第十四章 第五話
「……お、おい、アレ」
「あの時の……」
「……やっぱり来た、わね」
体育館に入った白装束の俺を待ち構えていたのは、級友たちの戸惑いの声だった。
特に、奈美ちゃんと決闘したあの日、屋上に居合わせた少女たちの声が大きい。
その戸惑いの声の中を、俺はまっすぐに歩く。
戦闘に集中した今の俺には、そんな雑音なんて耳にすら入らないのだから。
「わぉ。
ジダイゲキぃぃぃっひゃははははははっ!」
俺の姿を見て笑い転げ始めたのは、リチャードとかいう中国系の米兵だった。
この白装束という時代錯誤な恰好が滑稽だったのか……それともあれだけ圧倒的な強さを見せた黒人米兵相手に、それでも真剣勝負を挑もうとする俺が滑稽だったのか。
まぁ、笑いたければ笑わせておけば良いと達観している俺は、その笑い声なんて気にもならなかったのだが。
「……シッッ。
ペインインジアス」
当の対戦相手であるマイク=アイアンとかいう俺の標的は、俺の恰好なんて本当にどうでも良いらしい。
ただ面倒くさそうにそう吐き捨てただけだった。
そんな米兵の中で、ただ一人……
「……ビューティフル」
日本かぶれのダムドだけは、そんなとある刺青を見た某死刑囚みたいな称賛の声を上げていたが。
──まぁ、今はそんなこと、どうでも構わない。
そうして俺はまっすぐにマイクの方へと……二メートル超の黒人米兵の方へとまっすぐに歩く。
標的であるコイツの顔を、ハリウッドなどで見るような陽気な黒人とは全く違う、酷く面倒そうに鬱陶しそうに、この場にいること自体が不愉快だと言わんばかりの、その顔面を睨み付ける。
そうして、ヤツの間合いまであと三歩というところまで近づき、マイク=アイアンの全身を軽く観察する。
──デカい。
こうして冷静に見ると、体格差というたった一つのファクターだけで押し潰されそうになってしまう。
何をどう足掻いても俺の技なんか通用しないんじゃないかと思わせるほどに、このマイクというヤツの巨体は凄まじい圧力を放っていた。
それでも俺は、身体を一歩前へと運ぶ。
──しかし、この肩。腕、首。
何と言うか、筋肉の付き方が日本人とは圧倒的に違う。
黒人特有の、派手に盛り上がったその筋肉をこうして間近で見せられると……俺の覚悟も勇気もあっさりとへし折れそうになってしまう。
何故自分がこんな場所で、こんな巨漢を相手に戦っているのか……そんな疑問が頭の中を過り。
俺は今までの経緯を思い出し、首を振ってその怯懦を振り払う。
──クソ、身体つきがどうあれ、同じ人間、だ。
そんな黒人米兵に気圧されつつも、俺は内心でそう唱え……必死に踏みとどまる。
……ここで一歩でも退けば、もうコイツに抗うことすら出来ない。
そんな予感があった所為だろう。
そうして俺がもう一歩前へと踏み込んだ、その時だった。
「ゲッラウっ!」
巨漢はそう叫ぶや否や、大きく踏み込むとその巨大な右拳をまっすぐに突き出してきやがったのだ。
機先を制された俺だったが……
「~~~見えるっ!」
その巨漢故の鈍重さか、筋肉が筋力に特化に肥大し過ぎている所為か、その踏み込みも拳もそう速いものではなかった。
俺はその右拳を紙一重で躱しつつ、大きく踏み込んできた所為で低くなっていた巨漢の側頭部へと左掌底を叩き込む。
……だけど。
「……ぐっ?」
タイミングとハートが共に揃った、タイ人新鋭のボクサーだろうと一撃で倒せそうなそのカウンターに返ってきたのは、酷く硬い感触だった。
はっきり言って殴った俺の手のひらの方が痛いくらいだ。
……だけど。
──コレはっ!
こうして一撃を与えてみて、ようやく気付くこともある。
「シットっ!」
俺は黒人米兵のバックハンドを後ろに飛びのいて躱しつつ、一つの確信を得ていた。
──コイツの能力は、皮膚の硬化かっ!
コイツの能力はアスト□ンのように身体そのものを鋼鉄と化す訳ではなく、ただ皮膚を硬質化する……そういう能力らしい。
実際、殴った時の感触は確かに硬かったが、手のひらを押し返してきた重さは人間の頭部とさほど変わりなかった。
それに今、俺の目の前でヤツは、頭の中の残響を気にして自分で軽く側頭部を叩いている。
それはつまり……さっきの掌底によって、脳に衝撃が通ったということだ。
要は、皮膚には攻撃が通じなかったとしても、脳への衝撃はダメージになり得る、ということである。
──なら、付け入る隙はあるっ!
