悪役令嬢と呼ばれた少女の物語
胸襟が開かれた。
白い膨らみ 先の桃 そばほくろにがさつきが触れて。
『フレデリック様』
王家の血を残すは義務であり勤め。
彼を好きになることが世のため人のため。
国母となるべくあらゆる教育を受け自ら大いに学んだ。
彼女の暗い瞳にうつる横臥してなお豊かな双峰の根元、ほのかに男の唾液の臭い。
男に優しい笑みを浮かべ喜び恥じらう。
教えられたままに。
『フレデリック様』
その男はがさついた唇を離した。
胸毛が股間にまで伸びている。
腹は大きく剛毛と相まって男の証がほとんど見えないのが彼女には嬉しい。
「……フレデリカ様?」
「フレッド様。あなた様はわたくしに敬語をお使いにならないのです。あなた様はわたくしの夫なのでございます」
この国では上位のものには命令形の言葉を使ってはならない。
彼女は慣例に従い、国母となり王を夢中にさせるべく学んだ房中術を夫となった男に尽くすべく使っていた。満面の笑みを浮かべ彼を迎え入れるはずだった。
未だ消えぬ想いを心に封じて似ても似つかぬ相手を悦ばせ尽くすために。それが民のためになるならば。
捧げましょう。
女の初めてさえも使いつくしましょう。
「フレデリカ様はその魅力的な双峰を隠さなくてはなりません」
あえて敬語を避け単に事実だと告げるように醜い禿頭の男は放つ。
「わたしはほかに愛する男がいる女性を抱きません」
そういって彼は唇をはなしいそいそと衣をまとう。
事態を把握しきれず彼自身に指を伸ばす。
「フレドさまはわたくしに不思議なことをおっしゃらないのです」
満面の笑みで男を口に含む。
嫌悪感などありはしない。それが当然のように尽くさんとする。
しかし男はそれを固辞した。
「あなたの瞳に私は映っていません」
「不思議なことをフレッド様は仰らないのです。私は貴方の妻。あなたと共にいることこそ喜び」
フレッドと呼ばれた醜い中年男はすっとその節くれ歪んだ指先を無礼が無いように丸め、彼女の瞳の下にそっとさす。
少し濡れていた。
満面の笑みを浮かべ国母となるべく育てられた公爵令嬢フレデリカは自分の瞳からこぼれるそれを抑えることができない。
フレッドの瞳は他の貴族が噂するように欲ボケでも知性のない田舎者などではなくまるで傷ついた子供を保護する大人のような。
二度三度と瞬いてしまったのか。彼女の瞳の前は暗くなる。運命が狂った日に心が戻ってしまう。
『フレドリナ様はフレデリック様にお近づきにならないのです』
『フレデリカよ。私の意思と君の考える我が想いは別のようだな』
王立学園では広く優秀なものを集める。
多少礼儀を知らずとも優秀ならば門が開く。
彼女が勉学や帝王学に優れるように彼女の婚約者は王太子でありながら剣に優れ、婚約者の妹は軍政に優れる。
修辞学に優れる司教の子、人望厚い騎士。
魔術に優れた賢者が孫、王国経済を握る大商人の子息。
彼女の味方であった人々は今や神聖魔術に長けた平民の娘に懸想し婚約者までもが覚えのない罪で彼女を非難する。
公爵令嬢フレデリカは他の貴族の娘たちを操り聖女候補である少女をいじめたなどとの世迷言を放つ。
それだけならばわかる。
公爵家に忖度するものは多い。身分制度を否定する聖女教団の教えは王国のそれと合致しない。
しかしそれを真に受け婚約を破棄し、自らが利益を受ける立場でありながら貴族制度を否定しつつ受益は享受し、己の欲望や恋心を優先した挙句国政を揺るがさんとする次代を担う男たちの無能さは。
「取り巻きの方々にはずいぶんいじめられました」
「取り巻き……わたしの友人に無礼です。謝罪しなさい」
フレデリカは慈悲深い娘だった。
だから間違いは糺す。そして糾弾はせず是正を求める。身分制度は守る。故に人に強制できないがこと友人を侮辱されることには敏感であった。
夫となる男には愛人を持つなとまでは言わない。しかし神聖魔術には恋の魔法でも含まれていたのか。
何故『全ての人に愛されたい』と本気で口にする女に懸想し挙句王太子の座を揺らすのか。
「フレデリカ様って敬語話せないのかしら」
「身分の低いものには話せません。フレドリナ様は聖女ではありますがあくまで平民でしょう」
たしかに平民の彼女にこの国における慣習法を教え言葉使いなどをただしたこともある。
しかし身分をなくしたい聖女教団には未来の国母フレデリカはお気に召さなかったようだ。
国母となるべく育った彼女はこの後婚約破棄され、醜い年寄り色ボケ辺境伯フレッドの妻として封じられた。
今まで友と信じた者たちに遠巻きに接され。
男女の差を乗り越え未来の国を語り合った者たちは今や国ではなく一人の愛らしい女性しか見ていない。
いつのまにそうなったのか。
フレドリナは男たちに傅かれ城で贅沢三昧と聞く。
それでもいい。
自分の見る目のなさが招いたことならば。
辺境伯婦人は国防を担う重要な役職。
院に放り込まれて人知れず殺されるよりは民に尽くしましょう。
