?」
「あの兄ぃちゃんタバコ吸うんですか!?」
「勿体無ぇ話だよなぁ。あれほど鋭い味覚を持ってんのに。
しかもタバコを吸い始めたのって結構前かららしいから、生まれ持った“天性の物”なんだろうけどな。
俺が会った時点ではヘビースモーカーだったな。散々辞めろって言って、1日に2箱まで減らさせたけどな。
それでも味覚が落ちてねぇんだから、全く羨ましい話だよ。才能って奴は残酷だって事だ」
「そうですね・・・」
・・・約1年後、同じく高級寿司料亭・・・
「よぅ!綾ちゃん久しぶり」
「酒井さん!お久しぶりです!今日はどういったご用件でしょうか?」
「文の奴は相変らず居るのかい?」
「はい。カウンターに居られますよ?」
「んじゃ、客として会うか。案内してくれる?」
「承知致しました」
「よう!文。久しぶりだな!」
「親方!お久しぶりです!」
「今日はちぃっと相談があって来た。まぁ一応客だがな。
とりあえず適当に頼むわ。飲み食いしながらになるが、俺の話を聞いてくれや」
「へい!」
「ん?文。また腕上げたな?」
「親方にそう言って頂けると嬉しいですね」
「しかし・・・妙だな。ネタの質自体が落ちてないか?
酒との相性で誤魔化してるんだろうが、酒もネタも、前より悪くなってないか?
その分きっちり仕事してフォローしてるんだろうが、そうそう誤魔化し切れるもんじゃねぇぞ?」
「やっぱり親方には敵いませんね。
実は店の方針でなるべく原材料費を下げてるんですよ。
仕入先にも頭下げて回ってますが、どうしても限界がありますからね」
「何でぇ。そろそろ店が危ういのかい?」
「まだ利益としては、以前親方が居られた頃と同水準らしいですね。
やっぱり固定客が付かないと難しいみたいです」
「原材料費を下げてんのに、利益が俺の居た頃と同じぐらいって・・・。
やっぱもうこの店はやべぇのか?」
「多分そうでしょうね」
「まぁ誤魔化しが出来てるうちは何とかなるだろうが、早々に手ぇ打っとかないと、どうしようもなくなるぞ?」
「はい。社長もそれは判ってるみたいで、人件費下げたりして何とかしようとしてるみたいですがね。
誤魔化しに関しては、前に親方が連れて来た兄ぃちゃんに感謝ですよ」
「は?何であの兄ぃちゃんの話になんだよ?」
「あの兄ぃちゃん“社会人になったから”っつって週に1回ぐらいのペースで来てくれる常連さんになってくれたんですよ。
んで、その度に質の落ちた材料に合う酒を見繕ってくれてるんです。一昨日も来てくれましたね」
「へぇ。あの兄ぃちゃん、常連になってくれたか。有り難ぇ話じゃねぇか。
で、酒を見繕うってどういうこった?」
「最初はただの客だったんですがね?
あの兄ぃちゃんの味覚っていいもん持ってるじゃないですか。あの兄ぃちゃんにも材料の質が落ちた事に気付かれちまったんです。
んで俺がぶっちゃけて、質の落ちたネタに合う酒は無いかって相談したら、色々と相談に乗ってくれるんですよ。
それを参考に俺もネタにする仕事のやり方を変えたりして、現状の誤魔化しが出来てるって感じですね」
「なるほどねぇ。つーことはあの兄ぃちゃんは相変らずって感じか?」
「そうですね。
最初に来た時と比べれば段違いに日本酒に詳しくなったぐらいで、相変らず鋭い指摘をして来ますよ。
こっちとしては有り難い話なんですがね」
「そんだけ世話になってんなら、ちゃんと筋は通してんだろうな?」
「勿論ですよ。身銭を切る事もありますし、可能な限り値引きもさせて貰ってます。
まぁ社長にバレ無い様にするのも大変ですけど、綾さん達にも内々に話は通してるんで、大丈夫だと思います」
「まぁ筋を通してるんなら構わねぇが、大学卒とは言え社会人に成り立ての若けぇ奴が入り浸る店じゃねぇからな。
社長にバレ無い様にだけは気ぃ付けろよ?