勝算を見出した俺は、小さく微笑むと……ノーガードのまま、まっすぐにマイク=アイアンとかいう木偶へと間合いを詰める。
この黒人の巨漢、体格と筋力と超能力は凄まじいみたいだけど、どうもオツムの方があまりよろしくないらしい。
こうして隙だらけで近づいてやると……
「ダムンィッツっ!」
……ほら、来た。
囮として見せた顔面へと右拳を突き出してきやがる。
──所詮は、こちらを素人と侮っている馬鹿だっ!
軍隊式の格闘技を修めている筈の軍人の筈が、意外とその拳は早くない……と言うより、どことなくぎこちない。
そこに、隙がある。
俺はその拳をまたしても上体だけで躱すと、巨漢の顔面……眼球辺りに向けて掌底を叩き込む。
「ゥオっ?」
流石の『鉄製の肉体』……皮膚を硬化させる能力でも、衝撃から眼球を防ぐことは出来なかったらしい。
──ちなみに「目に指を突っ込めば勝てる」なんて作戦は却下だ。
人形相手なら兎も角、生きた人間の眼に指を突っ込むなんて真似、俺には出来そうにないのだから。
兎に角、その一撃で黒人の巨漢は動きをあっさりと止めていた。
「今ぁっ!」
そして、俺はその隙を逃さない。
突き出されていたその拳を思いっ切り引っ張ると同時に逆方向へと捻じ曲げながら、引き倒す。
相撲でいうところの引き落としに関節技を加えたような、そんな技である。
「グゥッ!」
こういう投げ技には慣れていないのか、それとも眼球への衝撃で対応が遅れたのか。
マイク=アイアンのその巨大な身体は、身体が前に傾いでいたこともあり、俺程度の力であっさりと転がり、床に伏していた。
……だけど、まだ俺は攻撃の手を緩めない。
転がされた衝撃に巨漢の力が一瞬緩んだその隙を狙い、俺は投げヤツの右腕を大きく捻り上げた。
──関節技。
……そう。
皮膚を硬化する能力を持っていながら、コイツは動いている。
である以上、関節部分は硬化されていないだろう。
──そこに、付け入る隙があるっ!
あとはこの右腕をもう十度ほど逆側に捻じれば、腕の関節がへし折れてコイツは戦闘不能になるだろう。
俺がそう考え、腕に体重をかけた……その瞬間だった。
「……なっ?」
勝利を確信していた俺の技がピッタリと止まる。
幾ら体重をかけても、逆関節をかけている筈の巨漢の右腕がそれ以上曲がらなくなったのだ。
──馬鹿なっ!
このマイクとかいう巨漢と俺との間には大きな体格差があり、その所為で筋力差もかなり大きいのは認めよう。
だけど……逆に極めた関節を、筋力だけで封じるなんて、そんな真似……人体の構造的に不可能なのだ。
……考えられるとすれば……
──腕から肩にかけて丸々硬化しやがったなっ!
つまりコイツの超能力は本当にアスト□ン……身体の部位を問わず、任意の範囲を硬質化する能力であり……さっきまでのは自分の動きを阻害しないように、関節を除く皮膚のみを硬化していたのだろう。
兎に角、俺は逆関節を極めていると言うのに……技を封じられてしまったのだ。
「ウォッペンクドラィ」
愕然とした表情の俺に向けて、巨漢が嘲るようにそう笑う。
その言葉が英語である以上、俺の英会話能力では何を言っているのかさっぱり分からないが……恐らく「無意味な行動だ」とか、そういう意味を言っているんじゃないだろうか?
……だけど。
こうして逆関節を極めている事実は、変わらない。
勿論、このまま逆関節を極め続けるのは凄まじく疲れるので、この巨漢はそうして諦めた俺が手を離すのを狙っているのだろう。
だけど、それこそがコイツの判断ミスなのだ。
関節を極められて動けないのは……不利なのは俺の方じゃないのだから。
「……甲羅に籠ったままじゃ、動けないだろうっ!」
……そう。
米兵の肩関節を「手の力のみで」極めたまま、俺は軽く立ち上がる。
自分の腕を身体ごと硬化しているコイツは、俺がそうして腕を掴んでいるだけで起き上がることすら出来やしない。
……梃子の原理の応用で、硬化した自分の腕がつっかえ棒となり自分の身体を封じているのだから、世話のない話である。
──いや。
もしコイツが硬化を解いて渾身の力で暴れれば、こんな腕力だけの関節技なんてあっさりと力で破られ、コイツは動けるようにだろう。
しかし、それは腕をへし折られるリスクを伴うことになる。
──そんなこと、出来やしないだろう?
その事実を知っているからこそ、俺は笑う。
マイク=アイアンというこの巨漢の超能力が強いからこそ、俺はその確信があった。
コイツの余裕綽々の態度と相手を舐め切った笑みを見る限り……自分の能力が無敵で、誰からも傷つけられない自信があるのだろう。
言わば『無敵モードの最中』なのだ。
そんなヤツが、ちょっと不利になったくらいで無敵モードを解いて自らの身を危険に晒す、なんて。
……なまじ信頼できる能力を持っているからこそ……そんなリスクを負うような選択、出来る筈がない。
こうして俺がコイツの腕を決めたまま立ち上がったとしても、コイツは自分の無敵を信じて硬化したまま耐えるのだ。
──それが、敗因になるとも気付かずにっ!