「……あなたのその瞳に、全てに裏切られてもなお揺れない瞳にあの日たまたま学院を視察していた私は感銘を受けたのです。そして我が領のものがフレデリカ様に働いた無礼の数々を知りました。私は恥ずかしくも貴方を守りたいと感じました」
実の父ですら彼女を守り切れなかった。
容姿に恵まれず、言葉下手で田舎貴族と揶揄される武人はそれでも彼女を守ろうと誓った。
まるで父親のごとく。
そして母のごとく。
未来の民を、国境線を守る領主として。
フレッドは少女の気高さに感銘した事、彼女が妻として己に仕えてくれるならどれ程幸せだろうと年甲斐もなく懸想してしまったことを素直にフレデリカに詫びた。
「違うのです。私がときめいたのは民をダシに誇りを捨ててしまう女ではない。その魅力的な身体に懸想し許されないことを何度もひとり行った無礼を今若いあなたに詫びます。許してくれとは申しません」
でも、あなたじゃない。
今のあなたは私が守りたいと感じた娘ではない。
フレッドはただ彼女の瞳から漏れ出ずる星を指で拭う。不気味なガマガエル顔が歪む。おそらく微笑んだのであろう。
「フレデリカ様のご学友、お母さまですが」
フレッドは告げた。
「このような手紙をたくさん。あるいは直接手渡されました」
フレデリカは息を呑む。
揺れて歪んで鼻水の臭いで潰れた眼で読む。
『あの子を守ってほしい』『私の大切な友をあなたのような汚らわしい男に汚させるわけにはいけません。私を妻に娶りなさい。私が友の人生を買います。あの子には国母としての使命があるのです』『汚い豚め。我が未来の国母を返せ。できないならば私を殺せ。汚せ。欲ボケの爺に私のような高貴な美女に触れる事は出来なかったろう。貴方は身分を知るべきである』
肩を震わせ、友の代わりに謝意を示す。
辺境伯は独自権限すら持つ重要な役職だ。
例え彼の身分が低くとも友である彼女らやその実家に不利益があってはならない。
「ちがいます。違うのですフレデリカ」
フレッドは優しくシーツを彼女の頭と肩にかける。
「あなたを人は悪と呼ぶそうです」
「自覚はしています。私は国を乱しました。結果論として私は国と聖女教団との関係を揺るがしました」
フレッドは更に首を振る。
どうにもフレデリカは己の美貌に無自覚が過ぎるようだ。自制せねば彼は彼女をそれこそ意のままにしただろう。
それはできない。
公爵が彼の肩を握ってくれた。
公爵夫人が泣いて彼に託してくれた。
娘を守ってほしいと。
今は王都でしか娘を守れないと。
彼は腕利きの騎士を、『夢を追う者』(※冒険者)を雇い暗殺に備えた。万全の態勢で彼女を迎えた。
もし、もしかしたら彼女が彼をよく思ってくれるかもという期待がなかったわけではない。
だが、彼が欲しかったのは泣きじゃくる子供ではない。
民のため、友のため毅然と悪になる。涙の替わりに微笑んでみせる。強く優しく美しい一人の令嬢なのだ。
公爵令嬢フレデリカは国母となるべく育てられた。
公爵令嬢フレデリカが国母となることを民は望んだ。
「美しい泉が壊れてしまいます。上を見てください」
涙溢れ今は尽きることなくても。
「今は夜でも。……いつか虹の橋があなたにも見えることでしょう。いえ、見せてみせます」
そしてフレッド自身が望んだ。
彼女が国母として立つ日を。
彼女の瞳は正しくフレッドを映した。
涙がたとえ邪魔をしても見なければならぬものがある。やらねばならぬことがある。
「フレッド様。民のためになることならばわたくし、悪魔にもなりましょう」
フレッドは父のように彼女の肩を支えた。
母のように彼女の背を押した。
闇が明けていく。
肌を切る夜霧の香りはパンの香りに変化していく。
青い山。黒い岩々。朝から精を出す農民たち。
国境を守る辺境伯領が広がっていく。
たまらず微笑み、互いに巫山戯あう。
二人は壇上から民に手を振る。
民たちは恐れおののき、膝をつこうとするのを二人は笑って抑え、作業を促す。
フレッドがフレデリカの目脂を拭い、恥ずかしさにフレデリカはフレッドの腰を軽くはたいた。
「泣き過ぎましたな」
「失礼なことを! わたくしはまだはじめてをあなたに」
夫婦は肩を抱き合い、秋に見えるはずの黄金の稲穂を夢想し民に届くほどにはしたなく大笑いした。
かつて悪と呼ばれた少女がいた。
彼女は国内外に浮名を流したが夫にも肌を許さずその美貌と英知を駆使し辺境伯の妻という立場でありながら国防を担い実質国を治めた。
王太子は継承権を排され、女王が国を継いだ。
一時期権勢を誇り身分制を廃止させかけた聖女教団は本来の役目に立ち返り地方で貧民を救う活動を続けている。
驕らず媚びず。美しく。
ただ民の為友のため誇りを捨てず。
国人は誇りを持って彼女を『処女王』と呼んだ。
「なろうラジオ大賞」投稿作に対して真面目に書いてほしいとお叱りを受けましたので文字制限ある話から戻した(´・ω・`)




