第十四章 第九話
だけど、そんな絶体絶命の際にこそ、起死回生のチャンスは存在する。
……つまり、絶望的なこの瞬間こそ、まさに俺が勝負をかけるべきタイミングだった。
──羽子ぉおおおおおおっっ!
俺は心の中で叫ぶ。
酸素を……真空を操る彼女の能力を解き放つ。
「紅蓮の、腕ぁあああああああああああっ!」
それと同時に、渾身のダムドの叫びが体育館に響き渡る。
次の瞬間、だった。
──ポンっ!
そんな、可愛らしい音が辺りに響き渡ったのは。
「……ふ、はツ?
馬鹿ナっ?」
自分の能力が思ったような効果を発揮しなかった所為だろう。
金髪碧眼の米兵は目を見開いて硬直していた。
そして……それが俺の最後の勝負どころだった。
「動けぇええええええええっ!」
俺は動かない身体を鞭打つと、思いっきり上体を振りかぶり……額をボクサーの顔面へと叩きつける。
「ぐ、がぁっ!」
躱せない。
ボクシングスタイルを主とするコイツが、必殺技を外されて動揺しているこの状況で、突如として放たれたボクシングにおける反則技である頭突きを躱せる訳がない。
額という硬い部位によって顔面を強打されたダムドは、拳で殴られたのとは違うその痛みに、一歩後ずさっていた。
──まだ、まだぁっ!
それを見届けた俺は、殆どなくなった握力を使い、額に巻いた鉢巻きをほどく。
──由布、結っ!
──頼むっ!
俺のその心の叫びに答えるかのように鉢巻きは勝手に動き、俺の右手首とダムドの左腕とを括り付けていた。
劣化した能力と慣れぬ俺の超能力制御では由布結ほど器用な操作が出来る訳もなく、ただぐちゃぐちゃに縛っただけだったが……それで十分だった。
「そしてっ!」
そのまま俺は体捌きのみで顔面の激痛に怯んでいる米兵の背後へと回り込むと……敵の腕と縛り付けてある右手を強引に引き寄せる。
かなり強引に引っ張った所為か、俺の手首も血が滲むほどに痛むが……今はそんなこと、気にしている場合じゃない。
そうして右手首を犠牲にした成果はあった。
ダムドの左肘は、俺の右肩を支点、右手首を作用点とする形で……逆関節が極まっていたのである。
「ちぃっ!」
逆関節を極められたダムドが我に返ったかのように踠くが……もう遅い。
俺はその逆関節が極まったままの肘を起点に、ボクサーの身体を担ぐと……
その襟首に手を伸ばす。
……だけど。
──握力、がっ?
俺の左手には、もう投げ技を敢行できる握力が残されていなかった。
そして……幾ら左肘が極まっているといっても、この凄まじい使い手がいつまでもこんな体勢で待っていてくれるハズもない。
──でも、ここで、決めないとっ!
俺にはもう、余力がない。
この技を外せば、俺はもう何一つ出せる技がない。
いや、付け焼刃程度の技は出せても……何一つこの凄腕のボクサーには通じないだろう。
何しろ……技を繰り出すための脚はもう疲労でガタガタ、脚で生み出した力を上体に伝える筈の腰は、肋骨が痛む所為でまっとうに動きやしない。
何より、両の腕ももう限界で……相手の身体を投げるための握力すら、拳を握るための握力すら入らない有様なのだ。
……そう。
多少の技を知っていても……その技を効果的に振るうだけの体力が、俺の身体にはもう残されていなかった。
……だから。
だからこそ、俺はここで勝負を決めるしかない。
そう覚悟を決めた俺は、唯一残されたPSY能力者の名前を叫ぶ。
──陸奥、繪菜ぁああああああああっ!
本来なら左手で掴むべき相手の襟首を、借り物の『不可視の腕』によって掴み……
「がぁああああああああああっ!」
そのまま、背負い……
──投げるっ!
