第十四章 第六話
──勝った、か。
もう動かなくなった米兵の……マイク=アイアンの巨体から視線を外すと、俺は天を仰ぎながらそう心の中で呟いていた。
「っしゃぁっ!
やるじゃん、師匠っ!」
「それでこそ、私の見込んだ殿方ですわ」
「……凄まじい」
外野からの賛辞に、俺は手を軽く上げるだけで答える。
答えながらも、俺はまだ自分の勝利が信じられなかった。
……正直、未だに勝てたのが不思議なくらいである。
──特に、最後のあの左ストレート。
もしアレを最初に持って来られていたら、俺は何も出来ずに一発でKOされていたかもしれない、アレはそれほどの一撃だった。
……アレこそが、この米兵本来の身体能力。
もし、この黒人米兵が俺を侮らず、最初から素直に身体能力だけで襲い掛かってきたら……考えるだけで恐ろしくなってくる。
──いや、違うか。
先に戦った相手が舞斗のヤツだったからこそ、舞斗の能力が警戒に足るレベルだったからこそ……コイツは最初から超能力を全開にして襲い掛かってきたのだろう。
つまり、超能力を警戒していたからこそ、格闘しか使えない俺に後れを取った、とも言える。
──俺が勝てたのは、舞斗のお蔭、か。
──それほどの、強敵だった。
そう考えた俺が、感謝を保健室で寝たきりの舞斗に、そして畏怖を込めた視線を倒れている米兵に向けた。
と、そこには……もう一人の中国系米兵らしきリチャード=オーバーとかいう男が立っていて……
「けっ。
このクズ、ジャップのガキなんぞにヤラれやがって」
倒れているマイク=アイアンの頭を、蹴り飛ばしたのだ。
──あぁ?
その光景に……さっきまであのマイクとかいう黒人米兵に対して怒りしか感じていなかった筈の俺でさえ、思わず怒りに顔を歪めていた。
確かにあのマイクとかいう黒人は俺たちを侮って格下に見てはいた。
だけど……少なくともあの巨漢は俺たち高校生を侮って当然の、鍛え上げた身体を持っていたのだ。
──そして、あの凶悪な超能力を使いこなす鍛練をも積んでいた。
硬化能力を持って肩関節を防ぐなんて芸当、よほど自分の能力に慣れていないと出てこない発想だろう。
俺がその硬化能力に驚くことなく、咄嗟に別の攻略法を思いついたのは、単に「超能力者との戦いに慣れているから」に他ならない。
──そういう意味じゃ、あの序列戦の成果って訳だけど。
兎に角、さっきまで拳を交えたこのマイク=アイアンを冒涜する行為を、俺は見過ごす訳にはいかなかった。
「おい、リチャードっ!
お前はマタそういう……」
倒れた仲間を蹴飛ばすという行為を見過ごせなかったらしき、金髪碧眼のダムドとかいう青年の声は、歩み寄った俺を見て止まる。
その俺の視線を……目の奥にある怒りを読み取ったのだろう。
「……ヤマトダマシイ、か」
そう軽く肩を竦めて呟いたかと思うと、あっさりとリチャードに対する抗議を止め、倒れたままのマイク=アイアンの身体を引き摺りながら壁際へと戻って行った。
……どうやら、コイツへの制裁は俺に任せてくれるらしい。
「ちょ、佐藤さん、連戦は流石に……
何なら、私が……」
流石に無謀な挑戦を始めようとしている俺を見過ごせなかったのだろう。
奈美ちゃんが叫ぶ。
が、俺はそれを片手で制し……
「俺一人で、十分だっ」
ネフツ編(‘99~‘01)の主人公のような台詞を告げる。
とは言え、俺の腕から炎が出るようになった訳でもないのだが……まぁ、こういうのは気分である。
「ひゃはっ。
ガキが、言っテくれるゼぇっ!」
今度の戦いも始まりの合図すらなかった。
俺の挑発に簡単に引っかかってくれたリチャードは、突如その右手を懐へ入れたかと思うと……
巨大な軍用ナイフを何処からともなく引っ張り出し、俺の顔面目がけて振るってきたのだ。
──っ!
慌てて俺はスウェーバックをして、その刃物の軌道から顔を外す。
あと一歩……あと一歩深く踏み込んでいたら、俺はあっさりと秘剣・流星を喰らった剣士の如く、両眼を斬りされかれていただろう。
──と言うか、あり得ないだろ、あの武器っ!
