一人酒
しんしんとかしぃしいとか。カエルだか蟲の声か解らぬ音に柔らかな風が俺の頬を撫でる。
秋だな。夏場の熱さを思わせる昼間の光を感じて恨めし気に空を仰ぐように、秋空に目をやれば視界の端にはキラキラ輝くオリオン座の三連星が見える。
足元に気配を感じて視線を落とせばいつもの路地裏に集う黒くてもふもふした猫二匹。今日は焼き鳥なんて無いよ。ごめんな。
水やりを忘れた植木は俺に抗議している。しかし俺にはそれを知る感性はない。据えた臭いのゴミを片付けて、昼間うっちゃらかしていた食器とシンクを洗う。
風呂場の沸き加減を示すランプを見ればまだ真水。
発泡酒の蓋を割り喉にシュワシュワした泡を落とし込めば胃腸がきりきりすると共に身体に酒気が沁み渡る。酒なんて最初の一口だけが旨いのさ。
つまみはない。要らないだろう。旨いものなんかで楽しめるほど若くない。
肴は真っ暗なキッチンを照らすシンク周りの蛍光灯だけ。闇が俺の身体から力をぬいていってくれる。
変に電気をつけてもゴキブリが見えたりして。ここのところ蟲とすらご無沙汰だけどな。出たり入ったりなんて女房のなかだけでってやかましいわ。
しゅわしゅわと喉を焼く冷たい感触。怠惰に想いを天井の虚無へ。初恋の娘がどうしているか。驚くほど関心がわかない。そもそも学校主催の同窓会に期待しないほうがいい。三か月遅れで渡された明細と共にそれを生ごみに。
やりたいことは大方終わったと思う。
欲しいものも買った。女の事も満足だ。子供や女房がいないのはラクだ。両親を看取れば自分のことしか考えなくていい。逆を言うとやりつくした虚無を抱えて怠惰に寝起きして会社に向かうだけだ。結局なにも食いたくなくなっても腹は減る。
何処かで救急車が走っているらしい。お疲れ様。
湯沸かし器から白湯をコップに注いで口に含む。
乾いた唇が震えて舌で歯の上を舐め、口蓋が暖かいお湯を吸っていく。
喉がなって胃液が驚いて、老いた肝臓に染みわたっていくお湯を感じて肩の筋肉や脚や腰が震えるのを楽しむ。
寝るか。
汗でべたつくシャツにセスキ炭酸ソーダをかけて洗濯機に。
洗濯が終わるまで長風呂。外はすこし明るくなって早くも新聞屋のバイクの音。夢も見ずに俺は仕事の時間までベッドで暇つぶし。
ニンゲン一人の望みって案外小さいもの。これはこれでいい生活。