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異世界からの恋

異世界で彼女といい感じだったのに、日本に戻ったら実は教え子だった件

作者: 葉室 笑

 夜空に、蒼の月が上っていた。

 この世界の守り神とされる、双子月の片割れだ。もう片方の月はまだ、地平の下に眠っている。


 野営地は完全には眠っておらず、あちこちに見張りが立ち、かがり火がたかれている。

 その片隅の、光の届かない場所で、彼女は月を見上げてたままの姿勢で、立ち尽くしていた。


『レイナ』

『シーヴァ?』 

『眠れないのか?』

『……そうじゃないわ。ちょっと、目が覚めてしまっただけよ』

『そうか?』

『……』

『昼間のことを、考えているのか?』

『違……っ。ただ……』

『……ただ?』

『早く、終わるといいなと思って』

『そうだな』

『……早く、帰りた……っ』

 俺はただ黙って、彼女の肩を抱いていた。


 ”翠波の魔女”の異名をとる彼女は、すでに戦局を左右する存在となっていた。

 それを考えると、体力温存のために早く休むように言うべきだったかもしれない。だが。


 はじめて彼女に会ったのは、三年と数か月前。

 薬師のじいさんの、三番目の妻の二番目の娘の孫だという彼女は、じいさんとは全く似ていなかった。

 そもそも、三番目の妻の子供のうち、上の二人は前の連れ合いとの子供だそうだから、似ているはずもなかったのだが。

 すでに成人しているらしい彼女は、薬師の修行に来たというには、少し遅いような気もしたが。じいさんがこっそり話したところによると、実はじいさんの体が効かなくなる前に田舎で一緒に暮らすよう、家族に頼まれて説得に来ていたらしい。