本来は肘関節を挫いて抵抗を封じつつ、襟首を掴んで受け身不可能の形にした上で、頭から地面へと叩きつける。
……曾祖父の持つ『死技』の一つである。
一応、古流柔術の流れを汲んだ技らしいけれど、技名を習ったことはなく……と言うか、曾祖父が他流試合もとい挑んてきた刺客相手に使うのを一度見たことがあるくらいで、習ったことはなかったのだが。
……その曾祖父と戦った刺客は、頸椎を砕かれ、そのまま二度と立ち上がることはなかったという。
これは、そういう……曾祖父の修めた古武術の中でも、曾祖父自身ですら使うのを忌避しているほどの、封印されるべき『死技』なのだ。
──アレを喰らった以上、もう起き上がれないだろう。
頭から床へと叩きつけられ、そのまま動かなくなった米兵の身体を見下ろし、勝利を確信した俺は大きく息を吐き出す。
実際……さっきの投げで全てを出し尽くした俺には、これ以上はもう腕すら上がらない。
……いや。
今、立っているのが不思議なほど、身体中のあちこちに深刻なダメージを刻まれている。
そうして脱力した所為か、俺とダムドとを結んでいた鉢巻きが解け、投げに沈んだ米兵の体重が俺の手から離れ……
「っととと」
……たったそれだけの重心の変化に、俺の身体はよたよたと後ずさってしまう。
それほどまでに、ダムド=ボマーとの戦いは、文字通りギリギリの……紙一重の戦いだったのだ。
もし序列戦による戦闘経験がなければ、序列戦で様々な能力の使い方を学ばなければ、いやそもそも……序列戦によって女の子たちと戦いを通じて知り合っていなければ。
──あの戦いは無駄じゃなかった。
俺は今更ながらに、この一か月間延々と三十戦近くも続けられたあの凄まじい戦いの日々に感謝を捧げていた。
そして何より……その序列戦を企んだ繪菜先輩と、このレンタル能力という「策」を考え出した数寄屋奈々のお蔭で勝てた事実を胸に刻む。
──考えてみれば、一対九、だもんな。
俺は倒れたままの米兵に少しだけ同情の視線を向ける。
扇羽子、雨野雫、吉良光、由布結、布施円佳、鶴来舞奈、陸奥繪菜。
そしておっぱい様こと数寄屋奈々に、この俺佐藤和人の九人が力を出し合っているのだ。
……卑怯この上ない勝利としか言いようがない。
だけど……その卑怯極まりない状況で、もう腕も上がらないほどのギリギリで勝ったのだ。
もし今、この金髪の米兵が亜由美のように死んだふりをしていて、いきなり襲い掛かってきたら……もう戦う余力すら残っていない俺は、例え不意打ちでなくともあっさりと一発でKOされることになるだろう。
──とは言え、残心の必要もない、か。
事実……さっきまで俺を圧倒していた筈の米兵は、その必殺の投げ技を喰らったことで白目を剥いて動かなくなっている。
流石に障害が出るようなことはない……と、思いたいが。
──実際、アレはそういう類の『死技』だし、なぁ。
と、俺が金髪碧眼の好敵手の無事を神に祈った、その時だった。
「貴様っ、今のはっ!」
その俺の技に、何故か政府関係者が……中でも最も年輩の、一度は暴れそうになっていた老人が何故か食いついてしまっていた。
「ちょ、陸奥先生、まだ勝負は……」
「やかましい。
あの死技を喰らって耐えられる訳が……っっ!」
陸奥という名の老人が、何やら先ほどの技に心当たりがあるようなことを叫んだ、その時だった。
「嘘、だろう?」
「……馬鹿、な」
「まさか、不死身、か」
変形とは言え『死技』をまともに喰らった筈の、ダムド=ボマーが額から血を流しボロボロの身体を必死に動かしつつも……
「負けテ、ナル、ものか……」
凄まじい形相で、立って……こちらに向かって来ているのだ。
──俺の、負け、か……
もう拳を作ることすら叶わない俺は、呆然とその事実を受け止めていた。
逃げようにも足は動かず、守ろうにも腕は動かない。
無理な形で投げた所為か、腰には鈍痛が走っていてどうしようもない上に、友人たちの能力ももう借り尽くして残っていない。
俺はただ一発蹴りを放っただけで上体を支え切れずにダウンするだろうし、拳すら作れないこの腕では、殴りかかることすら叶わない。
「……ここデ、命を、出シ、尽くス」
あと数歩というところまで来て、流石に限界を超えているのだろう。
まるで怨念のように、ブツブツと金髪碧眼の米兵が、血まみれの顔で呟くその姿は心底恐ろしいモノがあった。
それでも彼は戦意を失っていないらしく、拳を握り構えたまま、こちらへと徐々に、徐々に近づいてくる。
