こころかたむけて(後編)
私の名前は水無月肇。
歴史教師を務めている。
歳は相変わらず三十五歳のままだ。
「叔父さん。叔父さん~♪」
現在、甥と同居中だ。
男二人で家事分担と言うのは意外と面倒なものである。トイレを掃除し、汚れ物の多い洗濯をこなす。汚れ物と色物は別枠。あとまぁ少々人には言えない汚れ物もだ。
「ハジ。ご飯出来たよ」
「恬。その呼び名はよせと言った」
お玉を片手に微笑む彼はどんな女性より魅力的な美貌の持ち主だが残念な事に同性である。
喉から暖かな味噌汁の香りが入ってくる。
卓上コンロで出来る味噌汁はあの頃の大仕事を想うとなんと楽な事か。あのときは薪を割り、燃料を求めて冬場は大変だった。炭の作り方を主人に提言したこともあったな。
「いっただっきまーす!」
パンと手を叩き合わせる彼。私を真似して身に着けた習慣だ。彼の掌は剣道によってあちこちに剣タコがついている。
察しの良い読者は解るだろう。
私、ハジこと奴隷だった私と彼女は結局結ばれる事は無かった。
敵に囲まれ、炎上する都市の中、炎に包まれてその生涯を終えた筈だったのだ。
「生まれ変わったらハジのお嫁さんになる」
彼女はその言葉を最後に傷が基で炎の中命を喪った。
私は嘆き、走り、かつて彼女と夕日を眺めた大きな崖に登り、彼方此方火傷の残る彼女の遺骸を持って身を投げてその生涯を終え……たと思ったら夢だった。
で。済めばよかったのだが。
「まさか恬が」
「うん。生まれ変わりってあるんだねえ」
もぐもぐと玄米を噛む彼。ああ。米がほっぺについているではないか。
「こんなこと姉さんにばれたら殺される」
「いや、母さんってその手の歴史ものとかBLもんとか大好物だし良いんじゃないかなぁ」
嘆く私を無視して彼はぺろりと舌で自らの口元を拭う。
下宿したいと言って押しかけてきたその日、怪しげな目つきを浮かべつつ、唇を舐め上げこちらをみていた処で感づけばよかったのだ。
「というか、失職の危機なのだが」
「ばれないばれない♪」
寝乱れたパジャマのまま食事をして、そのまま片づけをする彼。
「ゴミ捨てておいて」
了解した。どうしてこうなった。
「昔と違って今の文明は凄いね。本当に片手間で家事が出来ちゃう」
「だな」
「その分、いっぱいいっぱい愛し合えるもんね」
「やめんか」
彼はすっと私の前に立ち、瞳を閉じる。
「先に行ってくるよ。ハジ。今度はちゃんと捕まえていてね」
私は、記憶の中の幼い少女でもある今の甥っ子にそっと唇を重ねた。