 そうして、ほんの一時のつもりで都市に来たらしい彼女が、炎獄の魔女に見込まれて、魔女として修行することになり。やがてこうして、戦列に加わることになった。

 今日が初陣の彼女は、敵の魔術師の守護を崩し、敵船を海に沈めてみせた。

 海に投げ出され、捕虜になった者もいれば、そのまま船もろとも沈んだ者もいる。勝どきを上げる味方の側に垣間見えた彼女の顔は、青ざめていたように思う。


 帰りたい、とつぶやいたのは。都市で待つじいさんの元にか。それとも、育ったという田舎の村にだったのかーー。


      *     *     *     *     *


「どっちでもないよな。日本に、に決まっているよな」

 ため息とともに、起き上がる。あー、夢見が悪かった。

 今更、あの世界の夢なんか見てしまうとは。


 肩を抱いたときの柔らかな手ごたえだの、髪の匂いだの、今思い出したってツラいばかりなんだが。


 二か月ほど前のことだ。

 恥ずかしながら、異世界トリップというものを経験してしまった。

 特に誰に呼ばれるでもないのに、異なる世界へと勝手に落ちてしまった俺は、すっかりくたびれたオヤジになり果てながら、七年半をもそこで過ごした。

 帰る方法があるというのは、わりと早いうちに知っていた。そのためにかかる費用も、せっせっと稼ぎ出す予定だった。

 日々の生活に追われながらも、帰りたいという気持ちは失っていないつもりだったが。

 それがいつしか、ここに骨をうずめてもいいかと思うようになっていたのは、彼女の存在が大きかったのだと思う。

 それが。まさか。


「あっちも落ち人で、しかも高校の教え子だったとはなぁ……」

 思わず、遠い目になっていた。


      *     *     *     *     *


「椎葉センセ、おはよー」

「おはよう、水野。朝メシ食ったか?」

「もー。最近いつも食べて来てるってば。センセ、そればっかじゃん」

「そうだ。大事なことだからな」

「そおかなぁ?」

「なんだ、その疑惑の声は。お、前畑。おはよう」

「先生、おはよッス。課題のプリント、忘れたッス」

「はぁ。まったく悪びれずに言うなあ。正直に申告するのはいいことだが。次回から、気を付けろよ?」

「うぃーっす」


 日本に戻ってきて、一番困ったのは、七年半というブランクだった。

 落ちた日の落ちた時間に戻してもらい、体も落ちた時の状態に戻してもらってはいたが。

 頭の中だけはそうもいかず。教材学習も授業の準備も、新しく受け持つクラスの情報も、すっかりクリアされてしまっていた。


 なんてこったい。と、天を仰いだ日もあったが。それでも、何とか乗り切ってきた、と思う。が。

 いろいろと、自分的な危機は続いているように思う。

 何と言っても、担任を受け持つクラスの生徒なわけだし。彼女レイナが。


 教室の扉を開けると、入り口の一番近くに彼女が座っていたりする。思わずそちらにふらふらーっと視線が行きそうになるのを、とりあえず、ぐっと抑える。

「おーい、静かに! 出席とるぞー。阿比留アビル

「はい」

「大崎」

「はーい」

「金子」

「はいぃ」

「おー、来たか。どうだ、風邪の具合は」

「まだまだ悪いでーす。後は、みんなにうつして治しまーす」

「……止めとけ。次、木下……は、欠席だったな」


 出席をとるのは、点呼の意味もあるが、全員の顔色を確認するためでもある。

 変わった様子はないか。具合が悪そうな生徒はいないか。悩んでいるような気配はないか、などなど。

 そこで、彼女に一人に気を取られていたのでは、仕事にならないのである。--が、気になる。  


 もしもーーと、時々考えたりする。

 もしも、二人してまだあの世界にいたとしたら。ずっと寄り添ったままでいられる未来もあったかもしれない、などと。

 だが。しかし。



『こうなってよかったのではないでしょうか。結果的には』

『何を……っ』

『守るべきものを守れなかった後悔など、貴方はしなくてすみそうですから』

 レイナがあちらの世界から元の世界に戻ったと告げられたとき、併せて言われた言葉だ。

 叡智の塔の長にして、界渡りの魔術師、イリヤ・シン=リィ。彼は静かな目で、こう問うた。

『”翠波の魔女”である彼女がこちらに残ったとして。あなたは、権力という名の理不尽なものから、彼女を守りきれたと、そう思いますか?』


 ーー俺には、答えられなかった。


 その時になって俺はやっと、以前レイナが炎獄の魔女について学びだした頃に、薬師のじいさんから聞いた話を思い出していた。

 当代の炎獄の魔女の曾祖母にあたる、初代の炎獄の魔女は、落ち人だったという。

 半ば強制的に国に召し抱えられ、力を利用され続け。元いた世界にはとうとう帰れなかった。それが、当時の界渡りの魔術師にとっては、消えない痛みで。その頃は、ただの世間知らずの学者と術者の縄張りというだけだった”塔”が、あの世界の中で急速に影響力を増していく発端となった事件。

 ああ、そうか。だから、レイナが落ち人だということは、誰にも知られてはならなかったんだ。

 今の”叡智の塔”自体が、権力の介入を受け付けないようになっていたというだけでなく。

 彼女の素性は隠されていたから。だから、力のある魔女なのに、ノーマークで元の世界に戻れた。

 そんなことすら思い至らなかったなんて。


 それは、俺が人間としての浅さを思い知らされた瞬間だった。


      *     *     *     *     *


 --そうだよな。俺は小っちぇえよな。

 中味は、くたびれたオヤジだし。人としての伸びしろも小さいし。


 だから。

 これから育っていくであろう教え子の相手には、もっと。若くて、ずっと伸びしろのある相手の方が、きっと。

 彼女のためを思うのなら。


 こんなふうに思うのも、昨日、あんな光景を目撃してしまったからだろうか。


『シーヴァは……、その、椎葉先生は気付いているんでしょうか?』

『さあ、どうかな。僕からは何とも』

 やけに真剣な表情のレイナに答えたのは、うちの三年生では断トツのホープと言っていいヤツだった。

 入谷慎理。一年生から生徒会入りし、現在は会長として無難に勤めている。全国模試で一桁に入るというだけでなく。一年の時に副担任を務めた俺の見たところでは、人柄も折り紙付きで、何か風格すら漂っていた。

 中学からの申し送りでは、”気難しくて扱いにくい”とされていたが、そんな気配はかけらもなかった。同じ中学から来た生徒の話では、高校入学前の春休み中に何かあったのか、まるで別人のように、できた人間になっていたということだったのだがーー。

 裏庭の、初代理事長の銅像の後ろという、やけに人目に付きづらいところで話し込む二人を見かけてしまったのは、ほんの偶然だったのだが。

 出身中学も、部活動も委員会も違う、あまり接点のなさそうな二人が、やけに慣れた様子で話している姿に、胸が妙に騒いだ。

『先生には、言わないつもりですか?』

『うーん、隠すつもりも無いんだけどね。まあ、今更だし?』

『そう、ですか?』

『まあ、今のところ内緒にしておいてよ。僕と君との秘密ということで』

 冗談めかした口調に、レイナがくすっと笑う。

 --これ以上は盗み聞きになりそうで、そっとその場を離れた。


 どうしてそんなに親しげなんだ、などと問いただせる立場にないことはわかっていた。

 教師と生徒という間柄では、個人的に近づくことも、口説くこともできるわけもなく。これから先、いろいろと悩み成長していく彼女に、少なくとも今後三年間は、担任としてしか向き合えないこともわかっている。

 それでも異世界での生活という、他の誰にも話せないであろう過去を共有している分、俺はまだまだ余裕があるつもりでいたのかもしれない。

 しかし、もし相手が入谷だとなると……。


 こちらの時間で二年前、入谷に初めて会った時。その目を見て。

 柄にもなく、”叡智の光”というのはこういうものかもしれない、などと思ったものだった。それくらい、器が違うというかーー。

 中学の時の担任にたまたま聞かされた、”大人を小ばかにした表情”など、かけらもなかった。それどころかーー。


 ん? ちょっと待て。

 なんか今、ひっかかったぞ。


 二年前、初めて入谷に会った時、どこか懐かしげな目をしていたのを思い出す。俺の方は特に見覚えがないので、気のせいかとスルーしていたんだが。

 今になってみると。あの表情、あの声、口調。どこかで、何かの見覚えが……?

 ”叡智の光”、ってーー。”叡智の塔”の長につけられた二つ名だったよな、確か。


 ごく短い間に、別人のように変わったという噂。子供とは思えない人格的な深み。

 確か、あいつに対して、”シーヴァ”と。レイナは俺のことを言いかけなかったか?


 俺とレイナをこの世界に戻してくれた、界渡りの魔術師、イリヤ・シン=リィ。

 そして、我が校のホープにして生徒会長の、入谷イリヤ慎理シンリ

 あの魔術師は、確かに俺より年上だった。が、界渡りに際して、体の時間は元に戻せる。


 ーーだからして。もしか、して? 

 あれ? あれ? あれぇぇぇええっ?



 異世界の記憶を共有しているという、彼女に関する数少ない優位点さえも疑わしくなりつつある、今日この頃。

 三年は長い、長すぎる! と。見えない明日が、いっそう見えづらくなっていると、強く感じる日々なのであった。



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― 新着の感想 ―
[一言] がんばれ。マジ頑張れ。一応目はある。 少なくとも普通の女子高生に恋するのと違って二択で済んでいる。
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