明らかに懐に入る筈のない、巨大な軍用ナイフの出現に、俺は思わず内心で突っ込みを入れていた。
どうやらコイツの能力は……空間を捻じ曲げて虚空から武器を取り出せる、そんな能力らしい。
その意表を突いた一撃を躱せたのは、単に運が良かったのと……ここ暫くの序列戦で咄嗟の判断力が鍛えられたお蔭だろう。
「そんな、武器なんて卑怯っ!」
「シャラッっ!
PSY能力者ガ、武器を作ル。
どこが、ひきょーダ?」
外野からの……恐らく亜由美らしき叫びに、リチャードは卑劣極まりない笑みを浮かべて言葉を返していた。
相変わらず、ネイティブの日本語とはちょっと違うアクセントが気になるが……
今は、それよりも……
リチャードとかいうこの中国系米兵の、厭らしい笑みが癇に障る。
──コイツっ!
その得物を嬲る愉悦に浸り切った笑みを見る限り……さっきの一撃は運よく『外れた』のではないらしい。
「ひゃはっ!」
「ちぃっ!」
事実、そのナイフによる刺突は凄まじく鋭く、俺の防御能力をあっさりと突破して身体を切り裂いてくる。
切り上げにより頬が浅く斬られる。
薙ぎ払いにより腕が僅かに斬られる。
突きにより肩口が若干裂かれる。
次々に受ける浅い切り傷に……いや、それ以前にリチャードの手の中にある凶悪な光を放つ刃物に、俺はただ防御一辺倒で逃げ回ることしか出来なかった。
──卑怯と言うなかれ。
剣道三倍段という言葉がある。
武器を持つ相手に素手で戦うのは、相手の三倍の技量が必要という意味だ。
それほどまでに武器を持った相手と戦うのは難しく……俺は反撃の糸口すら見い出せない有様だったのだ。
その挙句、このリチャードとかいう米兵と俺の身長には、十センチほどの差があるのだ。
ナイフを含めたリーチを考えると、二十センチ以上……デンプシーロールの使い手が東日本新人王戦でフリッカージャブに苦しめられていた、あの戦いほどの差がある計算になる。
……俺が逃げ回るだけしか出来ないのも、無理はないだろう。
その上、相手が手にしているのは大型のナイフ……人間に致命傷を与えるのに必要十分なほどの凶器である。
その冷たい輝きと、身体を切り裂かれた痛みに、俺は踏み込もうにも踏み込む機そのものすら探れない有様だったのだ。
その真剣の鋭利な輝きを前に、いつもは口煩い外野の連中……特に羽子・雫・レキの三人娘も野次すら飛ばせないらしい。
「……く、そったれ。
手に、負えねぇ」
そうして俺が浅く切り裂かれ続けるという、残酷なショーは続けられていた。
……だけど。
決定的な瞬間は、いつまで経っても訪れなかった。
ヤツの刃物は皮一枚を裂くばかりで、さっきから出血多量の心配もないほどの傷しか喰らっていない。
──何故、こうも上手く避けられる?
圧倒的に技量が上の相手で、しかも相手は武器を持っているというのに、俺はコイツの攻撃を何とか躱し続けているその事実に、俺はふと首を傾げる。
……これほどの技量差があれば、俺の防御なんて簡単にすり抜けて、いや、防御した手を狙うなど……幾らでも致命傷を与える術くらいありそうなものなのだが。
──これは……
だけど、俺の腕が上がった訳でもなければ、俺の勘が冴えているという訳でもない。
単純に……この中国系米兵が致命傷にならないように、『上手く嬲ってくれている』のが正しいのだろう。
コイツの技量は、明らかに俺を超えている。
そもそもコイツは現役の軍人なのだ。
……言わば、戦闘のプロ。
──昔にちょっとばかり古武術を齧っただけの、俺の手に追える相手じゃないっ!
その事実が、俺の恐怖を呼び起こす。
その瞬間を、俺の怯みを見つけたのだろう。
「ひゃっはぁああああああああああっ!」
まるで世紀末の、頭のZの刺青を入れた連中のような、野卑な叫びを上げながらリチャードはまっすぐに刃物を突き出してきた。
その刃物を俺は防ぐべく、右手で逸らそうと手を伸ばし……
──っ?
その瞬間、迫りくるナイフの一撃に……
何故か俺は、違和感を覚えていた。
──リチャードの視線が何故か俺の首筋ではなく、その後ろの虚空へと向いている。
──殺気が何故か背後から感じられる。
そして……
──コイツは何故、勝ちを確信したような、厭らしい笑みを大きく浮かべている?
……何よりも、コイツは必要もないのに何故こんなにナイフを振りかぶる?
さっきまでのように、コンパクトに直線の軌道をもって急所を狙えば、俺なんてあっさりと屠れる筈なのに。
そんな考えが一瞬の間に、いや、脳裏を言葉にすらならない速度で通り過ぎて行った。
──くそっ!
