第十三章 第六話
「はじめっ!」
次に奈美ちゃんの前に立ったのは澤香蘇音……『衝撃咆哮』の能力者である。
大声によって人間をあっさりKOするという凄まじい能力の持ち主である彼女は……恐らく奈美ちゃんにとって唯一と言っても良い『天敵』になり得る能力者だと俺は思っていた。
……だけど。
「すぅぅぅ……くふっ」
澤香蘇音が『衝撃咆哮』を繰り出そうと息を吸ったその瞬間……奈美ちゃんの放った鞘によって額を強打され、床に大の字で倒れ込む。
……見事な一発KOである。
──あんな遠距離技まで持ってるのか……
放たれた鞘の速度そのものは見切れないほどの速さではなかった筈だが……ステッキの届かない位置にいるという安心感の所為か、澤香蘇音は見事に虚を突かれたらしい。
……飛飯綱を使う剣豪が、刀を飛ばす奇妙な抜刀術で一発KOを喰らったのと同じ理屈のようだ。
「……二秒」
「ああ、もう、しょうがないなぁっ!」
次に飛び出してきたのは穂邑珠子……『火炎球』の能力者だった。
相変わらず派手な赤毛の頭を振りながら、大声で叫ぶ。
「じゃあ、行くぜぇっ!」
「ちょ、まだっ?」
足元にまだ小柄な少女が倒れているのに炎の球を放つというその暴挙に、珍しく奈美ちゃんが慌てた声を上げる。
……だけど。
奈美ちゃんは不意打ちなんかが通じる相手でもない。
「ふっ!」
その手に持っていた抜き身を振るうだけで、あっさりと奈美ちゃんに向けて放たれた火炎の球は真っ二つに切り裂かれていた。
──そう言えば、そうだったな。
今の奈美ちゃんは、鞘を放り捨てていたんだった。
いつもの杖の代わりに足でコツコツと床を叩いている。
アレがどうやら、周辺の様子を探るソナーの役割をしているのだろう。
つまり、穂邑珠子が良かれと思って仕掛けた不意打ちは……
──下策、極まりないよなぁ。
ただ奈美ちゃんの手から鞘を捨てさせただけ……抜き身の刃の餌食になることを自ら選択してしまっただけになっている。
それが分かっているのだろう。
「だだだだだだだだぁあああああああああっ!」
穂邑珠子は某野菜戦闘民族の王子のように、小さな火炎球を乱射し始める。
手数によって相手を寄せ付けまいとする……どうやら新しい新技らしい。
とは言え、所詮は噛ませ犬と化すときの王子の技である。
この『夢の島高等学校』最高の戦闘力を持つ奈美ちゃんに、そんなのが通じる筈もない。
「……甘いです」
気付けば、奈美ちゃんはいつの間に体育館の床板を丸くくり抜き、それを盾として全ての火炎球を防ぎ切っていた。
しかも、その床板は穂邑珠子の攻撃を全て防ぎ切った代償として炎上してしまっている。
「うぁああああぁっ。
修理費が幾らかかると思ってるんだぁっ!」
その光景に情けない悲鳴を上げたのは序列戦をしている二人とは全く関係のない、外野で見ていた理事長の娘……陸奥繪菜その人だった。
その叫びを聞いた先生たちは慌てて彼女から顔を背けているが……まぁ、今はそれどころじゃないだろう。
「く、くそぉっ!」
自分の乱打が全く意味をなさなかったことに気付いた穂邑珠子が、慌てて次の攻撃を放とうと炎を手に纏わせ始める。
だが、もう遅い。
「……ふっ」
奈美ちゃんはもう穂邑珠子を、もう射程圏内に収めている。
そして、その刃はまっすぐに穂邑珠子のAサイズしかないささやかなバストへと突き立てられ……
「ひぅっ」
いや、奈美ちゃんが放った突きは、穂邑珠子のそのAという薄い脂肪のまだ上、皮膚の表面ギリギリで止まっていたらしい。
「……まだ、やりますか?」
限界まで追い詰めただろうその状況でも、まるで某格闘漫画に出てくる喧嘩師のような、そんな問いかけを奈美ちゃんは静かに放っていた。
「こ、降参、だ」
当然のことながら、心臓に刃が届く寸前の状況で戦闘続行を叫べる人間なんていやしない。
穂邑珠子はあっさりと降伏を選び、足元に倒れたままだった澤香蘇音の身体を引き摺りながら敗者の群れへと戻って行った。
「……四十二秒。快挙ね」
そんな意気消沈した彼女の背中に向けて、おっぱい様が慈悲深い言葉を投げかける。
……まぁ、その一言が励ましだったのかトドメだったのかはよく分からなかったが。
ただその一言を最後に、体育館中に沈黙が満ちる。
