第十三章 第七話
「くっくっく。
待たせやがってっ!
さぁ、始めさせて貰うぞっ!」
よほど待ちくたびれていたのだろう。
車椅子に座ったままの繪菜先輩は、ノリノリにそう叫ぶ。
相変わらず悪役のような口調で笑う彼女は、やっと遊べる時間が来た子供のような、満面の喜びを隠し切れていなかった。
……だけど。
「残念だが、繪菜先輩」
俺は、そんな彼女に……事実を突きつけなければならない。
「間違いなく、先輩が望む結果は訪れない?
……酷く嫌な思いをするだろう」
珍しく迂遠に彼女の敗北を伝える俺の声に……紛れもなく『確信』があることに気付いたのだろう。
繪菜先輩は俺の顔をまじまじと見つめ……
「……出来るのか?」
そう、尋ねてきた。
俺は自分が敗北を突きつけなくてはならない相手に……ただ一つ、頷いて返す。
「なら、それを証明して見せてくれ。
それが可能なら、オレは安心してお前に全てを賭けられる」
繪菜先輩のその声は、ラスボスの風情を漂わせる彼女には似合わず、何処か祈るような縋るような、弱気な声色で……
「……全て、を?」
思わず俺はそう尋ね返していた。
「ああ、勝てば話してやる。
オレが何故この序列戦を導入したのか。
そして……お前に頼む筈だった『頼みごと』のことも、な」
そう告げる繪菜先輩だったが、彼女が何を話しているのかは、生憎と俺には分からない。
ただ外野で見守る舞奈先輩は悔しそうに唇を歪めていたし、事情を知っているだろうマネキンやゴリラ教師たちは俺から視線を逸らしている。
何かがあるのは間違いなさそうだ。
──勝てば、全てが分かるってことか。
ショボいRPGじゃあるまいし、ボスを倒せばストーリが進むなんて……と俺は内心でぼやくものの、信用されるために『強さ』を見せつけなければいけないという先輩の言葉も分かる。
……だから、もう何かを聞く必要も、何を語る必要もない。
──ただ、彼女の戦意をへし折るだけだ。
そう決意した俺は、構える。
いつもの両腕を胸の位置まで上げた構えでもなく、両腕を顔の高さまで上げた防御主体の構えでもなく。
……両腕をもう少し低く腰の位置に添えた、攻撃主体の構えを。
「……へぇ、ハッタリじゃなさそうだな」
その俺の構えを見て、感じるところもあったのだろう。
繪菜先輩は軽く笑うと……
「じゃ、始めるとするかっ!」
好戦的にそう叫びを上げ、こちらをまっすぐに睨み付けてきた。
──ふぅううううううっ。
その視線を……いや、その視線の少し下を見つめながら、俺はゆっくりと息を吐き出しながら、精神を集中していた。
タイミングを一つ間違えれば、さっきまでの俺の言葉は全て大言壮語で終わってしまう。
……だけど。
ここ一か月の序列戦により鍛え上げられた今の俺ならば……彼女のDのおっぱいのその幽かな揺れ、そしてその視線、呼気までもを見切ることが可能である。
そして、周囲の全てがスローモーションにも見えるほど、俺の集中力が高まった、その瞬間だった。
──今、だっ!
俺は自分の信じるタイミングで、右拳を眼前へと叩き出す。
……手応えは、あった。
何か硬いモノを殴り潰した、その感触が。
「がぁああああああああああああっ!」
その瞬間、繪菜先輩の口から悲鳴が上がる。
激痛に耐えるかのように手足のないその身体をバタつかせ……Dのボリュームを誇るその二つの膨らみが揺れ弾む。
だけど、生憎と今の俺はその二つの膨らみを楽しむことが……出来ない。
足をバタつかせた所為で浮き上がったスカートから覗く、その真紅の小さな布きれに心が躍ることもない。
何しろ俺は……彼女の身に『何が訪れたか』を知っているのだから。
「な、な、何を、しやがった、てめぇっ!」
ただ……繪菜先輩自身はソレに気付いていないらしい。
歯を食いしばりながら、痛みを紛らわせるかのように吼えている。
とは言え、いつもなら威勢が良いと思える筈のその声は……今の俺にとっては、脅えている子犬が吼えている程度にしか思えなかった。
「それが痛みだっ、陸奥繪奈!」
「なん……だと?」
某蒼い穹のロボットアニメ最終回のような俺の叫びは、繪菜先輩にとっては全く予想もしないものだったらしい。
先輩は激痛に顔を歪めながらも……驚きに目を丸くしている。
「一年のA組に、遠野彩子という能力者がいるっ!