話を聞く限り、今兄ぃちゃんに手ぇ引かれたらマジでやべぇぞ?
はっきり言って誤魔化してようが、それなりに舌の肥えた客ならモノと金が吊りあって無ぇ事ぐらい見抜かれちまう。
そうなったらあっと言う間に転がり落ちるだけだぞ?
しかも人件費を下げるって事は職人の給料も下げるって事だろ?そんな有様じゃ仕舞いだな。
ま、俺の話をするには都合が良いっちゃーそうなんだが」
「どういう事です?」
「あぁ、ようやっと俺の店が出せる目処が立った。
さすがに一等地じゃねぇが、それなりの立地でなんとかなりそうだ。
でだ、文。ウチに来ないか?ついでに言うと、将来的に自分で店を持つ気は無ぇか?」
「それはおめでとう御座います!でも俺の店ですか?」
「いや、それは追々の話になる。
とりあえずは、俺とお前、ここの古参連中で来たい奴で最初は始めたいと思って居る。
その後でウチのガキ共を呼び戻すつもりなんだが、文に頼みたいのはガキ共と古参連中への指導だ。
その代わりに、給料の他に経営に関するイロハと開店資金を俺が出す。
まぁ最初の店が軌道に乗ってから“暖簾分け”って形になると思うがな」
「それは願っても無い話です!古参連中も喜びますよ!」
「まぁ近々の話じゃねぇがな。
お前らも・・・今の社長は置いておいて、先代の社長には世話になっただろう。
ちゃんと筋だけは通してきっちり辞められる状況になってからの話だ。
それまではしんどいだろうが、もうちぃっと我慢してくれ。
遅くとも3年以内には呼べる状況に持って行けると思う」
「分かりました。正直な所、俺達もそろそろ限界だったんです。
古参連中にも内々に話しを通しておいて構いませんか?」
「あぁ、構わねぇ。ただしくれぐれも筋だけは通して、きっちり辞めて来いよ?」
「はい。勿論です」
「乗ってくれてありがとよ。とりあえず手付けじゃねぇが、コレをやるよ」
「・・・これって!」
「俺が今働いてる店で、懇意にさせて貰ってる常連さんから特別に貰った酒だ。
巷じゃ“幻の酒”なんて呼ばれてるらしいがな。
あぁ!せっかくだしあの兄ぃちゃんにも1杯飲ませてやってくれや。
俺も1本飲んでみたが、まだ今の俺じゃぁコレに合うもんを作れねぇからな。俺もまだまだってこった。
あの兄ぃちゃんなら何か合うモンを思い付くかも知れねぇからな」
「分かりました。俺らもご相伴に預かってもいいですか?」
「おめーにやった酒だ。あの兄ぃちゃんに1杯飲ませる以外は好きにしな」
・・・約1年後の秋、同じく高級寿司料亭・・・
「いらっしゃいませ。お一人様でしょうか?」
「お?綾ちゃんは居ねぇのかい?」
「綾ちゃんですか?・・・もしかして綾乃さんの事でしょうか?」
「あぁ確かそんな名前だったな」
「でしたら今年の春過ぎにお辞めになられました。
綾乃さんに御用がおありだったのでしょうか?」
「いやそうじゃねぇ、それじゃぁ今の板長って誰がやってる?」
「東野康文ですが?」
「あいつはまだ頑張ってんのか。カウンターに居るかい?」
「はい。ではカウンター席にご案内させて頂いて宜しいでしょうか?」
「おう。頼まぁ」
「おう文!久しぶりだな!」
「親方!」
「姉ぇちゃん、もういいぞ。後はコイツとのんびりやるから、近づかないでくれ」
「はい。承知致しました。ではごゆっくりどうぞ」
「綾ちゃん。辞めちまったんだってな?」
「お子さんがそれぞれ家を出られたそうで、今は旦那さんの店を手伝って居られるそうですよ?」
「へぇ」
「まぁこの店の給料も下がりましたしね。丁度良かったんじゃないですか?」
「マジで人件費に手ぇ付け始めたのか。もう駄目だな」
「ですね。で、久しぶりに親方が来られたという事は、やっとですか?」
「おう。
随分と待たせちまって済まねぇが、来年の4月1日に開店だ。さっき諸々の手続きも全部済ませて来た。