奈美ちゃんの凄まじい戦闘力に、もう誰も何も言えなくなっていたのだろう。
と、そんな中だった。
「次はアタシの番って訳やなぁっ!」
体育館中に満ちている畏れという空気も、生憎と馬鹿には通じないらしい。
羽子のヤツが自信満々の笑みを浮かべながら、堂々と名乗りを上げていたのだ。
そんな馬鹿は足元に落ちていた奈美ちゃんの鞘を掴むと……
「……ほい。
抜き身をちらつかされたら気が散ってならんわ」
親切にも奈美ちゃんの方へと放り投げる。
──いや、親切なんかじゃない。
羽子の『エア・ジャケット』は対打撃防御に特化した技である。
その引き換えに……斬撃や刺突には非常に弱い性質があった。
だからこそ羽子は親切を装って奈美ちゃんの抜き身を封じにかかったのだ。
「ふふ。
……ありがとうございます」
それを理解してなお、奈美ちゃんは笑みを浮かべて仕込み刀を鞘に納める。
羽子相手なら勝てるという自信があるからこそ、だろう。
とは言え、扇羽子は酷く低いPSY指数の身でありながら序列十二位まで上り詰めた実力者である。
……その能力を応用する悪知恵が凄まじく働くのだ。
「はっはっは。
その余裕が音無の命取りになるんやで?」
今回もそうだったのだろう。
自信満々の羽子の呟きに奈美ちゃんが小首を傾げた、その瞬間だった。
──パァンッッ!
奈美ちゃんの至近距離で、凄まじい破裂音が響き渡る。
「ははっ!
どうや、新しい新技、音爆弾やっ!」
羽子がそう叫んでいるのを聞く限り、どうやらさっきの破裂音こそがアイツの新技らしい。
「……相変わらず、小器用なヤツだ」
その光景に俺は、思わず称賛の声を上げていた。
原理は簡単で、『エア・ジャケット』と同じように能力で作り上げた「見えない風船」を空気中に飛ばしていたのだろう。
──恐らくは、先ほど鞘を返したあの時にこっそり展開していたに違いない。
それを突然破裂させることで、爆音を上げる……まぁ、脅し程度の技である。
……相手が奈美ちゃんでなかったならば。
「……こうかは、ばつぐんだ」
どっかのモンスター同士を無理やり戦わせる、モンスター虐待ゲームのような言葉を呟いたのは……敗者の集団の中にいた、雫のヤツだろう。
しかし、事実、効果は絶大だった。
音で相手の位置を探る奈美ちゃんにとって、さっきの技は太陽拳を喰らったに等しいダメージである。
あれだけ堂々としていた奈美ちゃんが、突然、周囲の状況が分からなくなったのか、辺りをきょろきょろと見回している。
「卑怯とは言うまいねっ!」
その様子を好機と見たのだろう。
羽子のヤツは、学校に押しかけて来た暗器使いのような叫びを上げつつ、奈美ちゃんへと襲い掛かっていた。
その右手には、相手を一撃で昏倒させる技を展開しているのだろう。
……だけど。
まぁ、砂の中にいる二本角の龍じゃあるまいし、音爆弾を喰らっても奈美ちゃんの攻撃力が失われた訳じゃない。
「やぁっ!」
……一閃。
そんな今一つ気合の入らない叫びと共に、奈美ちゃんは手にしていたステッキを横へ大きく振るっていたのだ。
恐らくは、ただの『勘』で動いたに違いない。
相手が見えようと見えまいと、どうでも良いと言わんばかりの、その横薙ぎの斬撃は……
「ごぁっ?」
見事に羽子のヤツの胴を捉えていた。
『エア・ジャケット』を展開している筈の羽子だったが、彼女の軽い体重でその渾身の薙ぎ払いを防ぎ切れる訳もなく……真横へとメートル単位で吹っ飛ばされる。
──鞘を返していて、良かったな。
もしさっきのが抜き身の刃だったなら、羽子は今頃、バルキリーなスカートの使い手が叫ぶように、内臓をブチ撒けて体育館を汚していたに違いない。
──とは言え、命があっただけの話なんだけどな。
何しろ、今の一撃で羽子の位置はバレているし……奈美ちゃんがそのチャンスを逃すハズもない。
思わぬ喰らった反撃に動揺していた羽子は、その隙を狙った奈美ちゃんの急襲に対応できていなかった。
「う、うぉおおおおっ?」
先ほどの一撃で羽子がKOされてないのは、単に『エア・ジャケット』があるからである。
だが……羽子が地獄を見ることになったのも、やはり『エア・ジャケット』があったから、だろう。
何しろ今の奈美ちゃんは羽子をほぼ見失っているに等しい状況である。
