帽振れ
埃と共に火花が散る。鼓膜を震わせるために。
これは味方が盾に槍を叩きつけるやかましい音だ。
雲間から飛龍が優雅に飛ぶのが見える。魔力が篭ったその翼は空気を震わせ、物理法則を書き換えて翼の主を遥かな空に運んでいく。
誰かが朗々と凱歌を歌い、我々を送り出してくれる。次々と軍船に乗り込む我々に魔族式敬礼を見せる戦士たち。女や子供の姿まで見える。
甲板に上がる前に何度か地面を踏む。私が『人間であった』頃から三百年はやっている癖だ。私としては二度と踏むことのない地上を惜しみ、最後の別れを告げる覚悟の儀式である。
部下が苦笑い。
「子供みたいです」
「煩い」
この『若い』部下はいつもこんな感じである。
「見てください」
彼が頬の無い顔で『微笑む』。見目麗しい女性が大きく手を振っている。その脇には彼女の娘と思しき幼さ残る若い娘と少年。少年は自らの上着を脱いで旗代わりに必死に振り、若い娘は鼻を赤らめ髪を振り乱し涙を流して何かを叫んでいる。
「見送られる人は幸せですよね。私たちにはいません」我々の身内はとっくの昔に寿命でくたばったからな。
感極まった夫人は崩れ落ち、二人の子供たちに支えられている。
「羨ましい」
「誰の見送りだよ」
部下たちが野暮なことを言う。
ガタガタ。カタカタ。唇も舌も無い彼らのざわめきは潮風と共に。
「お前たちの見送りだ」
私は告げる。
「いや、お言葉ながら私どもの身内は」
寿命で身内は死んだ。人間は何百年も生きられない。それは解る。
「誰の為でも良いだろう。あれは貴君たちの妻であり娘にして息子だ。魔王様の御子たちだ。彼女らは今から戦場に赴く貴君たちの為に見送りに来てくれたのだ」
カタカタとざわめく部下たち。埠頭で泣き崩れ落ちる女性は遠くなって。
「臭い台詞ですね。ゾンビマスター様」
「私はゾンビだ。最初から臭い」
いい加減自分では慣れたが副官には何時も嫌味を言われる。
「人間が人間で有り続けるためには。
良心を保ち、不撓不屈の意志で戦い続けるためには死より失うことの恐ろしい『護るべきもの』が必要なのだ。死より恐ろしいモノがあるがゆえに人は勇気を得る。優しさを。強さを持とうとする。魔族であってもそれは変わらぬ」
「熱い。暑いですね。溶けますよ」
だから私はゾンビだ。最初から溶けている。
「甘いですよ。戦陣訓など尻を拭く役にも立ちません。戦場に人間性など不要です。女がいれば犯す。財宝が有れば奪う。『食料』があれば殺して食う。それが人間という生き物の真理です」
「その身体でか」
私があざ笑うと彼は骨だけの頬をカタカタと動かして笑う。
「無理ですけどね」
「違いない」
二人、ただ笑う。
裏切られたり裏切ったり。人間には思うことが多い。故に思う。あの弱さ故の強さを。その恐ろしさを。その素晴らしさを。そしてその人間こそが我らの敵なのだと。
身軽な骸骨兵がマストに登り、帆を広げていく。
私たちには意識があるが、他のものの多くは魔力や怨念で動いているだけの存在だ。
我らに正当な意味での意志や意識、人間性があるかどうかは彼らを『能力』で操る私ですら少し解りかねる。帆は大きく広がり、『魔将シルフィード』の大風を受けて進む。
戯れに問う。
「では、貴君は何をして戦う。何を信念とする」
「あなたです」
骨の戦士は告げる。
「アナタを守るため。あなたと共に生きるために戦います。アナタが倒されれば復讐の為に敵を殺し、犯し、奪います。幾らでも」
愚かだな。戦場を生きるものはいつ滅ぶか解らんぞ。
「ならば意志を継ぎましょう。私が滅んでも誰かがその意思を継ぎます」
そういう台詞は生きているうちに言え。まったく。
「だって血も涙もありませんし。幾らでも残忍になれますよ」
お前は骨だしな。
「あなたは腐っています」
放っておけ。
「女は犯さない。犯させない。流石ゾンビマスター様。『腐っても紳士』ですな」
「旨い事を言ったつもりか」
私は石の槍を振り上げ、魂亡き骸骨兵や躯兵に命令する。
「汝らの子であり妻である魔王様の御子が見送りに来てくれたぞ! 帽振れ!!」
私の命令を受けて骸骨兵や躯兵が一斉に帽子を振る。何時までも。疲れを知らずに。
我らを人は魂無き死者と呼ぶ。
生死の掟を破りし罪にてその身が滅べば永劫の地獄に落ちると。
されど我らは魂ある人々の為。彼らの魂の安寧の為に。麗しき魔王様。愛すべき水魔将様の御為に。
我を取り立ててくれた亡き土魔将様やその奥方様の為。そして名前も知らぬ『我らの妻や子』の為。
我ら躯兵。果てぬ地獄の道を逝く。『自らの意志』で。
ゾンビマスター様は『四天王』に登場します。