税理士事務所とか始めて行ったわ。毎月結構取られるもんなんだな。まぁ必要経費で処理出来るらしいが。
で、お前らはどうなった?来てくれんのかい?」
「勿論ですよ!俺も古参連中も、親方に声を掛けて頂いてるからこそ続けてましたからね。
でなけりゃとっくに辞めてますよ、こんな店。
社長の肝いりで入ってきた連中なんて、とっくの昔に辞めてますしね」
「カカカ。社長も随分と嫌われたもんだ」
「当然ですね。給料下げといて“もっと金になる料理を出せ”の一点張りですからね。
素材が良いなら職人としての遣り甲斐もあるでしょうが、2流3流の材料使っても限度ってもんがありますから」
「カカカ。まぁ俺も散々苦労したからこそ、あの社長の言い分も分かるがな。
今となっちゃぁ手遅れだろうが、あの社長は職人の話を聞かなさ過ぎなんだよ。
それはそれで“経営者”としては正しい面もあるんだろうけどな。
そういう意味ではあの社長も“1本筋は通ってた”って事なんだろうさ。悪い意味でな。
で、その2流3流の材料使って腕は落ちてねぇだろうな?」
「当然、と言いたい所ですが、一応親方に確かめて貰った方が早いでしょうね。すぐにご用意します」
「ほう。この程度の素材で巧く纏めてんな。そんなに悪かねぇ。
腕としちゃー少しは上がった方か?それなりの材料でこの味を出せる様になってんなら十分じゃねぇか?」
「嬉くないですねぇ。誤魔化し方が巧くなったって言われてる様なもんですからね。
俺としては、ちゃんとした材料で親方に認めて貰いたいですよ」
「カカカ。そりゃーウチんとこに来たら、嫌ってほどやらせてやるよ。
“誤魔化し方”っつーのも、いざって時には必要な事だから、ちゃんと覚えとけ」
「そういう所は、親方も昔と比べれば随分と変わられましたね?」
「まぁな。自分でイチから店を持とうとしたら、綺麗事や職人の意見をそのまま受け入れるだけじゃ駄目だったってのが分かったんだよ。
“損益分岐点”つったか? 昔あの兄ぃちゃんが言ってたが、それが結構重要らしいのよ。
あと経営者やるなら“短期的な目と長期的な目も両方持っといた方が良い”とかも言ってたな。
俺も色々学んでちったぁその辺も判る様になってきたが、やっぱり経営者は専門で雇った方がいいのかも知んねぇな。
俺らみたいな学が無い連中だけで下手などんぶり勘定してる様じゃ、せっかくの店も潰れちまう。
それでだ、文。あの兄ぃちゃんの連絡先を聞いてねぇか?
俺としちゃー職人としての感性も持ってる、あの兄ぃちゃんに経営を任せたいと思ってんだ。
味覚も相変らずなら、俺らにも良い刺激になるだろうしな」
「俺は聞いてないですね。いつもフラッと来てたんで。しかも俺と喋りつつ飲み食いしたら、そまま金払って帰ってましたからね。
その件なんですけど、すみません親方。あの兄ぃちゃんの事が社長にバレちまって、今じゃ出入り禁止になっちまったんですよ」
「あぁ?どういう事だ?」
「さっきの姉ぇちゃんにまで話が行ってなかったらしくて、“この店では珍しい奴が出入りしてる”って社長が聞いたらしくって。
んで先々月、丁度兄ぃちゃんが来てた時に社長と鉢合わせしちまいまして。即社長に叩き出されました」
「あぁ?ちゃんと金払ってる客だろうが。何でそんな事になんだよ?」
「社長の言い分としては、この店には“分不相応”だそうですよ。
俺も必死になって弁解したんですけどね。社長は俺の話なんざ聞いてくれやしねぇし。
今この店が持ってるのって、あの兄ぃちゃんのアドバイスがあってこそなんですけどねぇ。
社長は“素人如きが”って言ってましたけど、俺からしたらどっちが素人か判ったもんじゃないですよ」
「なるほどな。まぁ社長としては、店としての格に拘ったって事なんじゃねぇの?