その米兵の姿に思わず俺は後ずさろうと踵を上げるものの……俺の身体にはもはや後退する余裕すら存在していない。
「ここガ、勝負……なんダ。
小さク、弱かったボクを、ウィーバーと、馬鹿にしタ、同郷の女じゃ、ナく」
もはや余力の欠片もない俺に向けて一歩一歩と近づきながらも、ダムドの怨念のような独白は続く。
「理想の、大和撫子ヲ、妻と、出来るかモしれナイ、最後の、この機会。
……逃して、なル、モノ、か」
そのある意味アホ過ぎる動機を告げる声を聞いて……俺は今更ながらに理解していた。
──コイツ、悪いヤツじゃない。
倒れた俺に追い打ちをしてこなかったスポーツマンシップもあるし、下卑た言葉を吐くリチャードを叩きのめした一件もある。
──行きがかり上敵対をしたものの、そう悪いヤツじゃなさそうだとは思っていたが……
とは言え、ここまでボロボロになってもまだ貫こうとするにしては……「その動機」はアホ極まりないとしか言いようがない。
だけど、「そんなアホな動機に必死になる」という、どうしようもないその姿に……俺は思わず自分の姿を重ね合わせていた。
……その所為、だろう。
「あのさ、そんなに日本人と交際したいのなら、俺が誰かを、その、紹介してやろうか?」
気付けば俺の口からはそんな言葉が零れ落ちていたのだ。
「……ア?」
「いや、まぁ、あまり顔は広くないんだけどな。
その、一応、親戚の伝手を頼るくらいは……」
心当たりと言えば、教師をやっている口やかましい従姉くらいだけど、その友達なら、まぁ、何とか……
金髪碧眼のハリウッド俳優張りのハンサムなボクサーで、米軍特殊部隊に就職していて年収はそこそこあるだろう。
その上、日本語もそれなりに出来る。
ちと趣味や言動、ネーミングセンスがアレではあるが……まぁ、はっきり言って、コイツは優良物件だと思われる。
メールとか文通とか、そっちくらいの紹介なら問題ないだろう。
「……ホント、か、ソレ、は?」
……そして。
当然のことながら、俺の言葉にダムド=ボマーは見事に食いついていた。
「あ、ああ。
俺の出来る範囲で、だけどな」
その鬼気迫る表情に、俺は静かに、だけど誠意を込めて頷きを返す。
……その瞬間だった。
「ふ、フフ。
コレで僕ニモ彼女がっ!」
ダムド=ボマーはまるで幸運のネックレスに大金を払い「個人差があります」という注釈付きの明るい未来を約束されたような、そんな幸せな叫びを残したかと思うと……
その金髪碧眼の米兵は、力尽きたかのように前のめりに崩れ落ちる。
──上手くいくとは限らないんだけどなぁ。
あくまで俺が出来るのは「紹介する」だけで……後は個人の努力や相性次第なのだし。
とは言え、米兵のボクサーはもう力尽きて動かなくなった。
つまり、この勝負……俺の勝ち、だ。
……その事実がようやく飲み込めたのだろう。
少しずつギャラリーの間からざわめきが零れ出始める。
「しかしなぁ、師匠」
「最後の最後まで口撃で勝利とは……」
「……酷い」
決着の仕方に文句をつけてくる羽子・雫・レキの三人の小言も今は気にする余裕もない。
……兎に角、勝ちは勝ちなのだ。
相手の戦意をへし折るのが勝利である以上、拳によるダメージだろうと絞め技による意識喪失だろうと、口先による戦意喪失だろうと、その手段を問うのはナンセンスというものだろう。
そうして俺が勝利した事実を突きつけ、この『夢の島高等学校』で行われるだろう実験……「ネクスト計画」とやらを破棄させようと、視線を政府関係者の方へと向けた。
「では、この通り、俺の勝……」
「それよりも貴様っ、今の技は何処で覚えたっ!」
その俺の声を遮ったのは、陸奥議員その人で……どうやらさっきの問いはまだ続いているらしい。
「ちょ、爺さん。
今は勝利を祝うところで……」
そのエキサイトした爺さんに向けて、繪菜先輩が宥めるような声をかける。
……ああ、そうか。
それで気付いたが、同じ陸奥……つまり、コレがこの『夢の島高等学校』を築き上げ、俺に多大な迷惑をかけてくれた張本人らしい。
何度その顔をぶん殴ってやろうかと考えたことだが……
──まぁ、もう意味もない、か。
こうして俺自身が「偽りの」とは言え、超能力者として衆目の前で「力」を振るったのだ。
……今更どうこう言っても始まらないだろう。
それに今の俺には、この老人をぶん殴る腕力すら残されていない。
「えっと、曾祖父が使っているのを一度見たもので……
その、咄嗟に」
「……曾祖父と言うのは?