急所を狙うことも鮮やかなカウンターを決めることも出来ない奈美ちゃんが選んだのは、凡その位置を想定しての『滅多打ち』という戦法だった。
幾ら『エア・ジャケット』でオートガードを展開している羽子とは言え、杖でぶん殴られると無傷という訳にはいかず、衝撃を喰らってしまう。
……である以上、一撃を喰らえばどうしても動きが止まる。
そうして動きが止まったところに、また次の打撃が加わるのだから、堪らないだろう。
「……百十八秒」
結局。
羽子が能力を展開できなくなるまで……凡そ五十秒近い間に、二百ほどの攻撃を喰らい、ついに羽子は戦闘不能へと叩き込まれてしまったのだった。
「……今、どれくらいですか?」
「……二百四十六秒。
あと一分弱残ってる」
羽子との戦いが終わって、ふと奈美ちゃんがそんなことを尋ねた。
おっぱい様はは静かにそう返事を返す……どうやら時間をちゃんとチェックしていた上に残り時間も計算していたらしい。
その豊かな双丘に比例するかのような、実に素晴らしい心配りである。
「さて、次は?」
奈美ちゃんは大きく息を吐き出すと、数度足元に杖を叩きつけていた。
……どうやら羽子の放った『音爆弾』とやらは奈美ちゃんに意外と大きなダメージを残したらしい。
疲労もさることながら、アレは耳の調子を確かめているのだろう。
……逆を言えば、彼女はそうやって調子を確かめないといけないほど、耳へのダメージは大きかったとも言える。
霊界探偵モノが格闘モノに変貌した某漫画の最終巻じゃないが……視力を使わない戦闘というものは、一戦で凄まじい神経を消耗するらしい。
少なくとも、流石の奈美ちゃんとは言え、これ以上の戦闘は厳しそうだった。
──それに、こっちも、なぁ。
俺は奈美ちゃんが次に対戦する相手……『跳躍強化』の芦屋颯へと視線を向ける。
「えっと……んん~」
彼女は彼女で、どうも気乗りしない様子だった。
俺に対しては非常に好戦的だった記憶がある彼女だが……どうやら武器を持っている相手との格闘はあまり好きじゃないらしい。
……その辺りに、何か……彼女が超能力に目覚めた原因、所謂トラウマでもあるのかもしれない。
──そう言えば、亜由美のヤツ、彼女と戦った時にはまだ棍を使ってなかったか。
俺はそう考えつつも、次に自分が戦う相手……陸奥繪菜先輩へと視線を向ける。
彼女はイライラした様子を見せていたが、もう一分くらいなら堪忍袋の緒も大丈夫そうだった。
……だけど。
──当の奈美ちゃんがもたないのなら、仕方ない、か。
今まで俺が休むための時間稼ぎとして戦って貰っていたのだ。
実際……戦闘と戦闘の合間にあったインターバルも含めると、俺は十分以上休めている。
俺は手足を軽く動かしてその様子を確かめてみる。
──まだ万全とは言い難い、か。
手足の痺れは取れていたものの、身体の芯にある疲労の重みはまだ抜けていない気がする。
それでも……ひと暴れするくらいのスタミナは回復していた。
そう判断した俺は、おもむろに立ち上がると……杖を構えたままの奈美ちゃんへとゆっくりと歩み寄る。
よほど耳の調子が悪いのだろう奈美ちゃんは、その小さな肩に俺の手が置かれるまで、俺に気付きもしなかった。
「~~っ?」
「悪い、借り一、だ」
慌てて飛びのく奈美ちゃんに、俺は静かにそう告げていた。
「……もう、大丈夫なのですか?」
「ああ、何とかなるだろ、多分」
いつもと比べるとちょっと早口で動揺を隠し切れていない奈美ちゃんの問いかけに、俺は軽く笑って返す。
それだけで通じたのだろう。
奈美ちゃんは安堵のため息を軽く吐くと……
「では、御武運をお祈りします」
どっかの武家の奥方みたいな、そんな呟きを残しておっぱい様の隣へと歩いて行く。
──相変わらず、対照的だなぁ。
AAしかない奈美ちゃんと、Gを誇るおっぱい様とが並ぶと、奈美ちゃんが可哀想に思えてくるくらいである。
「ふっふっふ。
待たせやがって、この野郎」
……っと、今はそれどころじゃなかった。
繪菜先輩は待ち切れない様子で俺の前へと進み出て来ている。
──この……D級おっぱいの相手をするのが先決だった、な。
俺は気持ちを切り替えると……『夢の島高等学校』において最強最悪の超能力者、陸奥繪菜と改めて対峙したのである。