どう見ても二十歳そこそこの兄ぃちゃんが、それなりの格好をしてたってこの店じゃ浮いちまうからな。
俺ら職人からしてみれば、“その前に拘らなきゃいけねぇ事があるって気付けよ”とは思うがな。
色々相談に乗ってくれた兄ぃちゃんを叩き出しちまった以上、こっちには非しかねぇな。
ちっ。面倒臭ぇ事しやがって・・・。
まぁあの兄ぃちゃんなら俺らが誠心誠意頭下げたら許してくれるだろうがな。
しかし文も連絡先を知らねぇとなると、連絡の付け様が無ぇなぁ」
「前のバイト先から調べられませんかね?俺もちゃんと謝りたいですし」
「そうだな。手間ぁ掛かるが、それしか無ぇかもな。
もしかしたら、綾ちゃんが聞いてるかも知んねぇし、そっちも当たってみっかな。綾ちゃんとは連絡付けられるんだろ?」
「はい。と言うか、旦那さんのお店に直接行った方が早いですね。結構近いですし。良い店ですよ」
「んじゃ、また日を改めて俺が行くわ。後で場所だけ教えといてくれ」
・・・翌年4月1日深夜、とある高級寿司料亭・・・
「おう。皆お疲れさん。疲れてるだろうが、とっとと明日の仕込みを済ませろよ?
んで、時間のある奴は残ってろ。開店初日の大盛況を祝って宴会すんぞ。
接客係の姉ぇちゃん達とも親睦を深めるいい機会だし、出来れば残っててくれや。無理にとは言わねぇがな。
仕込みと片付け済んだ奴は、カウンター席で座って待ってな。俺が持て成してやるよ」
「へい!皆聞いたな?とっとと終わらせんぞ!」
「「「「へい!」」」」
「私達もいいんですか?」
「構わねぇよ。姉ぇちゃんたちもれっきとしたウチの従業員だ。
今後はもっと客から味とかお薦めを聞かれる事もあるだろうし、ウチの味ってのを知っとくいい機会だしな。
板前含めてクソ忙しいのに、皆踏ん張って頑張ってくれたんだ。気兼ねする事ぁ無ぇよ。
売れ残った残りモンになっちまうが、存分に飲み食いしてくれて構わねぇ。本気の“板長”の腕って奴を見せてやるよ」
「「「やった!」」」
「それじゃ皆揃ったみたいなんで、親方。挨拶をお願いします」
「んんっ。え~とにかく皆、本当にお疲れさん。
俺の予想以上に客入りがあって、かなり品切れなんかも出しちまったが、まぁ今は次に生かせればそれでいい。
堅苦しいのは無しだ。皆存分に好きなモン頼んでくれや。つっても、残りモンしか出せねぇがな?」
「「「「「「「「ははは。頂きます!」」」」」」」」
「で、親方。売り上げの方はどうでしたか?」
「目ん玉飛び出るぐれぇの売り上げだ。前の店の4日分ってところか」
「「「「「すげぇ!」」」」」
「あぁ本当にな。しっかしこうやって帳簿見てみっと、あの兄ぃちゃんが言ってた事が良く判らぁ。
あと文にも感謝だな。有難うよ」
「ん?なんです親方?」
「帳簿みりゃ判る。ホレ」
「うわ~すげぇ売り上げっすね。でもなんで俺に感謝なんですか?」
「判んねぇか?食いモン系と飲みモン系の売り上げと、その原価で考えてみな?」
「あぁ!なるほど。・・・そう言われれば、確かに飲み物系って利益率が高いですね。
って事は、あの兄ぃちゃんと連絡取れたんですか?」
「いや、あの兄ぃちゃんには相変らず連絡がついてねぇ。
昔のバイト先に行って、散々頭下げてあいつの履歴書見せて貰って、電話したり家にも行ってみたがな。
両方共駄目だった。綾ちゃんも知らなかったし、これ以上となると本職の“探偵”でも雇わねーと無理かもな。
個人情報だ何だっつって、もう俺らみたいな素人だけじゃ、探し様が無ぇよ。
俺がさっき言ったのは、バイトしてた頃にあの兄ぃちゃんから聞いた話だよ。