その彼女が言っていた。
『念動力は感覚がないから上手く操れない』と……」
突然話を振られた所為だろうか。
外野に座り込んでいた遠野彩子自身は驚いた顔をしつつ、頷いていた。
──と言うか、自分で語ったことくらい、覚えておけよ。
実際、遠野彩子が何気なく放ったその一言があったからこそ……俺がこうして繪菜先輩に勝つための方策を思いつけたのだ。
他にも付け加えるならば、ことの発端になった熱湯耐久勝負……あの時、湯の中に沈んだ俺を助け出した彼女は「あのくそ熱い湯からお前を助け出すの、どれだけ苦労したと思ってやがる」と言っていた。
もし彼女の能力に痛覚が……感覚がないのであれば、どんな熱湯に腕を浸したところで苦労なんてする筈もない。
「……だから、か」
「ああ、そうだっ!
だから、先輩の『不可視の腕』には痛覚が存在するっ!
そうでなければ六本もの腕を本当の腕のように操るなんて真似、出来やしないっ!」
苦痛に耐える先輩に、俺は叫ぶ。
……勢いに任せて、彼女の戦意をへし折るために。
これ以上は……残酷なショーにしかならないと分かっているからだ。
だけど……繪菜先輩は生憎とその程度で折れる戦意はしていなかったらしい。
「まだ、まだぁっ!」
繪菜先輩は激痛に耐えながらも、再びその『不可視の腕』を放ってくる。
……だけど。
幾ら彼女に腕や足がないからと言え、超能力を意思で動かす以上、そして他者を攻撃するほど大きな意思を世界に投影する以上、その残滓は身体に現れる。
下手なゲーマーがレースゲームをやるときに、カーブを曲がる時に身体ごと傾いてしまうかのように……格闘技の心得のない繪菜先輩の身体は自然と……いや、そのDのおっぱいが、俺に攻撃のタイミングを、そしてその視線が俺に攻撃する箇所を、全て教えてくれるのだ。
である以上、俺はその放ってくるだろう攻撃に合わせ、カウンターを叩き込めば良い。
──要は、某格ゲーのインド人だ。
伸びるその手足にも、当たり判定があって……それを弁えていれば、長いリーチに戸惑うことなく……だからこそ、無理にゴリ押しする必要もない。
飛んで来る『手』を叩けば……それで勝てる。
「がぁああああああああああああっ!」
そして……彼女が女性である以上、超能力で生み出される腕もやはり女性のそれなのだ。
実際、前に殴られた時も掴まれた時も、俺に触れた感触は女性の手だった記憶がある。
……である以上、拳と拳を空中衝突してやるだけで、鍛えた男のそれである俺の拳は、彼女の『見えない拳』を砕くことが出来る。
それが、先ほどからずっと繪菜先輩の身に訪れている激痛の正体、だった。
「これ以上は無駄だっ!
あんたの敗因は、俺に対超能力者の実戦経験を積ませたことに、他ならないっ!」
負けを突きつけるその俺の声は、先輩にはどう聞こえたのだろう。
二つの拳を叩き潰され激痛が走っているだろう繪菜先輩は俺の叫びに何故かニヤリと笑みを浮かべると……
「くっくっく。
こうも策が上手く行くとは、な」
何故か満足したかのように、そう呟いていた。
「……?」
彼女の真意を理解できない俺は、ただ首を傾げるだけだったが……先輩としてはそれでも構わなかったらしい。
繪菜先輩は何故か戦っている筈の俺に向けて、安らぎ切った、まるで子供が親に向けるかのような笑みを向けたかと思うと……
「お前の、勝ちだ。
お前に全てを賭けることにする。
……後は、頼んだぞ?」
そう、告げたのだった。
そうしてこの日、俺はようやく序列一位を手に入れ、超能力のテストという脅威から逃れることが出来たのだった。
だけどそれは当然の如く……新たな試練の幕開けとなるのである。
……この序列戦を導入した時に約束されていた、彼女の『頼みごと』によって。