八極の一手と言い、どうも貴様の技は無茶苦茶で、だな」
一応嘘を吐かない程度に答えたのだが……繪菜先輩の祖父とやらは、俺への追及を緩めてくれる気はないらしい。
言葉を発するだけでも億劫だったものの、それでも俺はその問いにも正直に答えようと口を開いた、その時だった。
「いや、そもそも……
キミは一体、どういう能力者なのだ?
無茶苦茶な系統の超能力を使っていたようだが……」
もう一人の政府関係者らしき男が横やりを出してきた。
ボロボロだった俺は、そろそろ限界を感じつつもその問いに少しだけ悩み……
──何と、答えれば良いんだろう?
……当然のことながら硬直してしまう。
何しろ、さっきのは全て俺の能力ではなく、ただの借り物なのだから。
そして……曽祖父の教えである「常に正直者であれ」を信念としている俺は、はっきり言って嘘が上手くない。
「Hとかいう能力がアレか?
しかし、系統の違う能力を使いこなすなど、信じられん。
そもそもキミのPSY指数はゼロだった筈だろう?」
だけど、その研究者らしき男性は追及の手を緩めてはくれそうになかった。
俺は返す言葉に悩み、視線だけで周囲を見渡し助けを求める。
そして、俺の推測通り、天使は存在したのだ。
【……私の言うとおり、説明する】
その天使は凄まじいG級のおっぱいを持つ美しい外見をしているだろう。
その天からの助けに、俺は思わず心の中で手を合わせていた。
【俺の能力は、ある程度好感度を上げた女子の超能力を借りるものだ】
「俺の能力は、ある程度好感度を上げた女子の超能力を借りるものだ」
復唱しつつも、俺は自分の口から出た言葉と同時に、周囲を見渡していた。
その所為で、先ほど超能力を貸してくれた面々と視線が合う。
──扇羽子はちょっと照れくさそうな笑みを見せ。
──雨野雫は頬を赤く染めつつ俯き。
──吉良光は心の底から楽しそうな笑みを向け。
──由布結はそのふくよかな顔に穏やかな笑みを浮かべ。
──何処で好感度を稼いだのかさっぱり分からない布施円佳は真っ赤になってそっぽを向き。
──鶴来舞奈先輩は珍しく俺に対して慈しむような優しい笑みを浮かべ。
──陸奥繪菜先輩は、顔を真っ赤に染めつつも、苦虫を潰したような顔で必死にそれを誤魔化していた。
その特性故に能力の受け渡しが出来なかった石井レキは悔しそうに唇を尖らせていたし、芦屋颯は健闘を讃えるかのようにガッツポーズを向けてくる。
そして周囲の有象無象の雑魚共……同級生や先輩のあまり大したことのないおっぱいの中に混じり、俺の天使であるG級の素晴らしいおっぱいが視線に入る。
──ああ、そうか。
──俺は、勝ったんだ。
その神聖にして侵すべからずと表現すべき二つの至玉へと視線を向けた時、俺はやっと勝利の実感が湧いてきた。
……一瞬だけとは言え、俺は、彼女たちの将来を守ったのだ。
ボロボロになり、痛い思いをした甲斐はあったというものだろう。
彼女たちの顔を見ると、俺の戦いは無駄ではなかったとそう思えてしまう。
【そう。俺の超能力を名づけるとするならば……】
「そう。俺の超能力を名づけるとするならば……」
そうして俺は、みんなに視線を向けつつ……いや、みんなの笑顔に視線を向けながらも素晴らしい至玉を常に視界の中に収める、「散眼」という名の高等テクを使いつつ。
心の中で響き渡るその声を、ただ耳に入るがまま復唱していた。
早い話が、特に何も考えずに聞こえるがままに喋っていたのだ。
……それが、問題だったのだろう。
【HMだっ!】
「HMだっ!」
衆目の前で……政府関係者の面々の前で、俺は堂々とそう叫んでしまっていたのだから。