何でもその辺の自動販売機とかで売ってる飲み物の原価も、20円やそこららしいぞ?まぁ中身だけの話らしいが。
それと同じで、飲食店で一番利益率が高いのは飲みモン系なんだとよ。
まぁ確かに卸値で買ってきて、ちょいと利益を上乗せして出すだけだからな。手間なんざ全く掛からねぇし。
それでもかなりの数が出る。併せる料理によっちゃー多少高い酒でもバンバン出るしな。
今日の売り上げに関しても、俺や文達が懇意にさせて貰ってた常連さんが来てくれたっつーのも大きいんだろうが、
単純に飲みモンの純利益だけで考えても半端ねぇよ」
「へぇ。その“兄ぃちゃん”って前の店で康文さんと懇意にしてた奴ですか?」
「あぁそうだぞ?俺らが辞めるまであの店が持ってたのも、あの兄ぃちゃんのお陰って言っても良いぐらいなんだ。
でなけりゃどんだけ俺が頑張っても、2流3流の素材で誤魔化しなんて出来るもんじゃないからな。
俺はあの兄ぃちゃんに足向けて寝れねぇよ。俺の酒に関する引き出しが増えたのも、あの兄ぃちゃんのお陰なんだ。
で、親方。あの兄ぃちゃんに経営を任せられないなら、この先どうするんですか?」
「心配すんな。仮に毎日の売り上げが今日の20分の1に落ちたとしても、2~3年は現状維持出来るぐらいは貯めてある。
経営に関しては、俺の長男が修行先の計らいで経営に関してのノウハウも一緒に叩き込んでくれてるらしい。
あいつらは半年後ぐらいに呼び戻す予定になってっから、それまでは俺が一切を取り仕切る事になる。
ま、一応は勉強したからな。赤字経営にはならんだろうよ。
今後は今日みたいに大幅な黒字は出せねぇかも知れねぇが、その辺は文の頑張り次第だな」
「俺のですか?」
「あぁ。酒に関しては俺よりお前の方が兄ぃちゃんと色々試したりしたんだろ?
特に料理と酒の相性なんかに関しては、俺よりもお前の方が上だと思ってる。
だから今後は飲みモン系の在庫管理や発注なんかは、全部お前に丸投げすっから覚悟しとけ。
ついでに下のもんにもその酒に関する知識やらを教えてやってくれ。
それが終わったら、晴れてお前も自分の店持ちだ。金なら全額出してやる。
お前らもきっちり腕上げて、文から酒に関する知識なんかを覚えたら、文と同じく自分の店持たしてやるぞ。
早く自分の店が持ちてぇんなら、死ぬ気で覚えろよ?」
「「「「店って!マジっすか!」」」」
「嘘は言わねぇよ」
・・・約3年後深夜、とある高級寿司料亭・・・
「おう。今日もお疲れさん。とっとと明日の仕込み終わらせんぞ」
「「「「「「「「へい!」」」」」」」
「それと文。後でちぃっと話がある。残っといてくれや」
「へい!」
「おう。お疲れさん」
「お疲れ様です親方。で、話って何ですか?」
「随分と待たせちまったが、ようやっとお前の店を出せる段取りが終わった。
此処と同じく一等地とは言わねぇが、立地もそれなりに悪くねぇ。
経営に関してもウチの長男が信用できるヤツを引っ張って来れるそうだ。そいつを使ってやってくれ。
仕入れなんかも、この店で贔屓にさせて貰ってる所を使って構わねぇ。もう話は通してある」
「っ!親方・・・有難う御座います・・・」
「何も泣くこたぁねぇだろうよ。
おめーも今まで散々俺に尽くしてくれたし、下のモンの面倒も見てくれたんだ。
これぐれぇしねえと、俺の気がすまねぇ。本当に有難うな。
もう暫くは引継ぎやなんかでこの店で働いて貰う事になるだろうが、おめぇの店は自分の好きな様な店にすりゃーいい。
一緒に2人か3人ぐれぇなら、連れてって構わねぇから、そいつらにも話通しとけや。
ただ悪いとは思うんだが、たまにはこっちに顔出して、もうちぃっとだけ下のモンの面倒みてやってくれねぇか?