そして……俺は関節を極められて動けないマイクの大きな頭を見下ろしながら、自分の左足を大きく持ち上げ……
「幾ら、装甲が良かろうがっ!」
……cv西川○教な気分で叫びながら、思いっきり踏みつける。
その踏みつけた勢いのまま、マイクの頭は体育館の床へと叩きつけられ、凄まじい音が辺り一面に響き渡っていた。
「中身までは硬化出来まいっ!」
再度、俺はその頭を踏みつける。
……足は、痛くない。
空手の試し割りの要領だ。
コイツの肩は分厚く、そして身体中を硬化させてある。
──こうして横向けるだけで頭蓋と床との間に空間が生じてしまうほどにっ!
踏みつける。
踏みつける。
踏みつける。
いや、踏みつけているのではない。
全体重をかけ、足の力をもって、『コイツの頭蓋を床へと叩きつけている』のだ。
……それを何度繰り返しただろうか?
十や二十ではなかったと思う。
掴んだままだったマイク=アイアンの右腕が……まるで力を失ったかのように、急に体としての柔らかさを取り戻していた。
──能力を、失ったか。
恐らくは脳震盪によるダメージが蓄積し、硬化を維持できなくなったのだろう。
つまり、俺の攻撃がやっと通じるようになった、という訳だ。
ビッ○コアの赤かった中心部が、ようやく青くなったのだ。
──狙うなら、今っ!
「うぉおおおおおおおおおおおおっ!」
俺は情けや躊躇いを振り払うように大きく吼えると、硬化が解けたその腕を思いっ切り逆側へと捻り上げる。
──ゴキッ!
硬化を失ったその腕は、あっさりとそんな乾いた嫌な音を響かせていた。
そして……
「ガァアアアアアアアアアァァァァァァアァアアアッ!」
悲鳴が、上がる。
──折れてはいない、筈だ。
ただ、関節を引っこ抜いただけで。
俺は腕に伝わってきた嫌な感触に眉を顰めながら、悲鳴を上げ続ける巨漢から視線を外していた。
……正直、後味が悪い。
舞斗のヤツの仇討とは言え、こんな……人様を破壊するような真似、出来れば使いたくはなかったんだが……
そう俺が首を振った、その時だった。
「後ろっ!」
誰かの叫びに俺が振り向くと……腕を引っこ抜かれて激痛にもがいていた筈の米兵が起き上がり、こちらに向けて左拳を振るおうとしているっ!
「なっ!」
慌てて俺はガードを上げようとするが……
──早っ?
さっきまでの素人丸出しのぎこちない、楽々躱せるような拳と違い……凄まじい速度の熟練した左拳が俺の顔面に向かって飛んで来る。
それはボクサーのパンチに負けず劣らずの、とんでもない迫力の拳で……
──や、ばっ?
慌てて歯を食いしばるが、もう遅い。
その黒い左拳は、無防備だった俺の顔面にまっすぐに向かって来て……
……俺の頬を掠めて、通り過ぎて行った。
「は?」
一発KOを覚悟した俺はその肩すかしの事実に思わず目を見開く。
眼前では黒人米兵が外れた肩の激痛に顔を歪めながら、必死に身体のバランスを保とうとしているところだった。
──そりゃ、そうだ。
その時点で俺はようやく、何故さっきのパンチが外れたかを思い当たった。
あれだけ脳を踏みつけたのだ。
……脳震盪で世界が歪んでいるに違いない。
──それと、肩を脱臼した激痛の所為、か。
兎に角、そういう要因が重なった所為で、コイツの拳はもう用をなさなくなっているらしい。
つまりが、コイツは意地で動いているだけで、とっくに戦闘不能なのだ。
その根性には敬意を表するが……
──いつまでもコイツ一匹に付き合ってやる意味もない。
俺はあっさりとそう見切りをつけると、両の足でまっすぐに立つことも出来ないマイク=アイアンの足を払う。
そんな簡単な足払いすら、コイツはもう避けることも出来ず、あっさりと床へと転がってしまう。
それでもこの米兵の根性は一級品らしく、身体を必死に起こそうともがいていた。
「もう、寝てやがれっ!」
そこへ、俺はローキックを叩き込む。
丁度、蹴りやすい位置に下がっていた、その側頭部へと。
……超能力による硬化の心配のなくなったその黒い後頭部を、俺の渾身のローキックが弾き飛ばす。
悲鳴は上がらなかった。
俺の蹴りが丁度良いところに入ったのか、それとも脳震盪の所為でその太い首の力が入らなかったのか……
兎に角、俺の蹴りの衝撃でマイク=アイアンという巨漢はあっさりと意識を失い、床に伏して動かなくなったのだった。