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黒い抱擁(BL注意) ※ガチBLです

 軽く走ったつもりなのだけどな。

 ぼくは思わず愚痴をこぼしかけた。最近運動不足気味。腕や脚は言うに及ばず、お腹周りが少し柔らかくなってきた。


 どきどきする胸を押さえ、呼吸を整えて陸橋をわたる。足元がふらふらするのはここ最近の激務の所為だろうか。

 激務などと言っていては先輩方に笑われるのだろうけど週100時間超えの残業とノルマに追われる日々。学生時代はのんびり読書して過ごしていただけのぼくにはキツイ日々だった。


 彼女? 察してくれよ。とほほ。


 じりじりと焼ける空梅雨の太陽光線。

 西日の刃がぼくのうなじを舐め上げる。

 久々の完全な休日にぼくが向かうお店はこの先にある。

 安らぎが欲しい。のんびりと。優しい気持ちに戻りたい。


 そう思うも職場はノルマノルマの日々。女性のやさしさなんてあるはずがない。


 ある日のことだった。新聞広告にあった男性用下着専門店。そのチラシの端にこうあった。

「メンズブラの受注、オーダーメイドも承ります」



 ばかな。

 一瞬浮かべた妄想に苦笑いする。

 それでも。モデルの青年が若々しく優しい表情をうかべながらそれを身に纏い、女性店員が親しげに対応している写真はぼくの記憶に焼き付いて離れないものだった。



 すっと脇の下から手が伸びる。白く冷たいメジャーが僕の胸にかかり、彼のかすかな息がうなじにあたった気がした。

「採寸を行いますのでなるべく動かないでくださいね」事前の説明を受けたことを思い出す。


 小さいけど花や観葉植物で飾られたお洒落なビルの三階。マジックミラーで外の様子が良く解る明るい店内。ぼくはその中の採寸室で彼と二人っきりでいる。

「本日の女性スタッフは不在なのです」

 職人を名乗る彼は意外と若い。


 歳のほどは四〇代に満たないのではないだろうか。きりっとした眉に短めのブラウンに染めた髪。柔らかな瞳に大きな唇。程よく整えられた無精ひげ風のひげ。何より大きく開いたクールビススタイルは細身ながら筋肉質のたくましい胸が覗いている。ああ。ちょっと体鍛えないとなぁ。

 採寸室は少し蒸す。

 節電の為最近はどこもそんな感じだ。



 すっと彼の手が僕のネクタイに伸び、ぼくの首から衣擦れの音と共に首の束縛が解き放たれる。

 あ。自分で脱ぎます。

 そう言いかけた時には彼の長い指先はぼくのワイシャツのボタンにかかっていた。

 慌てて自分で脱ごうとする僕の手の下でまた衣擦れの音と共に僕のベルトが外された。


 甘いローズの香りがする。

 ひんやりとしたメジャーが僕の肌をゆっくりと包んでいく。

 瞳を眼下に向けると、足元には勤務中のサラリーマンや主婦、テスト帰りの女学生が忙しく動いている。

 たくさんの人のいる街並みの中、ぼく等はたったふたりで彼らを見下ろしている。


 筋肉質だが無駄のない彼の腕。二の腕まで巻き上げられていて、胸元同様やや毛深い。

 その先端である指先は意外と細くて繊細で、ぼくの身体をなぞっていく。

 あっという間に服をすべてはぎ取られたぼくは彼の成すままに採寸されていく。

 大きな鏡の前でぼくと彼だけが蠢く。鏡に映る白い店内の装飾が上質のシーツのようだ。ビロードの手触りをもって彼の指先が僕をなぞっていく。まるで包み込んでいくように。

 彼の匂いを感じ、彼の指先が身体をなぞっていく。冷たいメジャーが僕を晒す。



 甘いしびれが僕の一点から身体を包んでいく。

 もっと包んでほしい。もっと柔らかく。唇からため息の味が漏れる。

 瞳の下には何もしらない人々が行きかう姿。マジックミラーに包まれたぼくは彼を求め、彼もまたぼくに応じてくれる。

 ぼくは貪るように彼を求め、彼もまた包み込むように僕を癒してくれる。

 けだもののような彼を組み伏せ、ぼくは彼を求める。

「いけないひとだ。もっとお仕置きしてあげないとね」

 もっと。もっと包んで。

 やがて痺れは遠い安らぎに代わり、ぼくは甘い陶酔の中店を後にした。

 ふらふらとふらつく足元。女学生とぶつかり、冷たいアイスがズボンを濡らした。

 甘い冷たいべたつきがぼくの内腿を伝い落ちる中、ぼくはぼんやりと彼女と別れて家路についた。


 衣擦れの音と共に僕はその黒い布を胸に巻いていく。

 固いワイヤーの仕込まれた優しい感触に肩を預け、背中をゆだねて胸を晒す。

 これからの激務を想い、ため息をつくも暖かく包む感触に自然と笑みが零れ落ちる。


 ほのかにうずく身体を押さえ、ぼくは自室を出た。

 次の休日もあのお店に行かねばならない。

 常に身体を苛み、心を満たすこの甘く黒い抱擁からは逃れられそうもない。

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