俺がその違和感……直感に従ったのは、ただの『反射』に過ぎなかった。
今までの古武術の経験則が警戒を訴えていた『眼前から迫ってくる凶器』よりも、何故か俺はこの『夢の島高等学校』での経験則からなる『背後から迫るだろう何か』を選んだのだ。
「ちぃっ!」
俺が選んだのは、回転肘打ちだった。
背後の……リチャードとかいう中国系米兵の視線が向かっているだろう、何もない虚空に向けて、身体を捻りながら左の肘を叩き込む。
──グギャ。
何故か、俺が何もない筈の空間へと放った左肘からは、そんな硬い……何か妙なものをへし折ったかのような、嫌な感触が伝わってくる。
「がぁあああああああああああああああああああああああああああああっ?」
そして同時に響く悲鳴と、背後でナイフの落ちる音。
前を見れば、指が酷い方向へと捻じ曲がった右手を押さえ、中国系米兵であるリチャードが悲惨な悲鳴を上げていた。
──そう、か。
その段になって初めて、俺はコイツ……リチャード=オーバーの能力『どこにもドア』というモノを、本当の意味で理解していた。
最初に誤解していたような……某青き形容しがたき者が使っていた別名の道具ような、『道具を何処かから取り出す』能力ではない。
もっと用途の広い……その能力を一言で言い表すなら『空間接続』だろう。
その射程がどれくらいかは分からないが、「眼前にいながらも背後から攻撃できる」……そんな反則じみた能力だったのだ。
そしてその能力は俺の直感によって破られ……俺の目の前には腕を押さえたまま隙だらけの米兵が立ち尽くしている。
勘に身を任せた結果とは言え、下手したら左肘をさっきまでのあの手が握っていたナイフで貫かれていたかも知れなかった訳で……。
俺は今更ながらに背筋を冷たいものが走るのを止められない。
だけど……その恐怖ももう去り、今目の前には隙だらけで無手の米兵が立ち尽くしているだけなのだ。
──脅えている場合じゃないっ!
当然のことながら、俺はその隙を見逃すつもりはなかった。
「この、阿呆がっ!」
俺は大声で叫びながらも、隙だらけで蹲るその顔面に、左掌底を喰らわせる。
「う、あ?」
「トドメっ!」
その衝撃によって朦朧としているらしきリチャードの側頭部に向け、俺は直下から落とすような、体重を込めた蹴りを叩き込んでいた。
流石の米兵とは言え、無防備な側頭部に渾身の蹴りを叩き込まれては無事ではいられないらしい。
リチャード=オーバーは悲鳴すら上げる間もなく、そのまま床へと崩れ落ちていた。
その事実に、安堵した俺は大きくため息を吐き出していた。
──またしても……自力では、負けていた。
事実、ナイフの技術、体術、身のこなし……何から何までこのリチャードという中国系米兵は俺を一回り上回っていた。
事実、切り傷だらけにさせられて……まぁ、軽く斬っただけの所為か、それともさっきの一幕でアドレナリンが出まくった所為か、もう血は凡そ止まっているものの……刃物に追いかけられ肉体的・精神的にも疲労で限界寸前、もう満身創痍という有様である。
そんなボロボロの俺が勝てた理由を挙げるとすれば……
「?」
俺の視線を受け、車椅子の上の繪菜先輩は一瞬だけ満面の笑みを浮かべたかと思うと、まだ戦いが終わっていないことに気付いたのか、それとも周囲の視線を気にしたのか、平然とした表情を取り繕っていた。
……そう。
俺が勝てたのは単にあの瞬間に身体が反応出来たから……つまり、彼女が仕込んだ序列戦とやらの戦闘経験のお蔭に他ならない。
言わば、「彼女に貰った勝利」だったのだ。
あと一つだけ勝因を挙げるとすれば……
「……相手を嬲ることを優先し、相手の絶望する顔を見たいがために、トドメの場面で能力を使ったのがお前の敗因だ。
地力なら、俺を圧倒できるほど強かったというのに……」
金髪碧眼の米兵によって運ばれていく、気を失ったリチャードの身体に……俺は思わずそう言葉を投げかけていた。
聞こえないとは分かっていても……言わずにはいられなかったのだ。
だから、だろう。
「……超能力なんて便利なものを持つ人間の悪癖、だな」
俺が、そんな要らぬ一言を呟いてしまったのは。
「ふふ。
まるで、一般人のようなことを言うのデスね、キミは」
そして、その余計な一言の所為で俺は、リチャードの身体を運んでいた米兵最後の一人……ダムド=ボマーにそう看過されてしまうのだった。