ウチのガキ共もそろそろ独り立ち出来そうなんだが、まだまだ足りねぇ部分があるしな」
「それぐらいお安い御用です。
ただ、1つだけお願いがあるんですが、いいでしょうか?」
「ん?何でぇ?」
「俺の店なら、此処みたいな高級店じゃなくて、低価格路線でやって行きたいと思ってるんです。
あの兄ぃちゃんみたいな奴でも、気軽に入れて問題の無い店にしたいと思ってます」
「あぁ。なるほどな。
あの兄ぃちゃんには俺らはデカイ借りがある。恩と言ってもいい。
直接その恩を返す訳じゃねぇが、“筋”としちゃー悪くねぇ。そういう事なら俺も賛成だ。
ただし、おめーを贔屓にしてくれてる常連さん達には、ちゃんと話を通しとけよ?」
「勿論です」
「なら俺から言う事ぁ無ぇや。むしろ其処まで気が回らなくて悪かったな。
お前の店だ。好きな様にしてくれて構わねぇつったが、そういう事なら俺が出来る事なら何でも言え。協力すっから。
一応“暖簾分け”っつーか“姉妹店”って形にするから、赤字でも構わねぇ。その分俺らが踏ん張って補填してやるよ」
「親方・・・有難うございます」
・・・数十年後、とある邸宅の一室・・・
ちっ。耳元でぎゃーぎゃーうるせぇなぁ・・・。
もういいだろ?俺もちったぁ休ませてくれや。
そろそろかな・・・んじゃま・・・皆・・・達者でな・・・。
『おや?これはまた珍しい魂だね・・・そうか。彼の関係者か。
ん~。新しい世界を統治して貰おうかと思ったけど、彼の所に送った方が面白いかな?』
何か目の前に光る人みてのがある。何だコイツ?んで、此処は何処だ?
『ん~そうだねぇ。此処は魂の通り道ってところかな?』
「アンタ何もんだい?」
『まぁただの神の1柱だと思ってくれればいいよ』
「するってぇと、アンタは神様で、俺を天国だか地獄だかに連れてってくれんのかい?」
『どっちでもないかな?
“輪廻転生の輪”に入って、魂が浄化されたらまた何処かで生まれ変わるだけだしね』
「そうかい。ま、アンタに全部任せるさ。俺にはよく分かんねぇしな」
『そっか。それじゃぁ彼の所に送る魂として予約しとくね』
「あ!すまねぇが、1つだけ頼み事を聞いちゃぁくれねぇかな?」
『ん?まぁ聞くだけでもいいなら話してみてよ』
「あぁ。駄目なら駄目で仕方ねぇが、もし出来るんなら、俺のカミさんとまた出会える様にしてくんねぇか?
あいつにゃ散々苦労の掛け通しだったからな。来世ってヤツがあるなら、今度は楽させてやりてぇんだ」
『へぇ。悪くないね。ただしちゃんと巡り合えるかどうかは判らないけど構わないかな?
“巡り合う可能性がある”って程度でいいなら叶えてあげる。本当に巡り合えるかどうかは、キミと奥方次第になるけどね。
後、今までの記憶も全て無くなっちゃうから、意味があるかどうかは判らないよ?』
「それで構わねぇ。カミさんが俺に愛想尽かしてたんなら、それはそれだしな。
記憶があろうが無かろうが、俺がカミさんに感謝してるっつーのは本当だし、来世ってヤツがあるなら何とかなんだろ。
無理言って済まねぇな。俺の頼みを聞いてくれて有難うよ」
『ん~せっかくだし、キミの奥方以外にも幾つか彼と関わりのある魂を予約しとくかな。そっちの方が面白そうだし』
「よく判らねぇが、神様ってのは“面白そう”で物事を決めちまうもんなのかい?
俺としちゃぁ頼みを聞いてくれるだけでも有難い話なんだがな」
『全ての神がそうだとは言わないけどね』
「そうかい。まぁ何でもいいや」
『ははは。
まぁ彼の世界もまだ時間が掛かるだろうし、“輪廻転生の輪”の中でゆっくりしててよ。ちゃんと約束は守るからさ』
「あいよ。んじゃ済まねぇが、もう一眠りさせて貰うとすっかな」
『会うかどうかは判らないけど、また来世でね。ちゃんと奥方と会える事を祈ってるよ』
「カカカ。神様に祈って貰えるんなら何とかなんじゃねぇの?改めて礼を言っとくよ。有難うな」
『ははは。それじゃぁね』
「おう。じゃぁカミさんの事とか、宜しく頼まぁ」